第120話 緊急離脱

 強襲揚陸艦ベイアム・コマンドルーム――


「飛行舟艇の回収、完了しました」と、ベイアム号の管制AIが告げた。

「うむ」と受けて、バレル准将は頷いた。そして副長に訊いた。「どうなっておる。ブレの工場ではなかったのか?」

「目標設定のプロセスに問題があるようです。担当官を呼びます」と副長が言った、その時だった。突然、コマンドルーム内の照明が赤色灯に変わった。

「未確認機検出、敵対機襲来の可能性!」と、早期警戒AIの甲高い声。

 神経を逆なでする警報音が鳴り響く。さらにAIの声が響いた。

「対急襲警戒! 日本国空軍・F-15要撃戦闘機4機、高速で接近中! 接近拒否ゾーンを通告!」


 スクランブル発進したのは、航空自衛隊百里基地所属の戦闘機だった。

「来たか……」 巨漢の将軍は不敵な笑みを浮べた。AIの声が続いた。

「調査隊ファイルを元に搭載兵器をリサーチ。……空対空ミサイル二種四基、対艦ミサイル1、実体弾機関砲1門搭載――。対空防御! エネミー・コントローラ、対弾体シールド起動。マトリクス対空打撃システム起動! 敵空軍機、近接防空圏内に侵入! 敵機をロック、破壊までに0.5秒!」

「対空防御、攻撃準備よし! いつでもやれます!」

 こみ上げる笑いをこらえきれず、バレル准将は言った。

「ついにこの時が来やがった……。実戦だ! 叩きのめしてやれ!」 その時だった。


「緊急事態! 緊急事態!」 悲鳴にも似た声をAIが上げた。

「なにごとか!」 艦長は怒鳴った。

「艦内各所に障害発生! 同時多発です」

「なに?」

「左舷の一部、揚力エンジン出力低下! 艦載機発着ゲートコントローラー、ダウン。光学迷彩、ステルスコントローラー、ダウン! ソルジャーコントロール、ダウン! データ・リンクほか外部通信系が停止。情報処理モジュール・メモリースロットにスタック! 広がっています。艦内ネットワークを通じて急速に広がっています!」

「どうなっている!」

「AIに異常……」 机上のディスプレイに、副長はAIの活動分布図を呼び出していた。にわかに顔をこわばらせ、叫ぶように彼は言った。「AIのモジュールが次々と活動を停止! 艦内ネットワーク、データ通信がダウン。応答しません! 外部情報系から始まっているようです。重篤です! このままでは操艦、動力系にも及びかねない! モジュールを遮断します! 遮断だ、急げ!」


「何があった! 地球からの攻撃か?」

「わかりません!」

「敵機への対処は?」

「あとです! このままでは墜ちます!」

「高度は? どうなっている?」

 別の士官が叫んだ。

「揚力エンジンが一部停止! 落ちています! 地表まで120秒! 落下速度が増加! 墜ちます!」

 デスクに拳を叩きつけて、艦長は怒号を発した。

「動力及び操舵コントロールを予備系に切り替えろ! 手順・3-1-6、手動の方だ! 機関室を呼べ! 力づくで持ち上げるぞ!」


「サイバー・パトロールを覚醒。外部情報モジュールをハックしろ。スタック・ファイルのサンプルを採集・分析……」

「機関部コントロール! 前部揚力エンジン、制御システムが一部フリーズしているようです。リカバリできません。水平維持のため、右舷前部及び後部左右両舷各二基、都合六基、揚力エンジンを停止。残余エンジン出力極大化により、引き起こし可能、行けます。艦首を上げて、メインエンジンで上昇を! 艦長! 時間がありません。命令を!」

「よしわかった! 操舵手、聞いたな。上昇する。メインエンジン出力に合わせて艦首を持ち上げろ。いいか、慌てるな。上げすぎると失速するぞ。敵機の様子は?」

「周囲を旋回し始めました! ただちに攻撃が始まる様子はありません」

「対空班、仕掛けてきたら構うな、ぶちのめしてやれ! よ~し、機関室。始めるぞ!」

 コマンドルームが地鳴りのような振動に包まれた。反力制御もおぼつかない。乗員たちは、辺り構わずつかまって、自分の体を支えなければならなかった。耳をつんざくほどの轟音、そして恐竜の叫びのような船体のきしみ音が艦内に響き渡る。誰もが最悪の結末を覚悟した。



 隅田川・厩橋うまやばし――


 東京都内を流れる隅田川は、古くは大川とも呼ばれた一級河川である。数多くの橋が多様な橋梁形式で架橋されていたが、上野の東方に位置する厩橋は唯一の三連アーチ橋だった。今日は生憎の曇り空だったが、昭和初期に架けられた薄緑色の橋は、おだやかな水面にその優美な姿を映していた。


 そんな橋の南側の歩道は、いつもとは違って人でごった返していた。警察官の姿もあって、速やかに橋を渡りきるよう促している。だが、大勢の人々は歩道の欄干から動こうとしなかった。人々の視線は南の空に注がれていて、それぞれがスマートフォンや一眼レフカメラのレンズを向けている。その向こう、両国橋辺りの上空に浮かんでいたのは、カミツキガメのような巨大宇宙船だった。


 ザワザワする人混みの中、見物人のひとりが、「あれ? 高度が下がってないか?」と声を上げた。

 見ず知らずの男が、ワクワクして話しかけた。

「着陸するのかな?……」

 巨大宇宙船が浮かんでいるのだ。特撮映画の世界に迷い込んだようなもので、興奮するのも無理はない。と、その時だった。

「来る…… こっち、来るぞ」と、誰かが言った。皆が改めて、南の空を仰ぎ見た。

 巨大宇宙船は、まさにズルズルと、高度を下げ始めた。だがそれだけではない。あろうことか、つんのめったように艦首を下げて、ゆっくりと前進を始めたではないか。つまり、突っ込んでくる……


「キャ~~~~!」

「こっち、来るな~~~~!」

 橋上の歩道は、パニックになった。だが、もともと現実離れした脅威だった。それが突然向かってくるといっても、乗っていた電車が脱線横転したのとはわけが違う。呆然と立ちすくむ者、ポカンと口を開ける者、膝が抜けたようにへたり込む者……。辛うじて逃げだそうとする者も、余りの人混みで動くに動けなかった。その間も巨大カミツキガメは迫ってくる。どんどん大きくなる。それまで音もさせなかったものが、重低音の轟音まで響かせて迫り来る。悪夢か現実かもわからない。誰もが最悪を覚悟した。頭を抱えて――スマホのレンズだけは上に向けて――歩道にしゃがみ込んだ。


 それは新橋のガード下で、列車の通過を待つようなものだった。頭上からも周囲からも轟音が降り注ぎ、ペットボトルの中の水も細かく波打った。ふと目を上げると辺りは真っ暗だった。巨大な船底が、視界いっぱいとなって頭上を通り過ぎてゆく――。

 一旦墜ちかけた巨大揚陸艦は、徐々に姿勢を立て直していた。そのままギリギリ、アーチ橋をかすることもなく通過すると、上空に向かって徐々に高度を上げ始めた。


 巨大船が通り過ぎたことで、辺りは明るさを取り戻した。皆呆けたように顔を上げて、灰色の曇り空に目を向けた。

「もう二度と来るな~~~~っ!」 誰かが叫んだ。

 人騒がせな巨大船は船尾を光らせながら、北東の空に向かって小さくなっていった。



 強襲揚陸艦ベイアム――



「艦長!」と、副長の声。

 バレル准将は振り向いた。「どうだ。食い止めたか?」

「見てください。メッセージが……。地球のものです。翻訳と解析を……」


 ディスプレイに浮かぶ文字はアルファベットだった。そのすぐ下に、彼らの言葉で翻訳されたメッセージが表示された。通信担当官が読み上げた。

「『あなたのコンピューター・ファイルは暗号化されました。復号したい場合は、ビットマネーで下記金額を送金してください……』 こ、これは……」

「もしや、コンピュータ・ウイルス?」

「なんだそれは? 地球のバイキンはAIも襲うのか?」

「いいえ。恐らくこれは、〈サイバーワーム〉と呼ばれる有害なコンピューター・プログラムです。我が船団では、数百年前に絶滅したとされるものです。AIによるサイバー・パトロールの普及と、作成者に永久禁固刑が課されるようになって、完全に消滅したものです。それが、今……」

「なんということだ……」


 完全な閉鎖社会の宇宙船団にあって、コンピュータやAIは、過去数百年に渡っていわば無菌状態に置かれていた。一定のセキュリティ・ウォールを備えてはいたが、高度なサイバー攻撃に対して無警戒だったのである。呆然となって、バレル准将は命じた。

「……被害を、報告してくれ。わかる範囲でいい」

 遮るように、これまでとは異なるAIの声が響いた。


「こちらサイバー・パトロール、太陽系方面地球調査団の資料を元に調査。解析の中間報告です。自己増殖型サイバーワームにより、地球で〈ランサムウェア〉と呼ばれる、身代金要求のための暗号化恐喝ウイルスが感染拡大したもよう。外部情報モジュールの仮想電算機にインストールされたオペレーティング・システム上の閲覧ソフトを通じて、地球上のマイナーなネットワーク・サイトが閲覧されています。これらのサイト上に不正プログラムの存在を確認しました。ネットワーク閲覧に伴い侵入し、コンバータ経由時に我が方のAI言語に変換。アクティベーションに伴う内部適応変異を経て、各AIモジュールのメモリスロットやファイルを暗号化したものと解析されます」


「なぜそのような、いらん物が入ってきたのだ」

「今回、外部情報モジュールに導入された未知のOS及び閲覧ソフトの脆弱ぜいじゃく性が深刻で、対策が施されていません。ウイルスの攻撃力評価と、対策パッチ等の状態から鑑みるに、バージョンの古いソフトウェアだった可能性があります」

「我が方のAIでは防げなかったのか?」と、バレル准将は副長に訊いた。

「油断です。事前にサイバー・パトロールを配備すべきでした」


「それで、元に戻せそうか?」

 サイバー・パトロールAIが答えた。

「トラップと疑わしきものが検出されました。手順を誤ると、メモリやファイルが破壊される怖れがあります」

「ならば、すぐに対応を……」

「汚染されたAIの初期化は可能ですが、実際の対応例については、類例を知りません。また障害発生直前への復旧は、サイバー・パトロールの管轄外です。なお、パスコードの割り出し、あるいは汚染ファイルの復号対応については、実践的なアルゴリズムを備えた、スペシャリスト・AIを呼ぶ必要があります。長い経験の積み重ねと、芸術的なセンスが求められるからです」


「もう少し役に立つ対策を提案できないのか?」と、副長が文句を言った。

「被害に遭ったモジュールを、全て初期化することをお奨めします。リカバリ作業は防衛軍工廠こうしょうのドックで受けられます」

「こいつは俺に、恥をかかせたいらしい」と、将軍はぼやいた。

 何事もなかったように、艦内に管制AIの声が響き渡った。

「ただ今高度2万メートル。敵機は離れていきます。戦闘状態は解消。通常の警戒モードに戻します――」

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スターシップ・ドランカーズ(上) 笹野 高行 @fair-wind

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