幽霊公爵令嬢は声を届けたい

nero

第1話

 公爵令嬢と王太子殿下は婚約関係にあるが、仲が悪い。密やかに流れている噂であり――明確な事実だった。


「レオーネ嬢。今晩の夜会についてだが……」

「ええ。殿下のお傍に行きますわ。自由に行動なさるなら、折を見て具合が悪いと言って抜け出しますので……その後でお願い致します」

「そうか。助かる」


 助かるですって? 助かる?

 よくもまぁ、ぬけぬけと、そのような呑気な台詞を吐けたこと。


 招待状を握る手に力が入る。出来ることなら顔の整った殿下を平手打ちしたい。顔を見るだけでムカムカとした苛立ちが腹の奥底から湧き上がる。


 婚約関係にあるのだから、体裁を保つためにも二人は仲睦まじく出席しなければならない。

 共に寄り添い、時に踊り、談笑し、挨拶をする。

 夜会の途中で離れるのは、険悪な関係だと示していることに他ならない。


 それをこの男は! 私達は険悪な関係だと言いふらすようなことを! 容認すると!

 言い出したのは私だが、受け入れられたらそれはそれで腹が立つ。


 そもそも言い出したきっかけは殿下の態度にある。

 殿下は私のことを好いていないどころか嫌悪している。ましてや別の女に懸想している。最悪だ。


 夜会が終わるまで共にいるというのは、殿下にとって耐え難いだろう。そんなことを考えて、私は身を引いたのだ。


「殿下、ドレスの色は紺青色と紫苑色でしたらどちらがよろしいでしょうか」


 なんてことなさそうに訊く。内心、ばくばくと心臓の音が煩かった。

 答えてくれた方を着ていこう。私は殿下の言葉を待った。


「……赤色の方がまだマシだろう。寒色系は似合わない」


 二択すらマトモに選べない殿下に鏡を突き付けてやりたい。

 貴方の髪色か、瞳の色かを問いたのですけれど?


 殿下のお気に入りの女性の姿を思い出す。彼女にはよくふわりとした紫苑色のドレスを身に付けさせているくせに。

 私には、赤色ですって? この真っ赤な血の色のような瞳を揶揄してのことだろうか。そうであれば尚更腹が立つ。


「……そうですわね。紺青色も紫苑色もアネッサ嬢の方が似合いますものね。失礼致しました。ドレスの色は赤にしますわ」

「どうしてそこでアネッサ嬢が出てくる」

「ご自身の胸に手を当てて考えてくださらない?」


 嫌味を吐いて「では今晩はよろしくお願い致します」と笑顔を作る。殿下は眉を寄せた。その表情ですら整っているのだから、世の中ってやつは不平等だ。


 殿下と会話する度、いつもこうだ。言動の全てに腹が立って、苛立って、悲しくなる。

 アネッサ嬢を考えないで。婚約者なのだから、せめて夜会の時ぐらいは私のことを考えて。そう言いたいのに、臆病な私は攻撃的な言葉を口にすることしかできない。

 もし懇願して、手を振り払われたら。私はお飾りの婚約者という立ち位置すら捨てたくなる。


 お慕い申しております。

 想いは単純で、この一言に尽きた。

 けれど口にするには、私は臆病者だった。


 いつかこの婚約は解消されるだろう。先の見える関係に、いつかこの想いを言わなければ後悔するという予感もあった。


「お慕いしております。アルフレッド殿下……アル」


 一人で口にすると、やけに呆気なく音は消えていった。

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