殺した少女に出会う。

 校門を抜けると駅までの徒歩約1キロメートルは、生産性のない考え事──脳みそが死んだように行脚する時間になる。

 だからしまりのない猫背でいつもの交差点に到着した時は、俯いて現実に気を配れないから、赤信号だというのに横断歩道へ踏み込もうとしてしまった。

 ──ブブブッ。

「っぶね」

 通り過ぎるトラックが怒涛のクラクションを鳴らす。

 ……死ぬとこだったわ。

 すんでの所で足が止まったからいいものの、こんな車の流れが速い交差点、増水した河川に突っ込むようなものだ。

「……

 コートに通過する車両が巻き起こした風がぶつかる。

 ふとのことを思い出した。

 あれはまさにこの交差点をモデルにして書いたエピソードだった。

 どうして彼女はトラックに轢かれたのか。

 それは物語の展開に困った僕が、彼女の足をこの交差点へ踏み出させたのだ。

 とびっきり感動的な修飾をして、しかし全くの理不尽な理由で。

 ぼんやりと前を向くと女の子が赤信号越しにこちらを見ていた。

 その女の子は、沙織のようなゴスロリを身に纏い。

 その女の子は、沙織のような釣り目を不敵にこちらに向け。

 その女の子は、沙織のように赤信号の横断歩道へ足を踏み出した。

「──っ!」

 ゴシックロリータの少女は口端を釣り上げて僕を見つめ続ける。

 まるで青信号を普通に横断しているかのような、自分の異常性に全く彼女は気づいていない表情をしていたが、赤色のワゴン車は実際すぐ近くに迫っている。

 ──ぶつかる。

 そう思いながらも、どこかで”まさか目の前で人は死なんやろ”などと楽観視する僕がいて、当たり前だが『彼女を助ける』などと言うコマンドは出てこなかった。

 キキーッ!

 ブレーキ音が寒さでかじかんだ耳を軋ませる。

 

 ぐしゃり。


 少女の最期はまるで呆気なかった。

 まるでボールのように飛ばされていった彼女は、さながらアクション映画のワンシーンのように現実感をもたらさない。

「……?」

 嘔吐くえずくこともなく胃酸と昼食が、食堂を通って口から湧き出て来た。

 思考は停止したが、どうやら非常事態らしい。

「あれ? ……死んだ?」

 赤いバンによって見事にホームランされたゴスロリの少女は、色々なパーツがおかしな曲がり方をしている。……もう、死んでいる、のだろう。

 ”勇気”と”情動”。

 ──僕がもし主人公だったならば、少女を助けられたのだろうか。

 とめどなく流れ出す血液が、腰を抜かして膝をつく僕の下に流れてきて、恐ろしくなった僕はみっともなく後ずさる。

 とりあえず、この場を急いで離れなければ。

 謎の焦燥に苛まれた脳が震える足をゆっくりと動かしたその時──


 ──バチチィ!


 突如、脈絡もなく眼前に視界を塗りつぶす閃光が走る。


 ****


 ──?

 景色が変わった?

 眼前に迫ったおどろおどろしい血の流れも、軟体動物のようにふにゃふにゃに捻じ曲がった少女の身体も、赤がさらに赤く染まったワゴン車も見当たらなかった。

 何が起こったのか理解することができず立ち尽くすと、左からトラックがスレスレを走り抜けた。

 見覚えのあるトラック、つい3分前に自分が轢かれそうになったトラックだった。

「なんなんだこれ……っ」

 急速に口内が水分を吸いだして声が掠れる。

 顔を上げて横断歩道の向こう側を見ると、ゴスロリの少女がニヤけた顔をこちらに向けていた。

「待て、待ってくれ……」

 彼女は間違いなく『沙織』だ。

 物語から人間が飛び出してくるわけはないけれど、今起こっていることを理解するには彼女が沙織でなければならない。

 だって彼女は『時を巻き戻せる』。

 一体今。そんなことは解らなかった。

 でも彼女が今からまたは解った。


 意図は解らないが……彼女はきっとまた自殺をする。


 逆に言えば、それさえ知っていれば。

 足を動かせば彼女を助けられるという訳で。

「頼むよ。……動けっ」

 与えられた2度目のチャンスであの日の主人公自分が書いた小説を追うんだ。

 『飛び込んだ主人公は重傷を負い能力のほとんどを失う』

 最強だった主人公が挫折をするためだけに創られたこのイベント、僕はまさに同じ位置、同じ角度でこの場所に立っている。

 やれるはずだ。主人公になるための絶好の機会。

「……くぅぅ」



 ──死にたくない。目の前の女の子が死んだとしても。

 葛藤の末、導き出した僕の答えはそんな情けないものだった。

 現実と空想は違う。無理だって。さっきの惨状を思い出せよ。痛いじゃ済まないぞ。反対に曲がった膝。直角に折れた首。引きちぎられた肩……。

 竦んだ体が動かない僕と、挑発的な視線で足を進める釣り目の少女。

 果たしてその意味深な目線はどういう意図があるのか──それを理解する間もなく、赤いワゴンは甲高いブレーキ音と共に彼女へと突っ込んでいく。


「──はぁ」


 引っ掻くような激しい摩擦音の間に重くて低いため息を聞いた。

 ぐしゃり。

 そして即座に彼女はまた死体と化したのだ。

 固定した視界からテレポートするように、声を出す暇もなく飛んで行った。

 僕はもう彼女の方を見なかった。

 ──逃げよう。

 どこに逃げ場があるのかなんて知らないが。

 どこかに逃げなければならない。

 無理だ。もうこれ以上は……。

 

 ──バチチィ!


 どうやら、僕は悪夢のような地獄から逃げられないらしい。

 それで、どうしろと?


 ****


「ハハハ、ここでトラック。……知ってる」

 正確な未来予知は、ループを抜けたい僕の僅かな希望を磨り潰す。

 無念にも僕はこの場所へ再び戻ってきてしまったらしい。

 これがもし夢ではないとするならば、やっぱりあのゴスロリの少女は僕が創り出した『沙織』で、彼女の能力が僕をこのループに閉じ込めているのだろう。

「一か八か……僕は飛び込む。できる、僕は、飛び込むぞ」

 ブツブツとコマンドを呟きあらかじめ迷いを吹っ切っておく。

 ──どうせ飛び込まなければループが終わらないんだっ。

 なら最初から選択肢は1つ。

 ……僕が主人公になるっ。

「止まれっ!」

 どうせ通じないけどな。ラスボスのような不敵な笑みを彼女はやめない。

 反対側までの20メートルちょっとが遥か彼方に見える。

 ──ジャリッ。

 それでも僕は腰を落として車が横切る横断歩道へ突入する姿勢を取った。

 さながらクラウチングスタートだ。

「……すすめっ! ……はしれっ!」

 自分への呪文を唱えながら後ろへ引いた右足に思いっきり力を込める。

 前に飛び出せっ! もうここでこのループを終わらせろっ!

「頼むよ。僕は主人公に……」


 しかし足はびくとも動かなかった。無情にも。


 力めば力むほど足の裏の接着力は強力に、地面と靴をはがそうとしない。

 やっぱり僕じゃ無理だって。

 マジで頼むから何とかしてくれよっ!

 誰か……。もう人が死ぬところは見たくないんだ……。

 縋るように横断歩道の先──反対側の歩道へ目をやると。


 ──例の少女は赤信号を待ち、僕を見つめていた。


「……ホンマに、どういう」

 拍子抜けした結末に挫かれてへなへなと路上に座り込んでしまう。

 赤いワゴンの運転手が訝しげに僕を眺め通行していった。

 10数秒経つと青信号になり、ゴスロリの女の子は何事もなかったかのように──実際何もないわけだが、なんか一切知らない風に、綺麗な歩き方で横断歩道を渡りだした。

 そのまま僕の横を通り過ぎるかと思われたが、『沙織』と思われる少女は立ち止まった。

 そして”何も知らない風を装って”こう言うのだ。


「大丈夫? いきなり倒れ込んで。……もしかしてでも見たの?」

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