第41話 ほん、という字は本と書いてホンと読む

木という漢字の下に漢数字の一を付け加えると本という漢字になる。


やがて本という漢字は棒のように細い物や書物などを数える際の単位として使われるようになり、そこから転じて書物のことを本と呼ぶようになったのが本という漢字の成り立ちだと言われているそうだ。


本。一般的に複数枚の紙の端を綴られた書物をそう呼称する。本の歴史は非常に長く、古いものだと紀元前にまで遡る。


当時は紙などまだ知られてもいなかった時代、人々は歴史や記録、技術などを後世に伝えるために植物(古代エジプトのパピルス書物)や動物の骨(古代中国の甲骨文字)、粘土(メソポタミアの粘土板文書)などに文字を刻み、やがてそれらの記憶媒体が本の原点になったのだという。


やがて時が流れて紀元前2世紀頃になると薄さと表裏の両面に書くことと折り曲げることが可能な半皮紙(羊やヤギの皮を使いやすく加工したもの)が小アジアのペルガモンでエウメネス2世の手によって開発されたことで利便性に富んだ半皮紙が本の主材料として1500年に渡って独走し続けることとなった。


この半皮紙の台頭により、それまで巻く本だった本の体裁は綴る本へと変化していき、俺たちのよく知る冊子本や紙本となって今日までに至る。


これは余談だが俺が思うに本と人は心と身体が一心同体であるように人もまた本と深い繋がりがあるのではないだろうか。


人類がまだ文字を書き写す文化が根付いていなかった太古の時代、自分たちの思いや考えを口でしか伝えることができなかった彼らがそれらを何世紀先まで残るように書き記した書物は、もはやただの記憶媒体だけに留まらず、その粋を超えて人間の心や身体の一部、しいてはその人間そのものとも言えるのではないだろうか。


過去の人間たちがこれまで歩んできた確たる証、故にそれらは絶ちきっても絶ちきれるものではないし、絶ちきるべきものでも断じてない。本を燃やしたり処分すること、それはすなわちその人間の完全なる死と同義しても過言ではないだろうか。


俺は昔から本を読むことが好きだった。読んで書くと書いて読書。人類が何千年に渡って積み上げてきた歴史の欠片であるそれらを紐解くことが俺の数少ない趣味のひとつだ。


本を開いた瞬間から紡がれる物語、それを綴った人間の人生観に経験や体験、それらがたった一冊の本に全て詰まっているのだ。


終いには読んだ者の人生すら変えてしまうそんな摩訶不思議で奇想天外な物体に興味を持たない訳がないだろう。


そんなこんなで俺は今日も自宅のリビングでソファに腰掛けながらコーヒーを片手に読書へと没頭している。


どこかの誰かが言っていた、紙の本を読め、電子書籍は味気ないし新鮮味がなくてつまらない、本はただがむしゃらに字を読んでいけばいいという物ではない、と。


全くもってその通りだ。こうして実物を手に取って読んでいると改めてそれを実感させられる。


なんて言えばいいのだろうか、本を手に取った時の手触り?感触?それらが都会から実家に帰ってきて母親の手料理を久しぶりに食べた一人暮らしのサラリーマンのように懐かしく感じてしまうようなあの感覚が妙に心地よいのだ。


なぜ?と聞かれても上手く答えることはできない。ただ俺個人の見解としては遥か昔から脈々と現代まで受け継がれてきた人間の記憶、本能的なものから来ているのではないか?だからこのようにどこか懐かしさを覚えてしまうような感覚に陥るのではないか?少なくとも俺自身はそう思っている。


より安全に、より多く、より楽しく、より速く、より快適に、より豊かに、より幸せになりたいがため常に進化し続けてきた人類は長きに渡る歴史の中で古い製品や商品、非効率的な技術、時代遅れな思想といった無駄なものを切り捨て、新しく効率的な最先端の製品や商品、技術などを積極的に取り入れていくことで自分たちの生活水準を今日まで飛躍的に向上してきた。


にもかかわらず、なぜ本などという過去の遺物が技術革新の手によって淘汰されず現代まで生き残り続けているのか。


ある精神科医が調べたところ、面白いことに全体の9割の人間が紙の本を読んでおり、電子書籍は残りの1割だけだったという。しかもそれだけではなく、紙の本が電子書籍よりも内容が記憶に残りやすいという結果まで立証されているらしい。


この理由としてはまず、電子書籍は端末の発するブルーライトなどで疲労が溜まりやすいこと、それにより集中力が低下し読み飛ばしが発生すること、紙の本に関しては本の厚さや重さ、表紙や外観などを目で見て直に触ることで印象や記憶に残りやすいことなどが挙げられている。加えて電子書籍とは違い、パラパラと一気読みできることで断片的ではあるがスラスラと内容が入りやすいことも理由のひとつだろう。


この話をここまで読んでいる人からすれば紙の本ばかりが優遇されているように見えているが何も電子書籍は悪いことばかりだから止めたほうがいいという訳ではない。俺は紙の本派だが世の中には電子書籍の方が読みやすいという人間だって絶対にいないとは限らないのだから。


要は好みの問題である。五感を刺激することで記憶に残りやすい紙の本が好きなら紙の本を読めばいいし一度に大量の作品を端末に保存して持ち運べることでいつでもどこでも読書を楽しめる電子書籍が好きなら電子書籍を読めばいい。


読書は人間にとって心の食事、癒し、拠り所、言い方は色々あれどそれを楽しめるのならば紙だろうが電子書籍だろうがどちらでもかまわないことなのだから。


地球誕生から今なお止まることを知らない人類の進化、高度に発達してきたその文明の影には一冊の本が大きく関わっており、そしてそれらは決して切り離せはしないし切り離してはいけないものだと俺は思っている。


ってカッコつけて言ってみたかっただけの話。

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異世界帰りの憂鬱 たーばら @abcd01

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