第15話

 それは人一人半くらいの高さの石門であった。上部にゴーヴァンの国紋が、門の形を縁取るように何らかの文言が、それぞれ深く刻み込まれている。私は門に近づき、そのうちの一つをそっとなぞった。

「これは……ゴーヴァンの古語?」

「そうだ。ここの王族は自らのルーツに誇りを持っているからな。何かにつけて古い言葉や文字を好む。」

 さて、さっさと離れろ。

 そう言い放つとウーノは門の前に立ち、その中央に埋め込まれた瑪瑙を三度ノックした。石が飲み込まれるように奥へと引っ込み、門が下部から溶けるように消えていった。その奥には黒い衣装に身を包んだ老人が一人、それの護衛が四人立っており、私たちと目が合うとゆっくりと頭を下げた。


「ようこそ、遠路はるばるお越しくださいました。用件はウーノ殿の書簡よりお伺いしております。」


 ウーノも五人に向かってゆっくりと頭を下げたので、慌ててそれに倣う。

「こちらこそ、急な訪問済まなかった。王の都合はつきそうか?」

「心配ご無用です。人払いをしましたゆえ、地下道から謁見の間へご案内いたしましょう。」

 そう言うと、老人は私とカリヒに会釈をしてから踵を返し、しずしずと歩き出した。ウーノが続き、私たちもそのさらに後ろに横並びで続いた。



 人を払ったというだけあって、進めど進めど人っ子一人見当たらなかった。どうにも人の気配も薄い。生活感が皆無と言っても過言ではない。まるで抜け殻の国だ。

 カリヒが私の裾をチョンと引く。右手を開くと、彼女はそこに自らの左手を重ね、掌を指の腹で叩いて言った。


“ゴーヴァンの王ってどんな奴?”


 チラリと周囲に目を配り、カリヒの掌を叩いて返す。


“プライドが高い人よ。怒ると手が付けられない。”

“海を見せる理由を問われたらどうする。”

“適当にでっち上げた研究のためとでも言うわ。”


 カリヒが前を向いたまま、ほんの少し顎を引く。それを視界の端で捉えてから、意識を前方へと向けた。



「お待たせ致しました、王はこの奥の間におられます。」

 そういうと老人が黒塗りの石門を、手持ちの杖でコツコツと叩いた。裏門と同様に、下部から溶けるように消えていく。

 入って右手奥の玉座にその男はいた。歳はウーノの二倍はあるだろうか、口はへの字に曲がっており、常に眉根を寄せているその顔は「偏屈」そのものだ。片足を椅子に掛け、頬杖をついてふんぞり返っている。老人たちは「では失礼いたします。」と残して、来た石門の奥へと消えた。あとには私とカリヒ、そしてウーノだけが残る。


「お久しぶりです、我が王。正式な手順を踏めなかったこと、お許しください。」

 一番に口を開いたのはウーノだった。人当たりのいい笑顔と声で男に歩み寄り、片膝をついて挨拶をする。男はそれを数秒見つめた後、「気にしていない、顔を上げよウーノ。」と返した。

「して、後ろの二人は。」

「手紙でお伝えした通り、魔導士の二人です。」

「サラと申します。」

「カリヒです。」

 二人が順に名乗り頭を下げると、男もまた「ゴーヴァン国王イルヴァである。」と名乗った。


「その二人が、我が海を見たいとな?」

「その通りでございます、国王。」

 問いかけに応え、王の前へと進み出る。それに呼応するようにウーノが一歩下がり、私が玉座に一番近い場所に立った。


「理由は。」

「海というものが国にもたらす恩恵、力について研究をしているのです。海があるとされる国は二つしかなく、そのどちらも凄まじい国力を誇る。ぜひあなたの海を見てみたいのです。」

 ご協力いただけませんか?と柔らかに問いかける。イルヴァは私の顔を食い入るように見ていたが、やがてゆっくりと口を開け始めた。


「——ハ、」

 その口から音が一つ漏れ出る。かと思ったとたん、イルヴァは爆発的な笑声をあげた。



「ハハハハハハハ、ハハハッ、ハハハハハハハハハハハハハ!!」



 驚いて思わず目を見開く。ひとしきり笑い声を響かせると、彼はぞっとするほどの真顔で再び私の顔を見た。


「研究? けんきゅう? け、ん、きゅ、う? これはまた雑な嘘だな若い魔導士、サラよ。お前たちがここに来た理由などわかりきっている。馬鹿にするな、馬鹿にするなよ。この私を馬鹿にするな。」


 誰が見てもはっきりとわかるほどに彼は怒っていた。顔に血が上り紅潮している。

 

 分かりきっている? わかりきっているだって? この男は世界の崩壊に気付いているのか? それならなぜこんなにも怒りに満ちているのだ。

 返事に迷った結果生まれた無言を肯定とみなし、イルヴァは唾を飛ばしながら叫んだ。


「衛兵イイイィィィィィィィィィィィィィィ!!」


 四方から武器を手にした屈強な男が現れ、私たちを取り囲む。カリヒが舌打ちをしながら、行動負荷の術を掛けようとした。その時、床が青く光り、何かの陣が浮かび上がる。一つの巨大な魔法陣のようだった。その図式を、文字を目でなぞり——クソ、と悪態をつく。



 それと同時にカリヒが「なんで発動しない!」といら立ちの声をあげた。兵は少しも止まらずに私たちに襲い掛かる。二人とも体術・近接戦の心得はあったが、その専門ではない。数人を倒したところで数に押され、拘束されて頭を床に押し付けられる。


「おいおい無様だなあ、クィナよ。」

 狭い視界の端に黒の革靴が映り、くっと頭上から笑い声が降りかかった。

「——ウーノ。」

 やはりこいつが裏切っていたのか。しかし、なぜ。こいつも世界の崩壊を知っていたのか?

 ツンと鉄のにおいがする。口の中を切ったらしい。頭を打ち付けたせいで目が回っている。


「じゃあ、俺はこれで。」

 ウーノはにこやかに王へ声をかけると、謁見の間を出ていったようだった。コツコツという革靴の音が次第に遠ざかり、やがて聞こえなくなる。

 完全にしてやられた。いまや二人の命はイルヴァの機嫌次第だ。ごつ、と自らの額を床にこすりつける。

 

 どうする。どうすればいい。私のせいだ、考え不足だった。こんなとき先生ならどうする。


 ——先生。



 ————先生!


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雷雨の小窓 瑠璃由羅 @ruriyuura

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