青葉茂るその日まで~大切な人を想う時。~(4)

 あれから母さんと色んなことを話すようになった。

 元々、隠し事をするような親子ではなかったんだけど、なんとなく話してないことっていうか話しにくいことがあっても、母さんも無理に聞かないもんだから、俺もそれに甘えてなんとなく話さないでいたことがあった。今は、少しずつではあるけど、自分から話すようになったんだ。

 そんな俺の話を聞いた母さんは、進学のこと、将来の夢について、今までより具体的な話をするようになった。


 好きなことを仕事にする大変さ。

 夢も希望も大きいからこそ、挫折した時のリスクも大きいこと、それを乗り越えなければならないこと。


 頭ではわかっているつもりだったことでも、実際に乗り越えてきた人の体験談は心に響く。俺が思っている以上に厳しい世界なんだ。

 母さんも、今まで隠し事をしたことなんてなかったけど、俺の本気度合いがわからないうちはこんな話をするつもりはなかった、と言っていた。


「だって、こんな面倒な話を聞いてヤル気を失くされたら困るじゃない。それにね、どんな仕事でも大変なのは同じだもん。」


 あぁ、確か音楽の仕事以外のパート先でも色んな体験してるんだったな。

 時々パート先を変えながら、音楽の仕事と家事との両立をしている、そんな無茶をして大丈夫なんだろうか?


「……彼のことを思い出すの。彼は太く短い人生を生きたように思うけどね、それって本人が望んで終わらせたわけではないでしょ?彼はきっと、もっともっと歌いたかったはず。」


 少し間を開けて、少し熱っぽく、こう続けた。


「音楽ってね、録音でもしない限り、この世に残らないのよ。そんなもののために命削ってんのかって思う人もいると思う、でも、求めてくださる人もおられるの。彼は絶対に求められた側の人なの。もしかしたら、私が関わる人の中でこれから求められる人がいるかもしれない、そんな人の役に立ちたいの。それが音楽以外の道でもいい、どんな分野でもいい、その人が進む途中で、私がちょっとだけでも何か役に立てたらいいなって、そう思う。それが、私の今の夢。」


 あぁ、懐かしい顔だ。

 俺が小さい頃に何度か見た、母さんの「仕事の顔」。

 誰かのためにと願えば、すごい力が出てくるんだよって教えてくれた、母さんだけど母さんじゃない、一人の演奏家の顔だ。


「なんか抽象的な話になっちゃったね。具体的に言うとね、まぁ通りすがりにあなたの演奏を聴いて元気になりましたっていうのもひとつだし、レッスンで話していることが何かのヒントになってくれたらなって思う。」

「例えば、どんな?」

「前に指導に行かせていただいてた、ある中学校の吹奏楽部の子で、実際に私のレッスンがきっかけで、医療系の大学に進んだ子がいるの。」

「え?音楽のレッスンだよね?」

「もちろんそうよ、でも、私が叶えたかったのに断念した夢のひとつを話したら、その子がその夢に興味を持ってね……びっくりしちゃった、だってその子は成績が最下位レベルとすごく悪くて、ご両親から家庭の事情もあるから高校に進学せずに就職してほしいって言われてたのに、急に勉強するようになってね。」


 すると母さんは、昔を思い出してクスクスと笑い始めた。


「そんなことを知らないで、私は『勉強しないとレッスンに来ないから!』とか言ってたの……まぁそれは今でも変えてないんだけどね?でね、勉強するにも何か目標があればいいなと思って、やりたいことはないの?って聞いたら、別の子から『先生は音楽以外にやりたいことはなかったんですか?』って言われて、実はひとつ諦めちゃった夢があるんだよって、詳しく話したの。」

「へぇ……それってどんな夢?」


 母さんが話してくれた内容は俺にとっても興味深いものだった。

 そして、ここでも母さんは嫌な思いをし、心が折れそうになったところを助けてくれたのも、あの歌声の持ち主さんだった。


 ……これは書くべきだ!

 とにかく書いてから、どうやって追加するか考えよう!

 慌てて小説投稿サイトで公開しなくてよかった!このへんもきっちり書いてから公開しなくては!

 母さんから色んな話を聞いた俺は、大急ぎで自分の部屋に戻り、ノートパソコンの電源を入れた。起動するまでの時間がすっげぇ長く感じて、指がそわそわするような変な感じがした。




『大学に入ってすぐ、管楽器の同級生と親睦会をやろうということになった。

その時は、私はまだみんなとの間にある才能の差に気が付いていないフリをしている頃だった。

会が進んで、将来どんなことをやりたいかって話になり、全員が答えていった。オーケストラの一員としてやっていきたい、海外で活躍したい・・・具体的なようでまだ抽象的な夢ばかりなのが、大学一年生らしいと思う。そして、私の順番が回ってきた。


「耳の聞こえない人に、音楽が聞こえる体験ができる機械を作りたいの。」


これには具体的な方法があったし、私が方法を思いつくきっかけになるテレビ番組も数年前に放送されていた。しかし、私が詳しい内容を話す前に、何人かの同級生に思い切り笑われた。

それも、お店にいる人が振り返るほどだ。


「そんなの無理に決まってるでしょ!」

「難聴の人に音楽は伝わらないよ!」


ひどい偏見だと思った。

だって、音は体で感じられるって、私たちが一番知ってるのに。

自分の出す音の振動が、自分に伝わってくるんだって知ってるはずなのに、無理に決まってるだなんて。

荒唐無稽な夢なんかじゃない、可能性の高い夢なのに。


すごく悲しかった。

色んな人に音を届けるのが演奏家で、私たちはそのために大学に入ったはずなのに。

だったら、不可能を少しだけでも可能にしてみる努力くらいしてみてもいいんじゃないの?


さすがに笑いすぎだと感じた他の同級生が止めてくれたけど、この後から私は同級生と食事や飲み会に行くことを避けた。

ちょうど、父親に決められた門限が厳しくて、練習してたら飲み会どころじゃなかったのが功を奏した。

そして、自分で思っていた以上に本気の夢だったんだなと気づき、もう二度と笑われたくないと、自分の中でそっと大切にしまおうと思った。


その少し後、彼と電車で一緒になった。彼には懇親会をするんだって話てたから、どんな様子だったかと聞かれた。色々話したけど、私の夢のことはとても話しにくかった。すると。


「何かあった?」

「え?」

「楽しそうに話してる割には、ずっと顔が暗いよ。」

「……うん。あの……笑わない?」

「ん?どうして?」

「だって……何人かに笑われたから。」

「そっか…俺は笑わないよ。」

「……私ね、やってみたいことがあるの。」


その続きを言うのに勇気が必要だった。

彼にまで笑われるんじゃないかって思うと、怖かった。


「おっ、やってみたいことっていいね!どんなこと?」


そんな私の背中を押すように、明るい声色で、だけど優しく見守ってくれた。


「耳が聞こえない人でも、音が聞こえる機械を作って、色んな演奏を聴いてもらえるようにしたいの。」

「へぇ!それすっげぇ!どんな機械になるの?もう具体的な案とかあるの?」


彼は思いもしないほどの食いつきぶりを見せた。


「あっ、えっと、スピーカーって音が出てる時に触ったら振動が伝わるでしょ?そもそも、音は空気振動で伝わるんだから、その振動を体で感じてもらうことで、音を体感できるような機械があればいいなって……で、いつか、その機械を持ってる人にも演奏会に来てほしいなって。」


彼の勢いに押される形で、私の夢を話したら。


「それすっげぇ!じゃあさ、その機械があれば、いつか音の聞こえない人と一緒に歌ったりできるようになるかもしれないね!」


その発想はなかった。

彼の方がより視野が広かった。


「そんなすごい夢を笑うなんて馬鹿だなぁ……。」


腕組みをしながら難しそうな顔で考える彼に、思わず吹き出してしまった。

いったい誰の夢の話をしているのだろうかと思うほど、彼は真剣だったからだ。』




 ……本当に、ここまでの出来事があってそれでも恋愛感情が芽生えなかったってどういうことなんだろうかと、息子ながら不思議でならない。

 小説として公開するのはここまでだが、母さんの夢の話には続きがある。

 母さんが大学を卒業してから夢を実現する方法を探したというのだ。


「音の聞こえない人に、音を体で感じてもらうの。なんて言うか、体全体が鼓膜みたいになるような機械を作れないかなって。でね、そのためにこの資格は必要なんじゃないかと思うものを見つけたの。」

「なんていう資格?」

「言語聴覚士っていうの。リハビリを行うための資格のひとつ。何らかの理由で上手く話せない人に、話たり聞いたりする訓練をするのが、言語聴覚士なの。」

「今からとれないの?」

「大学に入りなおさなきゃいけないのと、国家資格だから試験が大変なの。とか言ってる間に、骨伝導イヤホンができたんだよね。」

「骨伝導イヤホンって、難聴の人でも聞こえるの?」


 すると、母さんは待ってましたと言わんばかりの得意げな表情になった。


「難聴には二種類あるって知ってる?」

「いや、初めて聞いた。」

「耳って立体的な面白い構造になってるんだけど、その中の『内耳』がポイントでね。内耳と内耳にかかわる器官に問題のない難聴、感音性難聴っていうタイプなら、骨伝導イヤホンがあれば音が聞こえるのよ。だから、突発性難聴の人は骨伝導イヤホンがあれば聞こえる可能性が高いの。」

「へぇ……なるほどなぁ……」

「ただ、私がやってみたかったのは、全身で音を感じる機械なの。それだと、健常の人と一緒に体感できるから、面白いんじゃないかなと思ったの。」


 母さんって、こんな風に夢を語るのかぁ。

 なんだかすげぇ楽しそうだ。


「そんな話をレッスンでしたら、言語聴覚士に興味を持つ子が出てきて・・・さっき話した、前にレッスンしてた子の話ね。その子が勉強するようになって、成績が上がり始めて、本人がご両親に『高校に行きたい』ってお願いしたんだって。それまでは、自分は勉強できないからって高校進学を諦めてたんだよ、すごいと思わない?私はすっごく嬉しい反面、無責任なことをしてしまったんじゃないかってドキドキで。」

「なんかご事情あって進学はやめてほしい、ってことだったもんね。」

「うん、だけど、ご両親は高校に行くことをOKしてくれただけじゃなくって、高校でも吹奏楽部に入部することも許してくれた上に、大学にも行けるようになったんだよ!」

「うぉ!それすっげぇ!」

「そうでしょう?」


 これは思い切り自慢させてあげよう、そのくらいすごい出来事なんだから、母さんには堂々と胸を張ってほしい。


「その子がね、後輩ちゃんたちのレッスンしてる日にわざわざ報告しに来てくれてね。話を聞いた時には『そっかぁ、大学に行かせてもらえるのかぁ』って思って喜んでたの。でね、大学はどこに行くの?って聞いたら、医療系の学校だったのよ。だから、看護師さんになるのかなと思ってたら、言語聴覚士になるんだって言われてさぁ……しかも、私が諦めた夢の話に興味があって、調べてるうちに言語聴覚士が目標になったんだって。もう嬉しくってさぁ……」


 母さんの目が怪しくなった。

 母さんの声が鼻声になってきた。

 よほど嬉しかったんだろうな。


「……きっと、彼も今の私みたいな気持ちで、私の話を聞いてくれてたのかなぁって思う。私は体験してこんな風に感動してるけど、彼は人から話を聞いただけで感動できるくらい感受性の豊かな人で、優しくて温かい人だったんだよ。」


 歌声の主さんは、どこまでも母さんの味方なんだなと思う。

 俺の書いた小説でもしっかり書いたように、この人がいなかったら、母さんは今もうここにいなかった可能性だってある、ってことは、俺が生まれてない可能性もじゅうぶん考えられるんだ。

 それだけじゃなく、今もこうして誰かの役に立ちたいって気持ちで仕事してる母さんの原点の一人が、歌声の主さんってことだよな。

 歌声の主さん、本当にすごい人だなぁ……ありきたりだけど、でもこれが一番適格な言葉だと思う。


「言語聴覚士って、資格とるの難しいの?」

「国家資格だっていう時点で難しいのはわかると思うんだけど、言語聴覚士は大学で専門的な勉強をしないといけなくて、人によっては大学院まで進むの。高校進学も諦めてた子がそこまで決心するって本当にすごいことだし、ご両親もよくお許しになられたと思う。」

「それだけ頑張ってたってことかぁ。」

「そういうことね。今は認知症の人のリハビリにも必要不可欠な仕事なの。どうしてかわかる?」

「えーっと……話す言葉が減ったら認知症が進むから?」

「それもある、認知症の進行を遅らせたり、逆に会話の訓練をすることで改善されることを期待しているっていうのも正解。でも、言葉を話しにくい理由は、脳内の言語野の問題だけじゃなくて、脳内出血などで口や舌の動きが悪くなることにも原因があるの。そうなると、ご飯を飲み込むのが上手くいかなくなって、食べ物が間違って肺に入ってしまう、誤飲性肺炎の恐れがあるの。」

「なんかそれ、聞いたことあるぞ。」

「あなたのひいおばあちゃん、でしょ?」

「あぁそうだ!」


 こうしてみると、うちの母さんはなんでここまで苦労してんのかと思うほど、色んなことを乗り越えている。

 俺が生まれるのとほぼ同時に、俺のひいばあちゃん、母さんの祖母の認知症が急に進んで、母さんの実家で介護をしなければならない事態になった。

 母さんは俺を生んでしばらく実家で休むはずが、三週間ほどで当時の自宅に戻り、毎日のように俺を連れて介護の手伝いのために実家に通う日々を送っていたと、クソ親父から聞いた。

 その後、割と早くに介護施設の入所が出来たが、入院の付き添いは家族でやらなきゃいけなかったし、施設でお世話になってる間は消耗品のチェックや買い出しなど、誰かがやらなきゃいけないことがあった。

 親戚の誰もが、入所したら面倒なことは忘れて、誕生日なんかの人目に付きやすいイベントの時だけ会いに行って、ケーキを食べて帰ってくるだけだったのに、母さんは『買い物のついでだ』と言いながら、毎月トイレットペーパーや歯磨き粉とか、色んなもののチェックをしていた。

 だけど、母さんの実家では『そんなに毎月会いに行ってたら、家族でお世話できるじゃないかって言われて退所しないといけなくなるから、介護施設には行くな』と言われていたらしい。

 それでも、誰かがひいばあちゃのために買い物をしないといけないから、母さんは毎月一回か二回、自分の家の買い物のついでだと言って、ひいばあちゃんのいる介護施設に行っていたんだ。

 そのひいばあちゃんのための買い出しすら、母さんにとっては、ひいばあちゃんに会うための口実で、ひいばあちゃんが亡くなる三日前まで母さんが頻繁に会いに行っていたと聞いた。

 俺はその時、幼稚園の年長さんにあがる直前だったからなんとなく覚えている。祖父たちは小さな俺が介護施設に行くのをかなり嫌がっていたらしいのだが、母さんは俺とひいばあちゃんが手をつないで一緒にボーっと窓の外を見ているのが楽しかったそうで、内緒で俺を連れて行ってたんだ。

 ひ孫はあんなにたくさんいるのに、ひいばあちゃんと手をつなぐのはアンタだけだから、って言ってたな。


「その時は、言葉を話したり聞いたりするための資格が、食事にも関係するなんてところまでは知らなったなぁ。ひいばあちゃんが入院して、リハビリの計画書を見せてもらった時に、言語聴覚士さんのリハビリがあるって書いてたから、何度か見学させてもらったの。」

「そんなことして怒られなかったの?」

「他の言語聴覚士さんはわからないけど、ひいばあちゃんがお世話になった方は、一緒に声を出して、お手本になってくださいって言って下さって、堂々とリハビリを受けてきた!」

「いや母さんがリハビリ受けてどうすんだよ!」

「そのくらいのつもりで一緒にやってたの!そしたら、ひいばあちゃんも少し話せるようになった時期があって、ご飯も自分で綺麗に食べてくれてたんだけど、退院してしばらくして、入院中みたいに一緒にいられなくなったら、また言葉が減ってしまって、食事も自分で食べたいみたいなのに上手く食べられなくなってしまって・・・あの時、言語聴覚士の資格を取りたいってまた思うようになったんだけど、大学に通わないといけないってわかったら・・・。」

「あぁ、あのクソ親父が許すわけないな。どうせ『俺の飯は誰が作るんだ!』だろ?」

「よくおわかりで。」


 両手の人差し指を俺に向かって指しながら、ちょっとふざけた表情になったが、本当は心底悔しかったはずだ。

 金がかかることになると、とたんにケチになるクソ親父。

 もし、歌声の主さんがいたら、きっと母さんの勉強したい気持ちを応援しただろう……母さんやっぱり結婚相手間違えたよな!少なくともあのクソ親父じゃなかったら母さん絶対に幸せになれたよなっ!

 あぁでもそうしたら俺が生まれてないか……くそっ。


「まぁ、後で公開するばっかりの人生にしたくないから、愚息様には頑張っていただきたいわけです。」

「愚息様って……まぁいいわ、とりあえず、俺もしっかり頑張らないといけませんなぁ!」

「ほなそのいきで頼んますわぁ!」

「うわぁ!なんかうっぜぇ!」


 母さんの進む道は、どうしてこうも苦労が多いんだろう。

 本人はそれをどう思ってるんだろう。


 そんなことを思いながら、義人に小説の追加部分が出来たこと、あともうちょっと書き足して、小説サイトに投稿しようと思っていることをメッセージで伝えると、すぐに電話がかかってきた。

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