白熊さんのこと

雨世界

1 別に、泣いてないよ。本当だよ。

 白熊さんのこと


 登場人物


 僕 控えめな少年


 白熊さん 活発な少女


 プロローグ


 別に、泣いてないよ。本当だよ。


 本編


 大好きだよ。


 歩こうよ。どこまでも、一緒にさ。 


 僕が白熊さんと初めて出会ったのは小学校五年生のときだった。

 その日は朝からずっと小雨が降っていて、白熊さんは赤い傘をさしていた。赤い傘をさして、赤いランドセルを背負って、白い服を着て、水色のスカートを履いて、黄色い長靴をはいて、みんなと一緒に小学校に登校していた。


 僕が白熊さんのことで、今でも一番、とても強く思い出に残っていることは、白熊さんから「明日、一緒に旅に出ようよ、行けるところまで、歩いていこうよ」と言われた、夏休みの日のできごとだった。


 それは本当に暑い夏の日のことだった。


 僕は白熊さんにそう誘われて、白熊さんと一緒に一日だけの旅に出ることにした。でも、旅といっても子供の僕たちの旅はもちろん、本格的な旅ではなくて、家の近所を歩いて散歩すると言う、とても身近なところを見て回る簡単な旅だった。(それでも僕たちにとっては、それはとても大きな冒険だったのだけど)


 僕はその日、麦わら帽子をかぶって、白いシャツに水色のズボン。足元は麦のサンダルという格好で白熊さんを待っていた。荷物は白い小さなリュックサックだけだった。


「お待たせ」そう言って、約束の時間通りに、白熊さんは僕の待っている公園の噴水前のベンチのところにやってきた。


 白熊さんは白いワンピース姿だった。荷物は麦で編んだバックで、頭には水色のリボンをつけていた。


「どこに行く? 今は夏休みだから、どこにだって行けるよ」とにっこりと白い歯を見せて笑って、白熊さんは僕に言った。


 白熊さんは張り切っていたけど、僕は少し不安だったので、まず公園の中を、それから公園の周りを、とりあえず二人で一生懸命歩いてみることにした。


「わかった。それでいいよ」とにっこりと笑って白熊さんは言った。


「人生は冒険だからね。いつでも冒険しなくちゃ楽しくないよ」と白熊さんは僕に言った。

 それから僕たちはだんだんと旅が、冒険が、一緒に歩くことがすごく楽しくなって、歩けるところまで、どこまでも一緒に歩いて行くことになった。


 そうやって、くたくたになるまで歩いて、僕と白熊さんがたどり着いた場所は、丘の上にある、街の風景を見渡すことができる、公園のベンチの上だった。(出発点の丘の下の公園から、到着点の丘の上の公園まで、僕たちは街の中を一生懸命、一日をかけて歩いたことになる)


 それは本当に楽しかった思い出なのだけど、そうやって丘の上公園から二人で水筒の中の飲み物を飲みながら、お母さんに作ってもらったお弁当を食べているときに、ふと見ると、白熊さんが、突然、その目から透明な涙を一雫だけ、流した。


 僕はそんな白熊さんの真っ白な頬の上を流れる透明な涙を見て、すごくびっくりしてしまった。

 なぜなら白熊さんは学校でもずっと笑顔だったし、元気だったし、今日も朝からずっと元気だったし、なによりも白熊さんは泣いている今も、その顔はずっと笑顔のままだったからだ。


「あ」

 白熊さんは自分が泣いていることに気がついて、そんな驚きの声をあげた。

 それから自分の頬の上を流れる涙に触れて、それからその自分の人差し指と中指に残っている涙を見て、それから僕のことを見て、またすごく驚いた、といったような顔をした。


「ごめんなさい」

 白熊さんはおにぎりを頬張ったまま、少しの間、固まったままでいた僕を見て、そんなことをいった。

「本当にごめんなさい。本当に、泣くつもりなんて全然なかったんだよ」

 と白熊さんは笑顔のままで僕にいった。


 でも次の瞬間、白熊さんの笑顔はくしゃっとなって、それから白熊さんは今すぐにでも、もっと、泣き出しそうな顔になって、その大きな目には涙が溢れて、それから白熊さんは、まるで晴れの日の青色の空から突然、不思議な天気雨が白い雲の間から降ってくるようにして、その場所で、ぽろぽろと大きな涙の粒を流しはじめて、とても静かに、なるべく声を出さないようにして、一人で泣き出してしまったのだった。


 僕はそんな片手で、(もう片方の手には、食べる前のサンドイッチを持っていた。トマトとレタスとハムの美味しそうなサンドイッチだ)自分の両目をこすり続けている白熊さんを見て、どうしていいかまるでわからないままで、どうしよう? どうしたら、白熊さんは泣き止んでくれるんだろう? とそんなことを考えながら、おろおろとしてしまった。

 それから僕は「泣かないで。白熊さん。ほら、おにぎり、食べる? すごくおいしいよ?」とお弁当の箱の中に残っているおにぎりを持って、それを泣いている白熊さんの前に差し出した。


「おにぎり、くれるの?」と泣きながら、白熊さんは僕にいった。

「もちろん」とにっこりと笑って(白熊さんにも、わかってほしかったから、わざと、すごく大げさに)僕はいった。


「ありがとう。本当に嬉しい」と泣きながら笑って(ようやく白熊さんは、いつものように笑ってくれた)僕にいった。


 僕はおにぎりをあげた代わりに、白熊さんから「じゃあ、お返しに」と言って、サンドイッチをもらった。

「ありがとう」と言って、僕は白熊さんからサンドイッチをもらった。


 白熊さんのお弁当のサンドイッチはとても美味しかった。


 それから白熊さんはなにごともなかったかのように、いつもの笑顔の白熊さんに戻った。

 それから、僕が白熊さんの泣いているところ見たことは、一度もなかった。


 僕が白熊さんに誘われて二人だけで、旅に出ることもなかった。


 小学校を卒業して、僕たちは中学生になった。


 僕と白熊さんは中学校時代、とても仲の良い友達同士と言ったような関係だった。


 そんな中学校生活の終わりごろ。卒業式の日の少し前の時期に、僕は白熊さんから校舎の裏庭にある花壇のところに(花壇の中には、小さな真っ白な花がたくさん咲いていた)呼び出されて、そこで白熊さんから「あなたのことがずっと前から好きでした。私と付き合ってください」といって告白をされた。


 白熊さんから、告白をされて、ずっと白熊さんのことが好きだった僕は、「はい。こちらこそ、よろしくお願いします」といって、白熊さんの突然の告白に驚きながらも、(それから、なんだかすごく恥ずかしかったけど、白熊さんのほうが僕よりもずっと、その白い頬を真っ赤な色に染めていたから、僕はいつもよりも少しだけ、勇気を振り絞って、白熊さんの告白にはいと答えることができた)その告白を受け入れた。

 すると白熊さんは信じられない、といったようにすごく驚いた顔をしてから、僕を見て、やっぱりいつものようににっこりと、まるで夏の太陽のような眩しい笑顔で、僕に笑いかけてくれたのだった。


「ありがとう。これから、……できればずっとよろしくね」とにっこりと笑って白熊さんはいった。


「こちらこそ、末長くよろしくお願いします」と白熊さんと手を握りながら、みんながいないところを教室まで歩いている帰り道で、僕はいった。


「ねえ、私があなたのことを本当に、すごく好きになったのって、いつだからわかる?」

 と帰り際に、手を離したところで、ふふっと笑いながら僕を見て白熊さんはいった。


 僕は少し考えてから「ごめん。わからない」と正直な答えを白熊さんにいった。(僕がかっこいい、というか、白熊さんに、あるいは、変な意味ではなく、ほかの誰かにでもいいのだけど、好きになってもらえるようなことをしたことなんて、今までの人生の中で、一度もないような気がしたのだ)


「そうなんだ」と少し残念そうな顔をして白熊さんはいった。

「それっていつなの?」と僕は白熊さんに聞いた。


 すると白熊さんは、「うーん。内緒。思い出したら、正解って、教えてあげる」と本当に嬉しそうな顔で笑って、僕にいった。


 その日、その瞬間に、朝からずっと曇り空だった灰色の空から白い雪が降り出した。……真っ白な雪。

 それはすぐにたくさんの世界を覆い尽くすような、雪になった。


「あ、雪だ。雪だよ。綺麗だね」

 そんな降り出した今年初めての雪を見て、ふかふかの真っ白なマフラーを巻いている制服姿の白熊さんはとても嬉しそうな顔で、僕を見てにっこりと笑った。


「本当だ。すごく綺麗だ」

 と僕は、白熊さんを見て、そう言った。


 僕がそんな風にして、白熊さんと付き合った日に出題された問題に、きちんと答えることができたのは、僕が白熊さんと結婚をする、それから、十五年後のことだった。

 季節は冬。

 その日も、偶然にも、世界には真っ白な雪が降っていた。


 世界を染める真っ白な雪景色の中で、白熊さんはやっぱり、いつものようににっこりと眩しい太陽のような顔で、笑っていた。


 白熊さんのこと 終わり

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