豆腐小僧の思い出
分身
第1話
小学生の時にサッカーをやっていて左足を骨折したことがある。左足をがっちりギプスで固定され、絶対安静で寝たきりになった。そうはいってもずっと寝ている訳にもいかないので、とても退屈していた。お母さんがマンガを持ってきてくれたが、すぐに読み飽きてしまった。
「どうしようねえ」
とお母さんは困った顔をした。
「なにか読みたい本はある?」
僕は、うーん、としばらく考えて、
「図鑑がいい。図鑑なら退屈しないと思う」
と返事をした。
「どんな図鑑がいいの?」
とお母さんがきいた。
「なんでもいいよ、図鑑なら」
と僕が答えたら、お母さんは、
「わかったわ、明日買ってきてあげる」
と約束してくれた。
お昼ご飯の時間になって、僕は寝たきりのままおにぎりを頬張った。お母さんが水筒のストローを僕の口に差し込んで、お茶を飲ませてくれた。僕は満腹になってしばらく目をつむってうとうとしている内に眠ってしまった。目が覚めるとお母さんがいなかった。病室に差し込む日差しが朱色に染まって夕方を告げていた。もう面会時間の終わりかな、と思うと僕はものすごく寂しい気持ちで泣きそうになった。するとお母さんが帰ってきた。お母さんに、
「どこ行ってたの」
と尋ねるどうお母さんは笑って、
「トイレに行ってたの」
と答えた。僕はすっかり安心して、
「お母さん、リンゴむいて」
と甘えてみた。お母さんはリンゴをむいて食べさせてくれた。
お母さんは夕ご飯が終わると家に帰っていった。お父さんと弟の世話をしないといけない。わかっていても毎回寂しかった。お母さんは、
「じゃあまたね」
と言って病室を出ていった。夜の病室はとても静かで時々相部屋の人の咳ばらいが聞こえるぐらいだった。相部屋で子供は僕一人だけだった。消灯時刻にはまだ時間がある。僕はお母さんがどんな図鑑を買ってきてくれるのか想像してみた。
(車かな、それとも電車かな)
想像するだけでわくわくしてくる。
(恐竜図鑑かもしれない)
僕はティラノサウルスを想像した。鋭い歯、太い尻尾。迫力満点だ。想像の中でティラノサウルスは獲物を切り裂いて血まみれの肉に噛みついていた。僕はすっかり想像のとりこになっていた。すると看護師さんが部屋に入ってきて、
「消灯です」
と言って病室の灯りを消した。
病室の朝は早くて、毎朝六時に起こされる。熱いおしぼりが配られてそれで顔をふく。まだぼうっとしている間に朝ご飯が運ばれてくる。今日もおにぎりだ。あまり美味しくないけど、お腹が空いていたから、かぶりついておにぎり二個を平らげた。そしてお母さんが来るのを待った。正確にはお母さんが買ってきてくれる図鑑をわくわくしながら待った。するとまもなく、
「おはよう」
とお母さんがあいさつしながらやって来た。
「ちゃんと寝れた?」
お母さんは腰かけに座りながら荷物をベッドの脇に置いた。
「うん、ちゃんと寝た」
僕は図鑑を待ちきれなくて、
「ねえ、図鑑買ってきた?」
とお母さんに尋ねた。お母さんは笑顔で答えた。
「すごく面白い図鑑があったわよ。かず君も面白いと思うよ」
「見せて見せて」
と僕はせがんだ。
お母さんは荷物の中から紙袋を取り出して、僕に手渡した。本屋の紙袋だ。僕はすっかり興奮して本を取り出し、表紙を見た。
「えっ」
と僕は声を上げた。表紙には、
"水木しげるの妖怪図鑑"
と書いてあり、いろいろな妖怪の絵が描いてあった。
「どう?面白そうでしょ」
お母さんは僕の顔をのぞき込んだ。僕はがっかりしたけど、お母さんに悪いと思ったので、
「うん、面白そう」
と無理に返事をした。
「かず君が喜んでくれて良かったわ」
そう言ってお母さんは微笑んだ。面白そうと言った手前、少しは読まないといけなかったのでぱらぱらとページをめくってみた。テレビで見たゲゲゲの鬼太郎よりも図鑑の絵のほうが怖かった。嫌だな、と思いつつページをめくると全国妖怪地図という地図がのっていた。広島県には子泣きじじい、という感じで各県に住んでいる妖怪が紹介されていた。僕の住んでいる岐阜県はどんな妖怪がいるんだろう、と見てみたら、
"妖怪豆腐小僧"
とのっていた。
"雨の夜にあらわれ、
「豆腐いらんかえ」
と言って、お盆に乗せた豆腐を食べるように勧める。その豆腐を食べると全身カビだらけになる"
僕はがっかりして図鑑を放り出した。ちっとも怖くない。なんだか自分の住んでいる岐阜県が馬鹿にされたようで、腹も立った。
「どうしたの」
とお母さんが尋ねたので、
「岐阜県の妖怪豆腐小僧だって」
と言ってお母さんに図鑑を見せた。お母さんはけたけた笑って、
「あら可愛いじゃない」
と言った。
「全然怖くないよ」
僕が不満を言うとお母さんは、
「妖怪にもいろいろいるのよ。みんな怖い妖怪だったら嫌じゃない?」
と豆腐小僧の弁護をした。
「でも岐阜県の妖怪がこんな弱っちい妖怪なのは恥ずかしいよ」
と僕が反対すると、
「可愛いからいいのよ。怖い妖怪だと岐阜県も怖い所になってしまうわ。それは嫌でしょう?」
そうお母さんは陽気な声で言った。僕が不満でぶすっとした顔をしている様子を見て、お母さんはけたけた笑った。
僕は暗い夜の山道を傘をさしてとぼとぼと歩いていた。すると前方に誰かの人影が見えた。近づいてみると男の子がお盆を持って立っている。
「豆腐いらんかえ」
見るとお盆の上に豆腐が乗っている。その豆腐はとても美味しそうに見えた。
「豆腐いらんかえ」
あまりに美味しそうなので僕は匙で豆腐をすくって一口食べた。すると──。
そこで僕は目が覚めた。まだ夜中で病室は静まりかえっていて、空調の音が低く鳴っていた。僕は自分の腕をまくってみた。カビは生えていない。全身びっちょりと寝汗をかいていた。
(きっと豆腐小僧のことを馬鹿にしたから、こんな夢を見たんだ)
僕は考えた。
(豆腐小僧の復讐だ。豆腐小僧は本当は怖いんだ)
僕は目がさえて、その晩はまんじりとして眠れなかった。
次の日の朝お母さんがやって来た。
「おはよう。よく寝れた?」
僕は寝ぼけた声で生返事をした。
「あまりよく寝てない」
お母さんは不思議そうに、
「あら、どうしたの?」
ときいてきた。
僕は豆腐小僧の夢を見たとは言えずに口ごもっているとお母さんは重ねて尋ねた。
「なにか怖い夢でも見たの?あっ、わかった」
とお母さんはにっこり笑った。
「豆腐小僧の夢を見たんでしょう」
僕が何も答えずに黙っているとお母さんは、
「妖怪を馬鹿にすると怖いのよ」
と陽気な声で言った。
あれから豆腐小僧の夢は見ていない。でも大人になった今でも鮮明に覚えている。今は僕は豆腐小僧に親しみを持っている。子供の頃はその魅力がわからなかったが、すごくユーモラスで可愛らしい。でも夢を見るのは二度とごめんだ。そういう具合で僕は豆腐小僧に相反する感情でいる。
豆腐小僧の思い出 分身 @kazumasa7140
★で称える
この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。
カクヨムを、もっと楽しもう
カクヨムにユーザー登録すると、この小説を他の読者へ★やレビューでおすすめできます。気になる小説や作者の更新チェックに便利なフォロー機能もお試しください。
新規ユーザー登録(無料)簡単に登録できます
この小説のタグ
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます