みかん

ながね

苦い思い出

 僕のおばあちゃんは、僕が物心ついたときから認知症だった。

 暴れたり、突然いなくなったりということはなく、ただ静かに家の中でぼーっとしていることが多かった。

 ただひとつ、おばあちゃんには変わった習慣があった。毎朝9時ぴったりに家を出て、近くの八百屋さんでみかんをひとつだけ買って帰ってくる。そして、逆さまにしたお皿の高台のところにそのみかんを乗せて、押し入れの中にしまうのだ。

 夕飯を食べ終わったあと、これも毎晩8時ぴったりに押し入れを開けて、みかんを取り出す。皮をむいて、それから房をばらす。薄皮についた白い筋をひとつひとつ指先でつまんではぎ取る。細かい筋は爪を使って引っ掻くように取るものだから、おばあちゃんの爪の隙間にはいつも白いくずが挟まっていた。そして最後に薄皮をはがして中身だけをすする。どうせ薄皮をはがしてしまうのに、どうして白い筋を取るのかが子ども心ながらに不思議だった。

 僕はその様子をテレビの前に座って眺めるのが習慣になっていた。


 ある日、ちょっとしたいたずらを思いついた。100円玉を靴下と足の隙間に忍ばせて小学校へ向かった。帰りみち、おばあちゃん御用達の八百屋さんでみかんをひとつ買った。

 家に帰って、おばあちゃんが見ていないことを確かめてから、こっそりとみかんをすり替えた。

 その晩、おばあちゃんはいつもどおり8時に押し入れを開けてみかんに手を伸ばした。でも、その指先がみかんに触れることはなかった。あとすんでのところで伸ばした手を戻し、おばあちゃんは気をつけの姿勢になった。

 おばあちゃんはそのまま、睨むようにみかんをじっと見つめて、30分以上も動かなかった。   

 いつも猫背のおばあちゃんが、そのときはやけに姿勢がよくて、普段よりも10センチも大きく見えた。

 僕はじっと動かないおばあちゃんの様子が恐ろしくて、何かとんでもないことをしでかしてしまったのではないかと思った。バレたらどうしよう、殺されてしまうんじゃないか。そんな考えが頭をぐるぐるとめぐった。額から汗をにじませたまま、僕は必死にテレビに集中しているフリをした。

 おばあちゃんはふんっ、と小さく鼻を鳴らしたあと、指先だけでつまむようにしてみかんを持ち上げ、そのままゴミ箱に捨てた。ゴミ箱からはかすかに甘い匂いが立ち上っていた。

 僕は今でもみかんを見るたびに、あの日のことを思い出す。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

みかん ながね @katazukero

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ