青葉茂るその日まで~大切な人を想う時。~(5)

「あれ?今日は塾じゃなかったのか?」

「うん、塾じゃないよ?明日だよ!」

「あぁそっか、今日は休みか。最近、義人すっげぇ頑張って勉強してっから、毎日塾に行ってるような気がするわ。」

「まだもっとやらなきゃダメだわ……あっ、そうそう、電話したのは俺を労ってほしいからじゃないんだよ、ちょっと待ってな。」


 労うって高校生が使う言葉か?

 義人は小さい頃に子守してもらってた、ひいおじいさんやひいおばあさんの影響が大きくて、たまに言葉遣いが『ご年配』になる。


「もしもし、お電話変わりました!元気ぃ?」

「義人のお母さん、こんばんは。」


 義人と入れ替わりに電話に出たのは、義人のお母さんだった。


「何か新しく追加することがあったんだって?」

「はい、そうなんです。母さんが学生時代に、もうひとつやってみたい事がったらしくって。」

「もしかして、難聴の人でも音が聞こえる方法って話?」

「そうです、ご存知だったんですか?」


 さすがは自称『魂の双子』、義人のお母さんだ。

 俺の母さんのことはよく知ってるなぁ。


「知ってるわよー!だって、あなたのお母さんの発想は時代の先取りをしているって証明する出来事だもの!」

「え?そうなんですか?」

「えっ、何?もしかして気が付かなかったの?」

「すみません、小説のネタになるなと思って聞いてしまってたから、そこまで深く考えてなかったです。」

「あー、そっちに集中しちゃってたかぁ……まだ録音技術もMDが主流だった時代に、骨伝導イヤホンよりも先の技術を考えてたのよ?これってすごいと思わない?」

「…あ!」

「ね?」


 なんだ?うちの母さんって賢いのかバカなのか、だんだんわからなくなってきたぞ。

 だって、母さんは自分で『時代をずっと先取りしている』ことに気が付いてないんだから!


「私が少し前に取材に行った音響施設では、音を一点に向かって飛ばして、周りには聞こえないっていう装置を作ってたんだけど、それはまだ大きな部屋の中で実験をしている段階だった。難聴の症状によってはその部屋の中で音が聞こえるらしいんだけど、あなたのお母さんはそれよりも先にあって、そもそも音を聞くのではなく、体で振動として感じ取る聞き方で……あの、ひとつ聞いていい?」

「なんですか?」

「お母さんに聞いた時、具体的にどうやって聞くか聞いた?」

「……あぁぁぁああああ!」

「やっぱり。」

「体全体が鼓膜みたいにって言ってたけど、それは方法じゃないですよね?」

「私に聞かない!そこ、取材やり直し!」

「押忍!」


 母さんが俺に話したのは、『音の感じ方』であって『音の聞き方』じゃなかった!

 しまった…もっとしっかり聞きださねぇと!


「小説にしても、マンガやゲームのストーリーにしても、できる取材はしっかりやって、最後まできっちり『筋』が通るようにしなきゃ。途中でストーリーが変わったら、何を読んでるかわからなくなるでしょ?」


 第一線で活躍する人気漫画家の、貴重なアドバイスだ。


「ありがとうございます!気を付けます!」

「取材不足は致命傷になることがある、でも、取材しましたって言わんばかりに細かく書きすぎるのも、読み手からしたら面倒だなって思わない?」

「あ、それ、わかる気がします。」

「でしょ?」

「なんて言うか、押し付けられてるっていうか……その線引き、難しいですね。勉強しなきゃ。」

「うん、その通りよ。勉強しなさい。」

「はい、しっかり取材します!」

「そうじゃなくて、学校の勉強をしなさいって言ってんの!」

「え?」

「学校の勉強は絶対に無駄じゃないの。そりゃ、嫌いな科目を勉強しないといけない学生さんからしたら、それはそれは辛くてたまらないだろうけど、すべての科目が小説のネタになるって考えてみて?大人になってから調べるよりも、今は現役の高校生で、これ以上ないいいチャンスなんだから!それも、進路と取材の一挙両得よ?こんなにいいことないじゃない!」


 義人のお母さんの教育論は面白い。

 勉強を嫌々でやらせるのではなく、なぜ必要かを説明しながら、やりたいと思う方向にうまく持って行ってくれる。


「義人のお母さんも、時代を先取りした人ですよね。うちの母さんがずっと言ってます。」

「そうかな?そんなことない……いや、そうでもないか。でも、たまたまよ、たまたま。たまたまそういうことがあっただけよ?」

「そうじゃないと思います。義人のお母さんはまるで、歌声の主さんだ。母さんをよく理解できる人はみんな、時代を先取りしている人だから、母さんの考えを理解できるんだと思います。ただ……」

「どうしたの?」

「……ただ、母さんは義人のお母さんや歌声の主さんみたいに、言葉を上手く選べないところがあって、なかなか受け入れてもらえないんだと思うんです。」

「あー、それわかる。今もそうだもん。」

「今も、ですか?」


 母さん、何やらかしたんだ。


「あなたのお母さんが教えに行くとね、どんな学校のどんな吹奏楽部でもすっごく上手くなるのよ。そこで、続けてレッスンの依頼をする学校さんはさらに上手くなるけど、一回教えてもらっただけでできる気になっちゃって、お母さんに連絡しなくなる学校は……言わなくてもわかる?」

「そこまで言われたら想像はつきます。」

「でも、あなたのお母さんのレッスンを受け続ける学校との差は、あなたの予想以上よ?だって、地区大会の中で順位を争うのと、全国大会で順位を争うのとでは、話が違うでしょ?そのくらいの差を出してしまうのよ。」


 驚きすぎて声が出ない……マンガとかでよく見るシーンだけど、人ってビックリしすぎたら、本当に言葉が出てこないもんなんだ…!


「実際、吹奏楽コンクールの全国大会で金賞まであと一歩がどうしても届かない学校さんがあって、たまたまお母さんと顧問の先生が長年のお知り合いだったんだけどね。元々ご指導なさっていた先生がおられたんだけど、一度あなたのお母さんにレッスンしてもらえませんか?って連絡がきて、それ以来ずっとあなたのお母さんがその学校のご指導に行ってるの。」

「あ、それ知ってます。詳しく聞いたわけじゃないけど、すごい学校にレッスンに呼んでいただいたんだって喜んでました。」

「あなたのお母さんがご指導に行った最初の年に、いきなり全国大会で金賞をとったの。しかも、かなりの高評価だったそうで、その年の優秀な演奏を録音するCDに、その学校さんが選ばれたんだって。大人の部門まである中で、数少ない記念録音に選ばれたんだって、とっても喜んでた。」

「へぇ……それは知らなかった…。」

「でもね、その時大変だったのよ。」

「何かあったんですか?」


 なんで母さんはこんなに色んなことに巻き込まれるんだ?


「全国大会の直前、一日に何十回っていう非通知着信履歴があったの。それも、部活動が始まる夕方4時頃から6時までよ?」

「あっ!もしかしてあの時!」

「知ってたの?」

「母さんがご飯作ってる最中ずっとスマホが光ってて、あんまり着信音が鳴るから、母さんもマナーモードにしちゃったんですよ。バッテリーが切れる!って文句言ってた、あの時かなぁ?」

「それそれ!もうストーカーレベルの着信回数だったから、スクショで着信履歴を保存してるって言ってたくらいよ?」


 そんなにか!


「かかってくる時間が決まって夕方だったから、自分のレッスンに不満がある人からの嫌がらせだろうけど、電話番号を知ってる人が限られてるから、なんとなく相手の想像がついてたみたい。でも、あなたのお母さんは黙ってたの。誰にも話さなかったの。」

「そうだったんですか……。」

「それで、全国大会の結果が出た途端、ピタっと嫌がらせ電話はこなくなったってわけ。これで、お母さんの中では誰が非通知でかけてきてたのか確定しちゃったのよ。だからこそ、すぐには話せなくて、顧問の先生に嫌がらせがあったことを話したのは、半年くらい経ってからだったの。顧問の先生もすべてを言わなくても想像がついてたみたいだったって。」


 たぶん、母さんの前に指導に来てたっていう人だろう。

 その人、確か母さんと一緒に仕事することあるって言ってたけど、そういうや最近聞かなくなったな……。


「嫌がらせされるには理由があるって言うけど、あなたのお母さんの場合は、きっちり結果を出してしまったから、嫌がらせもすぐに終わってよかった……教え方がお母さんにしかできないことだから、誰にも真似できないのよ。私もどうやってるの聞いたけど、それこそ時代が20年以上追いついてないのよ。」

「20年!」

「そもそも、お母さんのお師匠さんが教えてくれたことを、お母さんなりに噛み砕いてわかりやすくしたものだから、お母さん曰くは『師匠は30年以上早い』ってことだけど、それを国公立芸大に進む人でもわかってないって……だから、あなたのお母さんにどういう指導法をしているのか聞きたがる人が多いらしいのよ。」

「へぇ!」

「だけど、お母さんの指導法にはひとつ条件があるの。」

「条件?どんな条件ですか?」

「教える人の『耳』がいいこと!些細な違いを聞き分ける、才能も含めた意味での『耳』ね!同じ言葉を使って伝えても、肝心な判断する人が聞き分けられなきゃ意味がないの。まさに時代を先行く人なのよ!」


 ……俺の母さんってすごかったんだなって、今言ったら絶対に怒られるよな……


「あなたのお母さんの教え方を理解したのは、歌声の主さんが初めてだったって言ってたなぁ。」

「え!」

「あなたのお母さんも、歌声の主さんも、時代を先に行きすぎる二人だったのよ。その証拠に、同級生には不思議な人扱いされたみたいだけど、お母さんの思い出話からすると、大学の先生たちには面白がられてたみたいよ?」


 そうだったのか……最近驚くことばっかりだな……


 実は密かに尊敬している義人のお母さんから、自分の母親がいかにすごいかっていう話を聞いて、母さんをちょっとだけ見直した…ちょっとだけ、な!

 時代を先取りするっていう、俺の母さんから『あの人は誰も追いつけない』と言わしめた義人のお母さん、そして医学部に行って医者になるために猛勉強をしている義人。

 俺の周りは『努力する天才』ばかりで、急に不安になってきた。

 俺は天才でもなんでもない、努力してどこまで追いつけるんだろう?

 努力したって何もできないかもしれない……だんだんと暗い気持ちになってきた。


「まだ電話してるの?ご飯できたよ!」


 そんな時に、母さんが部屋に入ってきた。

 落ち込みかけてる時に、誰かが入ってきてくれるのはありがたいけど、我が家で俺の部屋に乱入するのは母さんだけだんもんな……


「お母さんによろしくね!それじゃ!」

「あっ!ありがとうございました!」


 母さんの声が聞こえたらしい、義人のお母さんが電話を切る前に声をかけてくれた。慌てて御礼を言って、スマホを置いた。

 スマホがちょっ汗で濡れてしまっていたので、ティッシュでサッと拭いてから自分の部屋を出た。


「随分長いこと電話してたけど、よかったの?」

「あぁ、義人のお母さんがよろしくって。」

「義人くんたちと電話してたの?」

「うん。母さんの夢の話になった。」

「夢?あぁ、難聴の人でも聞こえる仕組みのこと?」

「うん……あぁそうだ、あれってどういう方法で聞くの?」

「聞きたい?でも教えなーい!」

「なんだよそれ。」

「そもそも、どうして私の夢の話になったわけ?」


 この流れだと、だいたいは『どんな話をしたの?』って聞かれるだろう。

 そう思うと、返事ができなかった。

 だって、俺の周りは『努力する天才』ばかりで、俺だけ凡人で。

 だから聞いてほしくない、聞くな……


「……何があったか知らないけど、あんまり焦らないことよ。」


 お茶碗を落としそうになるほど驚いた。


「ちょっと、大丈夫?」

「う、うん、ごめん。」


 慌てて手を伸ばしてきた母さんに、そっけない返事をしてしまう。


「どんな話をしたかわからないけど、天才と一緒にいすぎると、誰でも卑屈になるわよ。義人君は医学部に向けて努力してるし、義人君のお母さんはあなたも尊敬してるでしょ?そんな人たちと一緒にいると、少しずつ『違い』を感じ始めて、一人で焦るようになるのよ。それは私も体験した。だから、一人で焦った先輩として言わせてもらうと、あなたはあなたが出来ることをやりなさい。あなたがやらなきゃいけないことがるでしょ?」

「……なんでそんなこと言うんだよ?」


 見透かされてた。

 見透かされてるのに、返事ができないって、母さんの言ってることが正解ですって認めてるようなもんで、めちゃくちゃ恥ずかしい!

 ぶすっとした声で、やっと返事をできた俺に、母さんはこう言った。


「うーん、なんとなく?」

「…なんだよ、それ?」

「あの頃の私に似てるなぁって思ったの。大学に入ってすぐの頃の、鏡に映る私の顔と同じ顔をしてるから……だから、私の大学四年間の体験で学んだことを、今あなたに伝える時かなって思った。」


 母さんの声が明るかった。でも、無理やりな感じじゃないし、どっちかって言うと優しい感じだった。


「あの時、私は彼に救われた。今度は、私があなたを支える順番なんじゃないかな。」


 母さんはきっと、歌声の主さんにこんなふうに温かく迎え入れてもらってたんだろう。

 いい年した息子としては、母親に甘えるなんて激しく抵抗したいところだが、今日はちょっとだけ、泣き言を言ってみよう。


「……俺、このままでいいのかな…。」


 母さんはニコニコしながら、俺が少しずつ話すのを黙って聞いてくれた。

 その表情は、仕事の顔ではないし、いつもの母さんの顔ともちょっと違う気がする……友達みたいな感じ…でも、友達ってわけでもないから、やっぱり母親の顔なんだろうか……。


 この日、俺は初めて母さんが『学生の愚息』ではなく、『大人になった愚息』として扱ってくれたんだって、後になって知った。

 なんだよ、結局は愚息のまんまじゃねぇかよ。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

青葉茂るその日まで~大切な人を想う時。~ 以知記 @ichiki_info

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ