主人公になろう!

花井たま

俺はもう手遅れだ。

 ****

「……俺はもう手遅れだ」

「そんなっ……ヒールっ!」

 縦横に駆け巡る体の傷に反して、父は涼しげな顔で私を見つめる。

 必死になって私はアカデミーで覚えたばかりの治癒魔法を試みるが、そんな付け焼刃の治癒術程度で助かる見込みがないほどの、見るに堪えない傷だ。


 ──いや……?


 パチリと脳が弾けて、私はこの絶望の突破口を見つける。

「まだ1つ。解決策ならあるわ」

 私が強気に提案すると、父が強ばった口調で咎める。

「……っ! それだけはやめるんだっ」

 そう、王国が開発した禁術。

 時間を巻き戻す魔法。

「俺たちは、奇跡を起こした。ほら、見てごらん。青い大地、高い空。……理想の世界を手に入れたんだ。俺1人の犠牲で世界を守れるなら……」

「いいのそれでも。私達ならもう1度、いや何度でも奇跡を起こせるでしょ?」

 父の静止を振り切って私は長い呪文を唱える。

 ──今度は全てを守るために!

 ****


「死にてぇ程つまらん」

 誰に評価されたわけでもなく、自分が綴った駄文を見つめ、誰もいない夕暮れの教室で溜息を吐いた。

 何度読み返しても本当に面白くないのだ。

「……時間を巻き戻す意味が分からん。お前そんなキャラじゃなかったやん」

 つい数日前書いた展開では「どんな犠牲を払ってでも……」みたいなことを喋っていたのに、気が付いたらこうなっていた。

 ──キャラ崩壊もいいとこだ、全く。

 僕が執筆に触れたのは太宰の『走れメロス』に感銘を受けたためだ。

 読んでいる内にまるで自分も走っているかのような疾走感に包まれ、いつか自分もこんな臨場感溢れる作品が書きたいと思ったのだ。

 ──しかし現在、僕の文章にはまるで熱がない。

 『人間失格』を読了したときの、後味の悪い氷のように冷たい炎を僕が書いた小説から感じることはできない。

 作文的な技術だけが向上して、物語に一番必要な”核”がない。

 まるで操り人形のように登場人物が動き、彼らの会話も棒読みに聞こえる。

 彼らは僕の恣意──気まぐれによって殺されて、白けた共感が淡白に奔る。

 命が懸かった場面だったり、クライマックスに入るとそれが顕著に表れる。

 終盤にありがちな紋切り型の描写が並んで、これまで積み上げてきた個性や、培ってきた思想が何もなかったように塗りつぶされる。

 ……つまり主人公は自動的に自己犠牲の精神を発動し、脇役は主人公との信頼を深め、彼らの大立ち回りは戦局を変えて、そのまま小奇麗に纏まっていく。

 ──等々、テンプレートで彩られた物語の数々。

「……わかってんだよな」

 その理由も、解決方法も。

 表面だけはほんのりと温かい、しかし芯が冷え切った掌を見つめる。

 結局のところ、僕には何もないのだ。

 死ぬ気で頑張った経験も、本気で心を動かされた一幕も、愛するほど何かに好意を寄せた過去も、何も積み重ねず生きて来た。

 その結果がこの駄文なのだ。

 文章に熱を移せないのは僕が熱を持っていないから。

「帰るか……」

 削がれた集中力はこれ以上僕の指を動かさなかった。

 教科書と小さなノートPC、それだけを鞄に詰めて教室を出る。

 薄暗くなった廊下は寂寥感と焦燥感を倍増させた。


 ****


 『夢祭』と書かれた看板が校内に立てかけてあった。

 そういえばそろそろ文化祭らしい。

 これで”ゆめまつり”ではなく”ゆめさい”と読むのだから、若者の思考は分からない。……まあ、どうでもいいことだが。

「……夢ね」

 暫く考えた後、”さっか”と小さく口を動かしてみた。

 飛び出した言葉はどうやっても漢字──作家とは変換されず、ぴゅうと吹いた北風がどこか遠くへ運んでいってしまった。

 だからこれは僕だけが知っている僕の夢。

 こんなバカげた絵空事、誰に語ればいいって言うんだ。

 自分に文才がないことは薄々気づいている。

 でも勉強もできず、運動もできず、人とまともに話せない──だから、僕は今日も明日も創作をしなければならないのだ。

 そして心のどこかで自分の才能が花開くことを本気で信じている。

 『最近の小説は全部つまらん』そんな呪文を唱えながら。

「”身を焦がすような情動”。……そんなのは分かってる」

 部活に身を落とす、勉強を死ぬ気でやる……その他鮮やかな色々。

 この世界は”本気”に溢れている。

 それらはきっと僕に『主人公の魂』を授ける──とまではいかなくても、この20年弱でくり抜かれた心に、怠けてるんじゃないと喝を入れてくれるだろう。

 しかし僕には”本気”に触れる勇気がない。

 どうせもう間に合わないと、才能がないと初めから決め込んで怖気づいている。

 果たして、


 ──僕には情動と勇気が足らなさすぎるんだ。

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