第2話

 元々、家同士が決めたもので、恋愛感情はなくても構わない婚約だった。

 仕事と同じだ。仕事を務めるために、婚約、結婚という手順が必要で、そこに情は関係ない。


 王太子妃に相応しい教養を。血の滲むようなたゆまぬ努力を積み重ねていった。

 初めはどうしてこんなことをするのか分からずに、眠ったフリをしながら泣いたこともある。


 初めて殿下にお会いしたのは10歳の頃だ。殿下は13歳で、その頃から整った顔立ちをしていた。


「お初にお目にかかります。私、クレヴァリー公爵家のレオーネ・クレヴァリーと申します」

「私はアルフレッド・ヴェーネルト。本日はよろしく」


 よろしく、と言うくせに、こちらを一目見たかと思えば、殿下はふっと視線を逸らして庭園の薔薇を眺めた。


 その横顔は幼いながらにして神秘的な美を秘めていた。

 艶のある長髪が風に揺れて美しかった。薔薇を見つめるその瞳も、宝石のように輝いていつまでも見つめていたくなる。


 ぽっと自分の頬が赤らんでいくと同時に、気味の悪い不快感が肌を這う。


 微笑まず、微動打にしないその姿はまるで絵画か、人形のように無機質なものだった。


 まるで心が無いみたい。


 美しいけれど、心が存在しない王子様と婚約をした。初めの内は本気でそう思って軽い絶望に目眩がした。

 けれど、勿論殿下にだって心はあった。

 いつだったか、殿下から贈られたブローチを付けてパーティに出た時だった。


「……付けているのか」


 主語のない言葉に初めは困惑したが、殿下の視線にブローチのことを言っているのだと気づく。


「ええ。殿下からの贈り物ですもの」

「そうか。似合っている」


 ふっと緩んだ顔に見惚れた。

 いつもはこちらを向かない視線が、はっきりと私を見て、柔らかく眦を下げて微笑んでいた。


 殿下も笑うことがあるのか。

 そんな当たり前のことを考えて、安堵した。私は人形と婚約したわけでも、ましてや心の無い王子様と婚約したわけでもなかったらしい。


 それから、不器用な優しさを少しずつ与えられた。

 言葉は少なかったが、手紙をしたためてくれた。贈り物もあった。もしかすると殿下が用意したものではなかったかもしれない。それでも心遣いが嬉しかった。

 パーティの時は必ず私の容姿を一度は褒めてくれた。エスコートだって優雅で素敵だった。

 殿下の努力を僅かながら見かけたこともあった。

 時々寂しそうな、諦めたような顔をされて、気になった。


 いつしか殿下を支えたいと思うようになった。心安らぐ一時を少しでも過ごせたら。たまに陰るその表情を明るいものへと変えられたら。


 婚約者だからという理由抜きで、私自身が殿下に惹かれた。


「お前も可哀想な女だな、レオーネ」

「藪から棒に。どうしたんですか、アル」


 人目のないところでは、私達は砕けた口調で話した。

 この時、婚約を結んで五年は経ったはずだ。

 椅子にもたれかかり、酷く疲れた様子で殿下――アルは私を見た。憐憫の情がその瞳に浮かんでいる。


「お前は、努力をしている。ゆくゆく王妃となるために、ひたむきに努力を重ねている。……俺はそれが無駄になるのが惜しい」

「……私に、なにか、不満があるのですか?」


 無駄になる。

 聞き逃せない言葉だった。

 震える口で不満があるのかと尋ねれば、アルはゆっくりと首を横に振った。


「俺の問題だ。お前は何も関係がない。だからこそ――レオーネ、俺はお前が哀れで、愛おしいと思っている」


 眉を下げ、困ったように笑うアルに、私は口を噤んだ。

 きっとどれだけ聞いても、アルは深くは話さないだろう。それでもその糸口だけは話してくれたのは、私に対する信頼からか。


「いつでも、頼ってください。私は、アルの婚約者です」

「ありがとうレオーネ」


 アルは酷く優しい手つきで私の髪を撫ぜた。それに泣きたくなった。柔らかな拒絶だと知っていた。

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幽霊公爵令嬢は声を届けたい nero @nero-

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