幸せの味【短編】

雨乃白鷺

幸福の形、不幸の形


 不幸になりたくない、幸せに生きたい。


 誰もが望むであろう願い。

 だが、果たしてどんな状態であれば不幸なのだろうか。


 昔、気になって図書館やネットを駆使して調べてみたことがある。

 そもそも『幸福』とは”その人が満ち足りていること、不平不満が無い”ことを言うらしい。また”欲求が満たされた状態”においても人間は幸福と感じるとのこと。


 ここから自ずと『不幸』の意味も導くことが出来る。

 『不』という文字は否定を意味する。字面から読み解けば『幸せではない状態』――先の例を引用すれば”その人が満ち足りていないこと、不平不満が有る”、”欲求が満たされない状態”となる。


 ここでの『欲求』という単語が指すのは人間がそれぞれ抱く欲。三大欲求や自己顕示欲、承認欲求など上げればキリがない。

 人によって思考も違えば生きる環境も違い、人の数だけ欲求の種類と形がある。それはまさに星の数ほどあると言っていい。


 だが人間とは家庭、学校、職場など何らかのコミュニティに所属し生きるもの。どうしても他者に影響されてしまうことが多い。

 家族、友人、同僚。影響を受けるのはこれまた人によって数多の種類があるのだろう。

 また、人間が影響を受けるのは同じ人間だけではない。

 人間によって作り出された本、映像などの作品。はたまた犬など別の動物に大きく影響される人間もいる。

 故に、人間は遺伝子的な影響よりも環境の影響を色濃く受ける生物という見解もあるようだ。


 で、あるならば。

 『幸福』とは、他者に大きく影響されてしまうものなのではないか?


 そんな中で『自分にとっての幸福』をどうやって見つけ出し、定義し、叶えればいいのだろうか。

 これにもまた、明確な答えは無いのだろう。


 さて、今まで御大層に言葉を垂れてきたが。

 詰まるところ“幸せかどうか”なんてものは個々人がどう認識しているか、自分で自分が幸せだと思えるかどうかなのだ。


 他人に影響されるくせに他人に影響されて人格が形作られる人間が、幸せを自分自身で決めなければいけないとは。なんとも可笑しい話である。



 □ ■ □ ■ □ ■ □ ■ □ ■



 夏、平日の昼。

 季節通り晴れ渡った気候の中、社外近くに設置されたベンチに座る。この場所はいつも自分が昼食を食べる時に利用している場所であり、ちょうど街路樹の影になっている場所だ。周りを見れば避暑地として利用している子供やスーツに身を包んだ人が食事を摂っている光景が広がっていた。


 かくいう自分もその例に漏れない。自分の手にはコンビニで買った微糖の缶コーヒー、既に中身は半分以上が飲み干されていて軽い。小さく揺らせば開けられたタブから放たれる苦みが鼻についた。


 一口、それだけで舌の上に甘みと特有の苦みが広がる。ブラックも一度飲んだことはあるのだがいかんせん苦すぎた、なんだかんだで微糖が一番丁度いい。

 缶から口を放して嘆息、見上げれば蒼穹が天を覆う。しかし天気予報によると今日は雨が降るらしい、とても信じられないが一応傘を携帯しているため急に降られても大丈夫だろう。

 食べ終わったコンビニのおにぎりの包装が入っている袋を弄びながら思いを馳せる。


 高校を卒業、働き始めて三年の歳月が過ぎた。

 現在勤める会社の過酷さに気付いた同輩たちは一年と経たずに辞めていった。残ったのは『適応』という名の『諦め』を選択した人間だけ。

 正直言ってしまえば、去った人間は賢いと思う。自分の身を案じることが出来る、それはなんと素晴らしいことか。


 現在の自分は朝早くに起きて身支度を済ませ出勤、会社でひたすらパソコンと向き合い作業をこなす。ミスをすれば上司に怒られ、残業や休日出勤もして、終わって帰宅すれば八畳一間のアパートが口を開けて待っている。夕食はもっぱら帰り道の途中にあるコンビニで買ったおにぎり二つ。入浴などを一通り済ませればスマホで気になる動画を見て、時間になれば次の日の仕事に向けてベッドで眠る。そんなルーティンで日々を生きていた。


 辞めていった人たちはそんな日々に嫌気が差したのだろう。しかし人間とは恐ろしいもので環境への適応能力は随一だ、『住めば都』とはよく言ったものだと思う。

 他人から見ればこの生活を“寂しい”と表するかもしれない、それも色々と不都合なこともあったりするため否とは言えない。だが、ほどほど満足していた。


 自分は、お世辞にも生まれが良いとは言えない人間だ。

 生まれた時から父親はおらず、母親一人によって育てられた。安賃金で日当たりが悪いアパートに家族二人。物心ついた頃から与えられた食事は一日二回、スーパーで売られているパンが主な内容だ。

 親の手料理を口にしたことは一度として無い。パートの掛け持ちをしていたのだ、料理をするだけの活気は残っていなかったのだろう。

 特に文句は無かった、自分にとってはそれが当たり前のことだったから。


 小・中学生時代。問題無く学業に精を出し、どの学期でも学年順位一桁の成績を収めていた。親が授業参観に来たことは無かったが、それでも良い成績を出せば怒ることは無かった。他に何か特徴的なことは無いが……強いて言うなら、中学生になってからはバイトをしていたため遊ぶような友達はいなかったくらいだろうか。所有物への落書きやノートを破られたりなどイジメられたこともあったが、どれも一時的なもので特段気にもならなかった。


 そんな中学時代中頃、母親が過労によって死んだ。


 いつも通り学校から家に帰ってきてバイトの準備をしていた時、いつもはパートで居ないはずの母親が寝ていたのだ。気になって近付いてみれば、息をしていないことに気付いた。

 悲しいだとか、特別な感情が湧いてくることは特に無かった。いつも通りの日常を過ごすようにスマホを操作、警察へと連絡した。

 サイレンを鳴らしたパトカーと救急車が辿り着くまでに五分とかからなかった。念のためということで警察署に連れていかれ、警察官に事情の説明を行った。朝おかしなところは無かったか、学校ではどうしていたか、家を出てから帰るまでの流れを事細やかに述べていく。

 身近に頼れる人も特にいないため、暫くは警察の管轄下で生活することとなった。


 そこからは母方の親戚の世話になることになる。

 連れていかれた場所は綺麗な一軒家、今まで自分が住んでいた安いアパートとは部屋の数も大きさも違う。父母娘の三人家族で、義理の妹ができた。毎日手作りの食事が出され、一緒に食事を摂る家庭の中には笑顔が溢れていた。

 新しい環境は慣れないこともあったが、それなりに上手く適応していった。

 確かこの頃初めてゲームセンターで遊ぶことを覚えたのだったか。今まで出来なかったことを外に出歩いてやるようになった。


 高校時代は特にない。

 勉学に励みながら日々のバイトを熟し、外で遊び、帰れば暖かい食事を口にする――ごく普通の生活を送った。


 そうして特に何の出来事も無く高校を卒業、そのまま就職。働くに際して家族の誰かしらが様子を見に来ることが条件で一人暮らしをすることになった。

 それから現在。成人した自分はこうして仕事の休憩を利用して物思いに耽っている。


 だからだろうか、自分はこの環境に別段鬱憤は無い。雨風凌げる家があって、労働によって生きていけるだけの金銭は確保でき、衣服には困らない。これでどうして不平不満を言えるだろうか。


 ならば何故、『幸せ』なんてものについて考えているのか。自問すれば直ぐに答えが内から出てくる。

 今朝、先輩の社員に「今日は一段と不幸面だな」と言われた。それでふと思ったのだ、果たして自分は幸せなのかどうか。


 少なくとも、他人からは不幸に見える顔をしているらしい。

 トイレに行った時気になって鏡を見れば映っていたのはいつも家の洗面所で見る自分の顔、特にこれといって変化は無いように思えた。中学時代から顔つきがそれほど変化していないのも原因だろうか。


 ――だとしたら、自分は。


 その時ポケットから控えめのバイブレーション、震えているスマホを取り出し時刻を見れば休憩が終わりの時間だった。どうやら思考に浸り過ぎていたらしい。


 ベンチから立ち上がり残りのコーヒーを飲み干す。

 甘さの中にある苦みが、ほんの少しだけ心地よかった。


 時は進み、仕事に一つの区切りがついた頃に窓から差し込む光で夕方だと察する。ふと空を見やれば流れる雲間から夕陽が見え隠れしていた。

 キーボードから手を離し目を閉じるとゆっくり息をつく。そうして残りの仕事に着手しようすれば背後から肩が軽く叩かれる、何かと振り返れば良くしてもらっている男の先輩が立っていた。


 話を聞いてみれば仕事終わりに焼肉に行かないか、とのこと。自分以外にも声をかけているらしい。

 一瞬の逡巡、特にこれといって断る理由も無いため了承した。


 機嫌良く去っていく先輩の背中を見送る。再びデスクチェアに腰を下ろすと作業を再開した。ディスプレイに表示されるデータを元に数字を打ち込み、表を作成していく。


 そうして暫く、作業が終われば空はすっかり暗く染まっていた。その中に都会の輝きに負けない明かりが浮かんでいた。

 荷物を纏め手続きを終えると会社の入り口には男女混合の五人、先輩がいることから焼肉を食べるメンバーのようだ。

 先輩のかけ声で全員が歩き出す、最寄りの駅から電車に揺られること三十分ほどの場所に一つの焼き肉店があった。それは自分でも知っている有名な店だった。


 扉を開けば賑やかな声が耳に届く、店員も活気に溢れていてとても良い雰囲気だと感じた。数分後、丁度団体客が抜けていったことでさほど待つことなく席につくことが出来た。

 飲み物が行き届き、音頭を皮切りに鳴る硬質な音色。それぞれが思い思い会話を交わす。それは会社のことが主だったが、見れば誰もが笑いながら話していた。

 そんな中、注文した肉が店員によって運ばれてくる。


 網の上でジュウジュウと音を立てて焼ける肉、両面にしっかり火を通すとタレを付け口の中に放り込む。

 普段食べることの無いそれは、とても甘い味がした。



 □ ■ □ ■ □ ■ □ ■ □ ■



 夜も更けてきた頃、会計を終えて店の外へと踊り出ると濡れている地面が目に付く。どうやら食事をしている間に一降りしたようだ、それもかなりの勢いだったようで水溜まりが出来ている。じめじめとした湿気は少し鬱陶しいが、雨に打たれるよりはマシだろうということにした。

 酔いが回っている人もいる中、全員が電車に乗り込む。進む車両が停止する度に一つ、また一つと住む場所へと帰っていく影たち。

 

 そうして、車両には自分一人となった。


 ガタンゴトン、ガタンゴトン。

 電車が線路を進む音を聞きながら夜に輝く街並みを見つめる。

 ゆったりとした時間の流れ、しかしその実あっという間に過ぎていった。


 電車を何度か乗り換えた後。自分がいつも通勤に利用する田舎の駅に電車が止まる。

 清掃された構内と上に続く階段、電車から降りれば幾度となく見た光景が広がっていた。


 一段、また一段と。階段を踏みしめて上り切る。

 その足が次に目指すのは改札では無くトイレ、まるで蛾が光に引き寄せられるように誘われる。誰が見ても綺麗な様相と誰もいないことを流し見ながら洋式便器の個室に入り、鍵を閉める。


 ――次の瞬間、便器の中に向かって胃の中身を吐き出した。


 内容物が断続的に落ちていく。一度止まったかと思いきや、再び吐しゃ物が水を侵す。

 食中毒というわけではない、これは最早自分にとって当たり前の現象。


 幸福恐怖症――それが、自分の抱えるモノの正体の通称だった。

 幸せになりたい、そんな当たり前の願いを抱けない人間。幸福を積極的に回避し、例え手にしたとしても放り出す圧倒的少数勢マイノリティ

 

 自覚したのは実の母親が死んで親戚に引き取られてから。決定的だったのは精神科を受診してからだった。

 清潔で明るい住居に暖かな食事、笑顔が満ちた空間。初めて体験したそれらは強烈な不快感として我が身を襲った。

 普通、普通、普通。

 大多数の人間が過ごす普通の生活は、自分にとっては猛毒だった。


 精神治療を受けるべきだと医師は言った。でも、それを断った。

 もしこの痛みが無くなってしまったのなら、自分が自分じゃなくなってしまうのではないか。それを想像したとき、漠然と足元が消えるような感覚に襲われたのだ。


 このことは義理の家族にすら言っていない。正真正銘、この世で自分だけが知ることだった。


 正直、申し訳ないとは思っている。

 笑顔で満ちている家は居るだけで怖気が走る、学校が終わっても夜遊びしてから帰宅し迷惑をかけた。中学・高校時代、毎日作ってくれた食事も弁当も残らず吐き出され下水道へと吸い込まれていった。


 だが、無理なのだ。

 周りにいる人たちと同じように普通に過ごすだけで、たまらなく幸せで――全部、投げ出したくなる。


 何度目かの嘔吐、最終的に落ち着いたのは食べた物が全て体外に排出された後だった。冷や汗がインナーをじっとりと濡らしており、口内を侵す酸っぱさと共に途轍もない不快感を及ぼす。


 トイレットペーパーを巻き出して千切ると口元を拭く、便器の中に放りセンサーを作動させれば嘔吐物と一緒に流れ吸い込まれていった。

 鞄を手に取り扉を開け放つ、手を洗い終わって顔を上げれば自分が泣いていることに気付いた。

 鏡に映り込んだ自分、その頬に伝う涙がゆっくりと落ちて唇の端から口の中へと入り込む。


 ――それは確かに、幸せの味がした。


 駅から出てゆっくりと深呼吸、階段を下りてアパートに向かう。いつも通りの道で、いつも通りの日常。

 そんな自分を、満天の星空が柔らかく見下ろしていた。

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