第14話

 その後ウーノは「鳩を飛ばす」と奥の書斎の机に向かった。彼曰く、「俺だってお得意様には強く出れん」からだそうだ。

 その背中を監視しつつ、私とカリヒはぽつぽつと言葉を交わした。

「……聞きたいことがいくつかあるんだけど。」

 思った通り、カリヒが遠慮がちに問いかけてくる。ウーノの背から目を外さないまま、わかっているわと頷いた。

「サラってここの生まれなの?」

「……そうよ。親が死んでからはあいつのもとで働かされていたの。」

「クィナっていうのは……。」

「その時の名前ね。ここの現地語で『垢まみれ』って意味。」

「あ~……えーと、ごめん。」

「いいえ。」

 カリヒは冷や汗だらだらといった様子で私から視線を外す。心配をかけないように敢えて淡々とした口調で話していたのだが、それがかえって彼女に心配をかけたらしい。

 少し眉尻を下げて、はれ物に触るような扱いをしなくても大丈夫よと返した。


 けれど、事実としてこの貧民街での暮らしは私の心に大きな影を落としている。「気にしないで、全然平気だから」と笑い飛ばしたいのはやまやまだが、そんな余裕が無いのが現状であった。

 ただ取り乱さないよう、平静を保つのに注力する。昔と変わらず巨大に映るウーノの背をぼんやりと視界に移しながら、ふと妹に思いを馳せた。


 ミラ。私と同じくここで育ち、苦しみ生き抜いた愛しい妹。あの苦しみの共有はどんな絆よりも強い繋がりだろう。トトと名乗る元オウトに連れて行かれ、今どこでどうしているのか。先生の頭部が砂と化した光景が重なる。どうか無事でいてほしい、ミラまで失いたくない——。



「書けたが。」


 冷水を掛けられたような感覚に、ハッとした。見上げると呆れたような顔をしたウーノが、書き上げた書簡をひらひらとなびかせている。決まりの悪さを覚えつつそれを受け取ると、カリヒと共に目を通した。


「うっわあ見事なおべっか尽くし。きっもちわる。」

「煩い野蛮人。誉め言葉の一つや二つで大金を落としてくれる相手だぞ、しかも頭は悪いと来た。」

 おだてん手はあるまいとウーノ。悪そうな笑顔を浮かべてくくと喉を鳴らす。

「…………うん、まあ、怪しい点はないですね。このまま飛ばしましょう。」

「え~ほんとに? この文字とかどうなの?」

 カリヒが疑わしそうにある箇所を指し示す。そこにはゴーヴァンの古語が小さく綴られていた。


「これは……『碧き栄え』、という意味ですかね。」

「ふん、少し違うな。まあ訳すようなものじゃない、上流階級の手紙における挨拶みたいなものだ。」

 貧民育ちにはわからんだろうな、と付け足された言葉に顔が小さくゆがむ。

 別に生まれなんて、育ちなんて気にしたことなど無いのに。どうしてこんなにもこの男の言葉に心がささくれ立つのか。

 カリヒは私の様子に気を遣いながらも、じゃこのまま出して問題ないねと鳩を飛ばした。






 裏門に回る最大のメリットは人目につかないことにある。王宮は富裕街の奥にあり、正門からそこを目指すには長い大通りを進まなくてはいけない。人目に付くのは言わずもがな、情報も広まってしまうだろう。王族はぽっと出の魔導士二人に国の命ともいえる海を見せることが出来なくなる——自らの威厳のために。


 裏門に回るため、私たちはウーノの先導に従い山を登っていた。霧が深く、貧民街から人目を忍んで富裕街に近づくにはこのルートが一番確実なのだ。

 移動中、意外にも一番口を開いていたのはウーノだった。嘲りか懐かしみかわからないが、彼はしきりに私に問を投げかけていた。

 お前なんかが魔導士に成るとは、妹はどうなんだ、あの女はまだ生きているのか、なぜ海を探しているのか。

 私はそれらに対して言葉少なに、話せることだけぽつぽつと喋るとあとは口を閉ざすしかなかった。

 ウーノはどうにもカリヒを省きたいようで、私とウーノしかわからないような過去の話ばかりを持ち出す。私は一対一で彼と話したくないという一心で、一から十までカリヒに説明をしていった。その過程で忘れていたこと、忘れようとしていたこと、たくさんの記憶が脳裏を巡る。

 貧民街の中では相当な金持ちだった両親。幼少期の恵まれた暮らし。ウーノの元での壮絶な生活。妹のミラと共にすすった泥のような水。そして——そこから二人を「買う」ことで救い出してくれた、先生。


『キミの妹君がねえ、どうしてもというものだから。』

 男二人を携えて、先生は朗らかに笑うと私に手を差し伸べてくれた。

『私とおいで。』

 そう、そうして彼女の手を取った。この人のために生き、この人のために死のうと思った。そう思った、のに。

 

 カリヒの少し後ろで、重い足を一歩また一歩と動かす。霧が一段と濃くなる。外套がたっぷりと湿気を吸い込み、じんわりと重さを増す頃、先頭のウーノがふと足を止めて、おい、と顎をしゃくった。


「着いたぞ。富裕街の裏門だ。」


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