ぶらぶらぶらんこ
真田真実
ぶらぶらぶらんこ
小学校の裏山に不審者が出るというメールが来たのは今週の初め頃だった。
友だちと行くようになった1年生の娘、ふたばに知らない人にはついていかないよう、よく言い含めて送り出し、私は朝食の片付けをしながら遠い昔を思い出していた。
あれは私が娘と同じ小学校に入り毎日何をして遊ぶかばかり考えていた頃…。
その日、いつも一緒に帰る友だちが風邪をひいて休んでいた。
私はひとりいつもの道を帰っていると向こうから知らないお兄さんが笑顔でやってきた。
こんにちは、ひとみちゃん
こんにちは、お兄さん誰?
名前を呼ばれたのでお父さんかお母さんの知ってる人だと思い立ち止まってしまった。
今を思えば名札にも帽子にも名前が書いてあるというのに。
裏山でぶらぶらぶらんこ遊びをしよう。
ぶらぶらぶらんこ?
その響きに強く惹きつけられる。
そう、木に縄をかけてぶらぶらぶらんこするんだ。ひとみちゃん、ぶらぶらぶらんこしたくない?
したい!
私はお兄さんについて裏山の奥へと向かった。
この木でぶらんこしようか?
待ってて準備するから。
藪の中から脚立と縄を引っ張り出すとお兄さんは木の根が飛び出す足場の悪い地面に脚立を立て木に縄を掛ける。
ぶらんこにしては縄は短く乗るスペースも小さい。
お兄さん、ぶらぶらぶらんこってどうやって乗るの?
ちょっと待って…。
慣れた手つきで縄を掛け輪のところを引っ張り確かめるとお兄さんは輪っかから顔を出して笑う。
ひとみちゃん、ちゃんと見ててね。
がたんっ
お兄さんは脚立を蹴った。
地面を探す白いスニーカーは空を蹴り、笑顔だったお兄さんの顔色はみるみる赤黒く変わり涙や鼻水とともに充血した舌と目玉が飛び出した。
また、無意識に食い込むロープを解こうとする両手で引っ掻いた首には爪の跡がいく筋もつき、そこからは血が吹き出す。
ぐっ、ぐっ、ぐえっ…
やがてお兄さんは蛙の潰れたような声を何度かあげると動かなくなった。
私は何が起きたのかわからないまま木にぶら下がってぶらぶらぶらんこするお兄さんを見ていた。
しかし、お兄さんが死んでいるということだけは子供の私でもわかった。
だんだんと日が傾き始め辺りが暗くなってくると急に心細くなり私はランドセルを背負い裏山から逃げるように走り出した。
帰り着いたら母が半泣きで待っていた。
今まで何してたの!
玄関先で強く抱きしめられる。
ぶらぶらぶらんこ…。
私はそれだけ言うと急に恐怖が体の中からこみ上げてきて母にすがりついて大泣きした。
それから1週間ほど熱を出し寝込んだが、その間にお兄さんのことは自殺として新聞の地方欄の片隅に小さく載って終わっていた。
あれから時々、ぶらぶらぶらんこする前のお兄さんは夢に出てきたが怪奇現象が起きるわけでもなく平凡に暮らし私は今の小さな幸せを得た。
あっ
手を滑らせ皿を割ってしまった私は慌てて拾おうとして指を切った。
指先からぷっくりと血の玉が滲むのをしばらく見ていたがパートまであまり時間がないと慌てて絆創膏を貼り出かけた。
ひとりで死ぬのが嫌なら先に私を括ればよかったのにあの男は私に見せつけるようにしかも笑いながら首を括り死んでいった。
いまでもあの男が何故私の前で首を括ったのかわからない。
私を連れて行った意味が…。
パートを終えると時刻は16時を回っていた。
いつもは15時で帰るのだが、急な残業で1時間も遅くなってしまった。
念のため鍵を渡しているので普段なら慌てないのだが、不審者情報のこともあるのでできれば今日は学校まで迎えに行きたかった。
私は急ぎ家に戻ったが、娘は帰宅してなかった…。
いつも一緒に帰るゆうちゃんママに電話するとゆうちゃんは風邪でお休みしたという。
私はゆうちゃんの体調を気遣う言葉を告げ電話を切った。
私の時と同じ…。
私はスマホだけ握ると家を飛び出した。
まだいなくなったわけじゃない、どこかで遊んでるかもしれないし…。
角の家のわんちゃんを見てるかも…。
いろいろ考えれば考えるほど、ふたばが寄り道などしないという確信に変わっていく。
もしかして、私によく似たふたばを連れて行くのではないか…。
私の頭の中は嫌な予感でいっぱいになり、夫にふたばが帰ってこないので早く帰ってくるようにラインをすると迷わず裏山へと行き先を決めた。
息を切らして裏山へと到着したときはすでに日は落ちようとしていた。
ふたば!いたら返事して!
私は声を限りに叫んだが裏山は静まり返っている。
あの日以来数十年ぶりにくる裏山は夜の闇に吞まれ辺りはすっかり暗くなった。
この季節にありがちな湿気を孕んだぬるい風が吹く中、私は藪をかきわけ声を出し続ける。
ひとみちゃん…
さっきよりずっと嫌な風が強く吹きつけてくる中、風に乗ってかすかに聞こえた声…。
私は身を固くして振り返るがただ闇が広がるばかりで誰もいなかった。
気のせいか…怖いと思うから聞こえるはずのない声が聞こえるのよ。しっかりしなきゃ。
そう自分を奮い立たせ先に進むため振り返ろうとしたときだった。
ひとみちゃん…
視界の端に白いスニーカーが宙に浮いているのが見えた。
私は怖くて仕方がないのに白いスニーカーから上へ上へと目で追う。
そこにはあの日のままの姿でお兄さんがぶら下がっていた。
私は声を出せずその場に座り込むとお兄さんは目玉と舌を出したまま私に話しかける。
ひとみちゃん…ぶらぶらぶらんこの続きしようよ。
あのまま帰っちゃってここに来てくれないからお兄さん、待ちくたびれちゃった。
私は喉の奥から声にならない悲鳴をあげ後ずさりをする。
もうどこにも行かないで…お兄さんと遊ぼ…。
私は正気を失いそうになりながらも必死に逃げようとするが腰が抜けて全然進まない。
逃げないと…それだけを考えているのだが、目の前のお兄さんから目が離せずにいる。
さぁ…ひとみちゃん、遊ぼ。
木にぶら下がっていたお兄さんがいつのまにかすぐ目の前まで来ている。
私はいつしか木の根元まで追い詰められていた。
ひとみちゃん…
どす黒い舌を出したまま笑うお兄さんを私はただ見つめるしかなかった。
お母さん、遅いね。どこに行ったのかな?
何度電話しても出ないんだよ。そろそろ探しに行かないとお母さん、迷子になってるかもしれないね。
忘れ物を取りに戻り、ひとみと行き違いで帰ってきたふたばは早く帰ってきた父親とひとみの帰りを待っていた。
その頃、裏山ではスカートをひらひらさせて
ぶらぶらぶらんこをするひとみの姿があった…。
さて、つぎはだれとあそぼうかな…。
ぶらぶらぶらんこ 真田真実 @ms1055
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