人工天使奪還

デッドコピーたこはち

人工天使奪還

 偉大なる魔導士ジュハの空間転移陣、その失敗が偶然引き起こした異世界との接続は、全く新しい技術体系の流入をマバラの地にもたらした。異世界より来た『科学』とマバラの地に古くから伝わる『魔導』との奇跡的な邂逅は『魔導科学』を産み、『魔導科学』はマバラの新たな栄光と繁栄の礎となった。クト=イハはそうしてできた都の一つである。

 クト=イハは荒涼たるセルへ砂漠の中に建てられた要塞都市であり、サンドワームやならず者たちの襲撃を退けるために、四方は高い城壁に囲まれ、その城壁の四隅には円柱状の監視塔があった。街の中心には、それらよりも高く『給水塔』が聳えている。『給水塔』には、クト=イハの支配者であるイハの一族が住んでいた。クト=イハにある水は、一滴も例外なく『給水塔』で組み上げられたものであり、『給水塔』の実権を握っているイハの一族には、街に住むだれもが逆らえなかった。


 夜の帳がおり、月の光が降り注ぐクト=イハの中心街は人々で溢れかえっていた。無慈悲な太陽が幅を利かす日中は、人々が外で活動するには暑すぎる。クト=イハで人々が外に繰り出すのは、もっぱら日が沈んでから、慈悲深い月が顔を出してからのことだった。

 中心街に立ち並ぶ商店では、西からきた珍品と東からきた奇貨が盛んにやり取りされ、路地に配置された冷光灯の緑色の輝きが怪しく人々と街並みを照らしている。そんな中心街の一角、砂に塗れた一軒の酒場の前にひとりの男がいた。その男はキャラバンでも、街の住民でもなかった。その男の名前はラルフと言ったが、その名を知るものはラルフ本人を除いて、だた一人だけだった。

 ラルフは『銀のサソリ亭』と書かれた看板を一瞥し、砂混じりの風に黒いコートをはためかせて、その店内に入った。

 店内は薄暗く、酷いにおいがした。クト=イハではおなじみの酒と汗と香のにおい。クト=イハの労働階級の人間は滅多には風呂に入らない。水があまりにも高価だからだ。きつい体臭を誤魔化す為に、みな安い香を焚きしめた服を着ているのだった。しかし、大抵は体臭と香のにおいが混じりあい、よりひどいにおいになっている。

 つまり、この店は外からきた商人ではなく、地元の住民たちが主に使う酒場だという事だ。

 ラルフは店内を見まわした。カウンターには酔いつぶれてに突っ伏している男が数人、テーブル席にはカード遊びに興じている皮鎧を着た男たちの一団がいた。男たちはラルフのことを訝しげに睨みつけた。ラルフは男たちの視線を気にも留めず、カウンターの方に向かった。カウンターの中には髪の薄いやせぎすの店主が居て、グラスを薄汚れたぼろきれで磨いていた。

「ワインをくれ」

 ラルフはカウンターの丸椅子に座りながら言った。

「もっと強い酒もあるぜ」

「いや、ワインが良い」

 店主はふっと鼻を鳴らし、グラスにワインを注いでラルフの目の前に置いた。ラルフはそのワインを一口飲んだ。ワインは酷く埃っぽいにおいと、妙なえぐみがあった。ラルフはこのワインが水以下のなにかで薄められていることを確信した。

「ところで、俺はこの街の領主に会いたいんだ。どこに居る?」

「井戸守さまならあのデカい『給水塔』に居るが、会えやしないさ」

 店主は答えた。

「なぜだ?」

「お忙しいからさ」

「お前井戸守さまに用があるのか?」

 ラルフが声の方向に振り向くと、皮鎧を着た男たちの一団が居た。

「そういうお前たちは何者だ?」

「オレたちはこの街の警備隊だ。最近、井戸守さまに盾突くアホが多くてな、大忙しなんだ。お前みたいなよそ者はよくトラブルの元になる……お前もその口なのか?」

 男たちの中でリーダー格らしきスキンヘッドの男が言った。

「俺はただその井戸守さまってやつに返して貰いたいものがあるだけだ」

「ほう?お前みたいなウジ虫が何を貸すってんだよ」

「貸してるんじゃない。奪われたんだ」

「井戸守さまは何も奪わない。本来、この街にあるものは全部井戸守さまのものだからだ。妙なこと言ってると反抗罪でしょっぴくぞ。」

「断る」

 ラルフが言った。すると、スキンヘッドの男が腰のホルスターから拳銃を抜いて言った。

「なあ、こいつを見ろ。最新式の回転式拳銃だ。しかも、こいつに詰まってるのはタダの弾丸じゃない。矢よけ封じの刻印がしてあるんたよ。つまり、この銃は魔導じゃ防げない。撃たれたら死ぬしかないのさ……。わかったか?このクズが。さっさと失せな」

「そういう訳にもいかん」

 ラルフはいつの間にか拳銃のようなものを持っており、それを警備隊の男の胸に突きつけていた。

 ラルフの銃は実に奇妙だった。銃全体が黒御影石の様な質感をしていて、てらてらと光っている。それは、銃把の先に長方形をくっつけたようなシンプルな形状をしており、撃鉄も輪胴もなく、銃口すらもない。唯一、複雑そうなところは銃把の根元にある11段階のダイヤルだった。そこには、-5から+5までの数字が振られていた。

 ラルフは親指でダイヤルを回し、『2』に設定した。

「なんじゃそりゃ。おもちゃの拳銃が脅しになるとでも思ったか?」

 スキンヘッドの男はおおよそ銃には見えないラルフの銃を見て、鼻でわらった。

「その銃を下ろして、俺を『給水塔』まで案内したら許してやる。さもなければ、痛い目を見ることになるぞ」

「お前、状況分かってんのか?」

「警告はした」

 ラルフは引き金を引いた。すると、スキンヘッドの男が凄まじい勢いで後ろに弾け飛んだ。

「ぐえ」

 スキンヘッドの男は壁に叩きつけられ、カエルが潰れたような声を出した。それを見た他の警備隊の男たちは目を丸くして、自分たちの銃をホルスターから取り出そうとした。しかし、その前にラルフは目にもとまらぬ早撃ちで、三人を吹き飛ばし、残りの一人が手に持った銃を弾き飛ばした。

 ラルフはひとり残った警備隊の男に銃を向けた

「こいつは厳密に言えば銃ではない。指向性引斥力発生装置だ」

 警備隊の男は瞬時に両手を挙げた。男の額には玉の様な汗が浮かんでいた。

「こうやって、出力を上げれば――」

 ラルフはダイヤルを『5』に設定した。

「さっきのよりも強力な斥力を発生させて、お前の母親でも見分けがつかないぐらい粉微塵に吹っ飛ばしてやることもできる。されたいか?」

「い、いえ」

 男は激しく首を横に振った。

「じゃあ、ちょっくら『給水塔』まで案内してくれ」

 ラルフは笑みを浮かべた。口角が引き裂かれるのではないかと思うほど、口元を釣り上げた攻撃的で悪魔的な笑みだった。男は激しく首を縦に振りながら、自分のズボンの中が濡れていくことを自覚した。

 

 イハの一族の頭領、『井戸守り』と呼ばれるシン・イハは『給水塔』の上層階にある執務室に居た。壮年に差し掛かったシンには、紅顔の美少年であったころの面影はもうない。黒々としていた髪には白いものが混じり、引き締まっていた肉体にはでっぷりと脂肪が付き、礼服を内側から丸く押し上げていた。

「いいか?執行官。211年前、わたしの先祖であるオン・イハが魔導科学を駆使して井戸を掘り、宿場町をつくったのがこのクト=イハの始まりだ。これにより、セルへ砂漠を突っ切る新しい交易路ができ、クト=イハはその中継地として発展した訳だ」

 シンは執務机に座り、立たせた執行官に対して机ごしに語りかけた。

「はい、存じております」

 執行官は答えた。執行官の顔には疲れと、諦めと、シンが気付かない程度の嘲りがあった。

「それ以降、我がイハの一族が『井戸守り』となり、オン・イハが遺した大喞筒ポンプの使い方を継承し、この街と井戸を守ってきた。大喞筒ポンプの拡張を行い『給水塔』を建て、より多くの清水を民に供給できるようにしたのも我が一族だ。クト=イハの繁栄は我が一族の功績だ。故に、この街を統治する権利は当然わたしにある」

「はい、その通りです」

「じゃあ、なぜわたしの決定に従わない連中が居る?なぜ、『水が高すぎる』などと言い出す奴らが居るんだ?」

「それは――」

 執行官が言葉を紡ごうとしたその瞬間、どこからか爆音が聞こえ、僅かに振動も伝わってきた。

「今のはなんだ?」

「どうやら、この『給水塔』に無理矢理入ろうとしている輩がいるらしく、ただいま警備隊に対処させている所です」

「はあ、また陳情というやつか。まったく、けしからん。先代は民を甘やかしすぎた。もっと、締め付けを――」

 次の爆音はもっと近かった。連続して爆音と振動が響き、執務室のドアがいきなり開いた。執務室のドアを蹴破って入ってきたのは、ラルフだった。ラルフはほぼ全身に血糊をこびり付かせていた。ラルフは呆然として動けないシンと執行官をみた。

「どっちが『井戸守り』だ?」

 ラフルは指向性引斥力発生装置をシンと執行官へ交互に向けて言った。

「警備隊は何をしている!」

 シンは立ち上がりながら叫んだ。

「わかった。そっちが『井戸守り』だな。お前は外に出てろ」

 ラルフは執行官に指差して言った。執行官は一瞬戸惑ったあと、一目散に執務室を出て行った。

「警備隊の連中はどうした」

 残されたシンは言った。

「廊下で伸びてるか、逃げちまったよ。あいつらは士気が低いな。あんたの人望の無さがわかるぜ」

「なにが目的だ?金か、水か、私の命か?」

「人工天使」

 ラルフがそう言うと、余裕のあったシンの顔色が一瞬で変わった。

「お前、どこでそれを……」

「この規模の給水施設には莫大なエネルギーが必要だ。その供給源として人工天使をつかってるんだろう?違うか?」

「お前、どこまで知ってる!大喞筒ポンプの緒元は我が一族以外には秘匿されているはず……。何者だ」

「あんたの先祖と知り合いでな」

「まさか、オン・イハと……」

 シンは唸るように言った。

「人工天使はどこに居る?案内してくれ」

「断ると言ったら?」

「そうだな……あんたを殺してから、ゆっくり探すさ」

 ラルフは凶悪な笑みを浮かべて言った。シンは生唾を飲んだ。


 ラルフはシンに導かれるまま、『給水塔』の最上階に来ていた。上層階には、真鍮でつくられた配管がまるで血管の様に張り巡らされていた。真鍮の配管には、魔導の刻印が刻まれており、魔力の光で輝いていた。

「ここが大喞筒ポンプの動力炉、その核心コアだ」

 シンは部屋の中央にある大きな真鍮製の球体を指差して言った。球体には、太い真鍮の配管が何本か接続されており、ラルフはそれをみて、まるで心臓のようだと思うと同時に、シンが嘘をついていないことを確信した。

「なるほどな。よし」

 ラルフは核心コアに指向性引斥力発生装置を向け、ダイヤルを親指で回して『-4』に設定した。

「今助けてやる」

 ラルフが引き金を引こうとしたそのとき、最上階に銃声が響いた。

「油断したな」

 シンの右手には小さな拳銃が握られていた。後込め式二連装の護身用拳銃の銃口からは硝煙が立ち上っていた。

 シンはラルフの意識が自分から逸れるのをじっと待っていた。ラルフが核心コアに意識を向けるのを見逃さず、自分の袖の中に隠しておいた拳銃でラルフの額に鉛玉を撃ちこんだのだ。

 ラルフの額に開いた穴から、血が一筋滴った。その血はラルフの鼻を右にそれて流れ、唇に達する手前で、重力に逆らって上へ昇り始めた。

「!!」

 シンは驚愕した。滴った血が額の穴に戻っていき、ひしゃげた鉛玉が額の穴から押し出された。そして、額の穴自体もみるみるうちに塞がってしまった。

 ラルフは口を開いた。

「俺は、不死だ。魔導士ジュハが造った人工天使……。その失敗作だ。俺の構成情報は全て思弁空間に保存されていて、破壊されてもすぐに修復される。俺を物理的に打倒するのは不可能だ」

「馬鹿な。そんな馬鹿な」

 シンは震えながら呟いた。

 ラルフは呆然自失としているシンを無視して、指向性引斥力発生装置を核心コアに向け、引き金を引いた。

 核心コアの外殻が凄まじい引力によって引き千切られ、指向性引斥力発生装置に向かって飛んでいき、その先端に引っ付いた。ラルフがダイヤルを『0』にすると、引っ付いた外殻が床に落ちた。

 破壊された核心コアから、全裸の人間が大量の液体と共に流れ出て来た。いや、それは人間ではなかった。肩からは金属でできた機械仕掛けの翼が生え、その裸体は男のものでも女のものでもなかった。それはまさしく天使だった。ラルフはすかさずその天使を抱きとめた。すると、天使はひどく咽せて、肺に貯まった液体を全て吐き出した。

「遅くなった。アプロ」

 ラルフは天使の背を擦りながら、笑顔を見せて言った。優しい、慈しむような笑顔だった。アプロと呼ばれた天使はしばらく目を瞬かせて、ラルフの顔を見た。

「遅すぎる……!待たせすぎだ。ラルフ」

 アプロはそういうとラルフに抱き着いた。

「すまなかった。こっちもいろいろ厄介なことがあってな」

 ラルフはアプロを抱き返した。

「きっ、貴様!なんてことを……。この『給水塔』からの水の供給なくしてクト=イハはありえんのだぞ!」

 気を取り直したシンが、核心コアの惨状を見て叫んだ。

「知ったことではない」

 ラルフはアプロに自分のコートを着させながら言った。アプロは機械仕掛けの翼を動かし、コートを裂いて翼を外に出せる穴をつくった。

「私たちの一族は七代に渡ってこの地を守ってきた!それを、知ったことではないだと!」

「ツケを払う時が来たというだけのことだ」

「貴様ぁ!生かして返さん!」

 シンはラルフに向けてもう一度発砲した。鉛玉はラルフの胸に当たった。しかし、その傷もまたすぐに修復された。

「無駄なことだ」

 ラルフは指向性引斥力発生装置のダイヤルを『+5』に回した。

「飛べるか?アプロ」

「もちろん」

 アプロは機械仕掛けの翼を広げながら言った。

「上等」

 ラルフは配管が血管の様に張り巡らされている壁に向けて引き金を引いた。爆音とともに『給水塔』の外壁の一部が吹き飛んだ。ラルフがつくった大穴からは、満点の星空とクト=イハの灯りが見えた。

 アプロは翼を目いっぱい広げ、ラルフを後ろから抱えた。

「さらばだ。『井戸守り』殿」

 アプロが翼をはばたかせ、ラルフを連れて飛び立った。空中を泳ぐ様に飛んだ二人は、ラルフがつくった大穴から飛び出し、夜空へと消えていった。


 『給水塔』が破壊され、地下水脈から水をくみ上げる術を失ったクト=イハはほどなくして滅びた。

 闇夜を飛び去ったアプロとラルフの行方は、終ぞ誰にもわからなかった。

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