第3話 ティーナ~『オズの魔法使い』の世界に憧れた私は、ゲートを潜る


「やった……ついに……」


周囲の人々のどよめきをどこか遠くに感じながら、私は思わずつぶやいていた。

今、私の目の前には、等身大に輝く銀色の鏡のようなものが出現していた。


ゲート。

異なる世界同士を繋ぐ関門。


この向こう側には、私達の次元を超えた世界が広がっているはず。

そこには、子供の頃から抱いていた疑問に答えを与えてくれる何かが、きっと待っているに違いない。

妖しい揺らめきにすっかり魅せられてしまった私は、ついフラフラとその銀色の鏡に手を伸ばそうとして、仲間達に抱き留められた。


「お待ち下さい」

「お嬢様、落ち着いて!」


私としたことが、つい興奮し過ぎてしまった。

一度大きく深呼吸をして落ち着いた私に、立ち会った日本の科学者……確かフジサワって名前だったかしら? が英語で問いかけてきた。


「サンダース女史、あれはDID次元干渉装置で生成されたゲート、という理解で宜しいでしょうか?」


何を分かり切った事を……


しかし私はそんな感情はおくびにも出さず、日本語でにこやかに答えた。


「おそらくそうです。ですが、本当にゲートが生成されたのか、いずこに繋がっているのかは、実際、あのゲートをくぐらないと確認できません」



---------------------------------------



私は、合衆国カンザス州の片田舎に生まれた。

大草原の小さな家……とまではいかないけれど、優しい家族と自然に囲まれた環境の中、私は恵まれた幼少期を送ることが出来たと思う。

幼い頃の私のお気に入りの一冊が、『The Wonderful Wizard of Oz (オズの魔法使い)』だった。

主人公のドロシーは、私と同じカンザス州に住んでいる女の子。

竜巻に家ごと巻き込まれた彼女が辿り着くのは、不思議な魔法の国。

ドロシーに自分を重ねた幼い私は、その絵本を擦り切れるまで何度も何度も読み返した。

そしていつしか私は夢想するようになっていた。


ここでは無い別の世界。

おとぎ話に出てくるような世界。

もしかしたら、それは本当に存在するのでは無いだろうか? と


不思議の世界で縦横無尽に冒険する自分を夢想するのは、少年少女の特権だ。

やがて中学生になった私は、1冊の書に出会った。


『The Encounter of The Worlds (世界が出会う時)』


著者は超弦理論の論客として知られる理論物理学者Williamウィリアム Jamesジェームズ博士。

そこには、理論的根拠と共に、こう書かれていた。


私達の知る世界は、より高次元の海に浮かぶ無数のBraneブレーン(膜)の一つに過ぎない。

いつの日にか、我々人類は、別のBraneブレーンに住む住民と出会う日が来るであろう。


ジェームズ博士の理論に感銘を受けた13歳の私は、博士につたないながらも質問のメールを出してみた。

博士は、そんな見知らぬ中学生の女の子からのメールに対し、きちんと返信してくれた。

それから博士と何度かメールのやりとりを続ける内に、私の中の理論物理学への憧憬は急速に膨らんで行った。


自分で言うのもなんだけど、私には才能があったらしい。

15歳で、飛び級で高校に進学した私は、クリスマスの夜、ジェームズ博士の自宅に招待される幸運に恵まれた。

博士と優しい奥様、そして博士の愛犬、セントバーナードのジョリーとともに過ごした夜は、私にとって最高のクリスマスプレゼントになった。

カリフォルニア工科大学の教授でもあった博士から直接誘われた私は、その次の年、16歳にして、再び飛び級でカリフォルニア工科大学に入学する事が出来た。


入学後は、ジェームズ博士の研究室に入り浸る日々。

18歳で修士課程を修了した私は、正式に博士の研究室のメンバーになった。

私達の研究テーマは、高次元の海に浮かぶ別のBraneの検出。

そのカギとなるのは、自由に高次元の海を渡り、Brane間を行き来する事が可能な重力子だ。

研究の過程で、私達は異常な重力波の検出に成功した。

明らかに私達のBrane由来では無い重力波。

そしてそれを私達の世界へと伝えて来た別のBraneに由来すると思われる重力子の存在。

8月23日、私の20歳の誕生日、私達はついに、その重力子の発信源と思われる別のBraneの特定に成功した。

さらなる解析結果は、その重力子の挙動が、明らかに自然現象では説明がつかない事を示唆していた。


重力子を自在に操り、私達の世界に干渉しようと試みている“知性ある何者かオズの魔法使い”が存在する!


そして……


太平洋標準時10月31日午後1時23分。

大気圏外すれすれ、事前に博士が計算していた通りの位置に、忽然と“小惑星”が出現した。

直後、小惑星は自壊し、無数の破片が全世界に降り注いだ。

世間がパニックに陥り、政府が懸命にそれを制御しようとする中、ジェームズ博士を始めとする私達の研究グループは、直ちに行動を開始していた。


目的地は、大学から車で3分程度の場所にある小さな公園。

そこは、大学から一番近い破片の落下地点。

ジェームズ博士を含めた私達5人が現場で見たのは、陽炎のように揺れ動く、空間の歪みであった。

興奮を抑えきれない私は、博士に声を掛けた。


「あれは、ゲートでしょうか?」


かねてからこの日が来る事を予期していた私達は、別の世界或いは空間同士を繋ぐ関門をゲートと呼んでいた。


「それを確かめてみよう」


ジェームズ博士はニヤリと笑うと、直ちにDID次元干渉装置の設定を始めるように、私達に指示を出した。

まだプロトタイプ試作段階とはいうものの、この機器を使用すれば、対象がゲートなのか、ゲートだとしたら、その向こう側がどんな環境になっているのか、ある程度推測する事が可能になる。

DID次元干渉装置による測定結果は、目の前の空間の歪みが確かにゲートである事、その向こう側に、私達が活動可能な環境が広がっている事を示唆してくれた。

今まで理論上だけの存在だったゲートが、ついに目の前の現実として存在する事実に、私はかつてない高揚感を覚えた。


「博士、直ちにこの向こう側を調べるべきかと」

「ティーナ、向こう側が安全かどうか分からない。ここは州政府に連絡して、協力を仰ごう」


数時間後、日も大分西に傾いた時間帯、念のため酸素ボンベと防毒マスクを身に付けた私達は、州知事が派遣してくれた5名の屈強な州兵達と共に、ゲートの向こう側に足を踏み入れた。


ゲートの向こう側は、白い大理石のような素材で構成された神殿のような構造物の中であった。

壁や天井が燐光を発しており、照明器具無しでも、行動に支障をきたさない程度の明かりは確保されていた。

環境測定の結果は、上々であった。

気温20℃、内部大気の組成、気圧、重力等、驚くほど地球のそれと酷似した環境が広がっていた。

ただし、電子制御の精密機器類は、理由不明に使用不能となっていた。

そのままサンプルを採取しながら慎重に進む事10数分……


―――ギエギエギエ!


耳障りな叫び声と共に、何かが私達に襲い掛かってきた。

それは人の背丈ほどもある、二足歩行する巨大なネズミの化け物であった。

2本の門歯はナイフのようにとがり、その黒光りする体毛は何かに濡れてぬらぬら光っていた。

州兵の一人が、落ち着いた様子でM4カービンアサルトライフルの引き金を引いた。

しかし……


「ぎゃああああ!」


M4カービンの引き金を引いたはずの州兵の一人は、巨大なネズミの化け物に伸し掛かられ、あっという間に引き裂かれてしまった。

州兵達が騒ぎ出した。


「まずい! 銃器が使用不能になってるぞ!」


州兵達は、腰のナイフを抜き、ネズミの化け物に対峙しようとしていた。

私は博士をかばいながら、仲間達と共に出口に向かおうとして……


唐突に自身の内なる“能力”に気が付いた。


体が自然と動き、私は右手を高々と掲げていた。

巨大なネズミの化け物に重力子がまとわりついていくのが“視えた”。

強力な重力場の檻の中に閉じ込められた形になったネズミの化け物が悲鳴を上げた。


―――キキキィィ!


そのまま私は文字通り、ネズミの化け物を“握り潰した”。

盛大な血飛沫が舞ったけれど、次の瞬間、それら全てが光の粒子となって消えて行った。


綺麗……


場違いな感想を抱きながら、しかし、いつの間にかその場にへたり込んでいた私に、州兵の一人が手を貸して立たせてくれた。


「今のは……」


呆然と呟く仲間の一人が、しかしふと気付いたように何かを詠唱した。

彼女の前に、まるでファンタジー小説に出て来そうな位美しい魔法陣が出現した。



世界中でのゲートの出現と同時に、私達にも変化が訪れた。

まず個人の能力が、ステータス値という形で固定化された。

加えて、人類の半数は、異能としか表現できない“能力”の使用が可能になっていた。

私はこの方面においても幸運に恵まれた。

私のステータス値の平均は、100を優に超えていた。

私が獲得したのは、重力を操る能力。

対象の時間を遅らせたり、特異点を創り出してモンスターを消滅させたり、はたまた相手の記憶を探る事まで出来るようになっていた。

最近になって、離れた地点間を結ぶワームホールまで創り出せるようになった。

それは好きな時にパリでランチを楽しみ、タヒチで熱帯の海に遊ぶ事が可能になったと言う事だ。

ただ残念ながら、『オズの魔法使い』に会いに行く事はまだ出来ていないけれど。


身分的にも多少の変化があった。

私のステータス値と能力を総合的に勘案すると、私は合衆国最強のS級という事になるらしい。

“なるらしい”というのは、私達S級に対してすら、合衆国政府は色んな情報開示を渋っているからだ。

もっとも、私は“能力”によって、色々“教えて”は貰っているけれど。

そんなこんなで、今の私はジェームズ博士の研究室に所属したまま、国家緊急事態調整委員会ERENの東アジア部所属の調査官の仕事もこなしている。


日本の富士第一ダンジョンにやってきたのは、そのERENの仕事の一環だった。

そして私は彼と運命的な出会いを果たす事になった。

黒髪、中肉中背の平凡な日本人。

しかし彼は、その平凡な見かけからは想像もつかない秘密を隠し持っていた。

私が“能力”で覗けたのはそのほんの一部だけ。



今、私の目の前には、彼の“能力”を私の“能力”で増幅する事により創り出す事に成功した全く新しいゲートが存在している。

この向こう側にこそ、私が長年追い求めて来た『オズの魔法使い』が待っているかもしれない。

実験に同席した日本のS級、サイバラ達といくつかのやりとりを行った後、私は彼に囁いた。


「あなたの魔力に反応して生成されたゲートです。ついてきて貰えますね?」


……そして私は彼、タカシ=ナカムラと共に、ゲートの向こう側に向かう事になった。


  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

そして僕等は彼に出会う 風の吹くまま気の向くまま @takashi21

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

フォローしてこの作品の続きを読もう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ