第28話 原点を見つめる


 白波を蹴立てて漁船は港へ戻るが、しかし加納はまだ気持の整理が付かなかった。これで父の想い出は何も無くなったからだ。母は遺影も何も父の形見を遺さなかった。息子の成長に考えあってなのか、それともそれに代わる物を見付けなさいと母が語っているのか。その表情から何も読み取れなかった。

 そんな加納に成美は手招きした。彼は母から離れて彼女の側に移った。そこで成美にいきなり「本当にあなたは寂しがり屋さんなのね」と言われた。

 何でこんな処で、急にそれを見計らったように言うのか、落ち込む加納には不可解だった。

 戸惑う加納を成美は笑って返した。

「今までにあなたはそんな癖を面と向かって直接言われ無かったでしょう。指摘されないから気付かないでいるかも知れないのね」

 ーーさっき肝心な処で場違いな物言いをした。あれはあなたの場合は本人さえ気付かない子供の指吸いと同じ心理現象だと説明した。構って貰えなかった子供の意図を察し切れず親が止めようとする。子供は上手く主張出来ないから気を引かせる、それを単なる幼児の癖として扱われて、余計に剥きになって逆らい続けようとする。あなたの場合は、いつしかそれが無意識に形を変えて、場違いな物言いになって現れてる。

「最近は言ってから周囲の雰囲気で気付くが直ぐにまた繰り返してしまう」

「それを望んでないのに遂に言って仕舞う自分がいる。それを疎ましく思わない自分も同在している矛盾をあなたは早く気付くべきなのに、報われない寂しさに埋没して改めようとしない。それは無視され続けたお母さんへの偏見の眼差しに過ぎない。真面に見据えて取り戻しなさい母の信頼を、それで亡くなったお父さんも浮かばれるって云うもんじゃないの」

「ほかに注目を集める手段を持たなかったからあんな悪い癖が無意識に出てしまうのか」

「そのもろさは関心を寄せる人には付け込まれますから要注意がいるわよ」

「見透かれないようにしなけゃあなあ。それで波多野遼次さんの計画はどうなってるのかなあ?」

 出だしが悪ければこの計画が頓挫するから、彼も力の入れようが違った。なんせあなたが地元に居たのは二年足らずで、関係者に聴いて性格を推定したらしい。実家は元より特に照美さんには相当聞き込んで会いに行った。

「そこまでして用意周到されて僕の所へやって来たんですか」

「そうらしいわね、始めは従兄弟の遼次さんから連休前に観光案内を頼まれた時は、何であたしなのって想ったけど、母に聴いて知ってから遼次さんの熱意にも押し切られたの」

 ーー英一さんは連休前の出勤時に、地下鉄の入り口で、突然に従兄弟いとこに出会ったでしょう。事前に手紙を受け取っていても、まったく突然なのに、あなたは直ぐに飲み込んでくれた。お陰で直ぐに退社時間に合わせて、話を伺うことが出来て従兄弟は、手ぶらで帰らなくてホットした。そのあとであなたが丹後へ来ると聞いて、従兄弟からあたしはサポートを頼まれたのよ。

「いきなりですか」

「そういきなり。結構悩んだのよでも従兄弟に押し切られた」

「でも結果は引っかかったこれはどうですか」

 まだゆうかと眉を寄せて眼を付けられた。

「引っ掛けたのはそっち〜でしょうー」

 云うほど顔は厳しくない、こういう処は年下に見えて来るからニヤリとした 。

「もーう笑ってる場合じゃないでしょう。あなたのお父さんに対する慰霊の旅は終わったのよ」

「まだ終わってない波多野遼次さんと取り交わしたあの祖父が残した山林の行方が残っている」

「遼次さんなら粉骨砕身の努力で頑張って議会の承認を取り付けたから、その内にあなたに開発オープニングの招待状が来るはずよ。これで他に思い残すものはないでしょう。でもお母さんがそれを望んでいるかは分からないけど」

 と成美は一度振り返ると、何処まで聴いて居るのか知らないが、耀子は静かに頷いていた。


 父を追悼する一連のセレモニーが終わり、加納は知人の漁師に報酬を支払った。片瀬は加納親子を駅まで送った。行きは別々でも帰りは、加納と母は一緒の列車に乗った。帰りは丹波の山並みが飛ぶように後方へ流れていった。

 母は何を残したかったのか伝えたかったのか、漁船のエンジン音が腹の底から響く中で掴み取ろうとしても、若狭の海は何も答えてくれなかった。母の顔色に求める以外に探す他なかった。供養を終えた母は誇らしげに微笑を振り撒き、そこに愁いは何処にもなかった。どう満足しているのか定かでない。父に関して確かに形ある物はすべて消え、後は母の頭の中に記憶と云う形でしか残っていない。それは母だけが独占出来た特権と言えるだろう。

「船では成美さんと話が弾んでいたようね」

「確か二つほど下なんだけどあの人とはまるでシーソーの様に激しく立場が上下してしまう」

「後ろで聞いていてそれは頷けた。あなたに寂しい想いをさせたのはあたしの至らぬ処、でもあなたのお父さんも一緒になった頃はそうだったのよ、でもしっかりと家の仕事を熟し始めると我武者羅にあたしを引っ張り始めた。あなたもそのうちに寄り添って成美さんを乗せて走る機関車に成っていくわよ、それでこそ愛の化身」

 躊躇ためらったら引き返すな。幸せだったかどうかは、添え遂げてから考えろ。多分母はそう言っているんだろう。

「果たしてどうだろう」

 踏ん切りの境を彷徨っている時が、恋の絶頂期なんだろうか。

「恋は感性で考えたらお終い、迷いが吹っ切れたら後は突っ走れば結果が追いついて来るわよ」

 母の指南は父がモデルだろう。さらに母は程々の恋が丁度良いと云う。

 恋に良いも悪いも、まして丁度なんてあってたまるか、と詰め寄ると。

「男も女も出会う時と別れる時ではガラッと人が変わるのよ、甘い言葉がののしり合う言葉に変わったら英一、あなたどうする。行き着くところは刃傷沙汰で破滅を招く。今のお父さんなら物足りない、だからおぎなおうとそのまま続くとそれが解る時が来る。それが幸か不幸かどっちだと思う」

 加納には今朝、母から聞いた「楽しくないけど幸せ」と云う、麻子さんの話が浮かんだ。

「母さん、分かったよ」 

「英一、形見なんて意味がない。あんな物(タイヤチェーン)であの人は測れない、あの人はもっとあたしたちの手の届かない所に居ていつも見守ってくれてる。だから恋は一時でも想いは永遠なのよ」

 過ぎた物は覆せない。だったらよく考えて行動しても、何が正しかは過ぎて見ないと解らない。だったら自分を信じて歩むしかない。覆水盆に返らず。だからあなたの持ち帰った物で遠い昔の出来事を、許すか許さないか二者択一を迫っても意味はなかった。あたしは目に届く所にあった物を、もう誰の手にも触れない所に返して、これでき物は去った。あの人の墓石が英一の源流なら、そこにある七つ分の鎖が、あの子の生きる原点になるかも知れない。

 あの時に井久治と一緒に、あの町を離れていれば良かったのか。そうすれば今の家族で英一だけが、肩身の狭い思いさせないで済んだかもしれない。

「永遠か……」

「そう悲観することもないのよ。それもこれも試練だと想いなさい。原点の源流は最初の一滴を無にして生まれる。楽して始まるより十字架を最初から背負って始めればそれが指標になり得るでしょう」 

 この町から離れた母は、いつか愛の結晶が旅立つ日を夢見て、再婚したのではないかと云う妄想を抱いた。しかし当時の母は難しい人で、彼に訊く勇気は持ち合わせていなかった。

「指標か……」

 里子に出せと親戚筋に言われても拒んで再婚した。義父を選んだのでなく、息子を選んだのだ。そこで自分を捨てて生きたのだろうか。

 しかし失踪してからの母は違った。母は丹後に着くと昔に返ったように、突然に彼女の愛しい人の過去が蘇った。昔を懐かしむように、思い通りの人と成りが、心に広がった。

「二十年振りに愛しい人が眠る町に辿れて夕べは眠るのさえ忘れたそうですね」

 母は列車の揺れに心地良く身を任せて、あの人が逝った過去を照らす丹波の山並みに、心を預けた。暫くは心ここに在らず、と車窓に小首を傾けていた。

 これであの人に関わる物はすべて消えてしまった。だが後から成美に依って、意外な事実が判明した。七つ分の鎖の輪が父の墓に、遺骨と一緒に眠っていると告げられた。それを伺って完全な闇でなく、一隅に幽かな光明を加納に残した。


 それから一ヶ月後に加納は、父の代襲で引き継いだ山林に立った。誘われた成美もどんな風にこの場に収まるか、興味津々な様子で彼を見ていた。波多野遼次が音頭を取って始めたフィールドアスレチックの開発だ。そのオープニングと謂う起工式に招待され、その鍬入れ式なるものに、町長と共に地権者として肩を並べた。きっと亡父も空の上から見ていてくれると確信を持って、この事業を推進してゆく決意を新たにした。突貫工事でやったのか、未整地ながら頂上まで何とか車が通れた。しかし頂上付近は整地が整わず、受け入れられる駐車の台数は限られていた。が加納の乗る成美の車は駐められた。この町ではあなたの御威光が行き渡っているのではと、冗談半分に成美は茶化した。

「これで亡き父も草葉の陰で笑ってくれているだろうか」

 と加納も成美に合わすように不真面目に応えた。

「確かめて見たら ?」

 亡くなった父をどうして確かめる。一瞬成美の言葉に戸惑った。直ぐに加納の彷徨う視線を成美は引き付けた。

「それで気が休まるのなら、会った方が良い」

 と彼女は亡父の墓参りを勧めた。 

 それで納得した彼は帰り際に今一度、父の墓参りを済ますことにした。父の墓石の前に二人は佇んだ。

「何を確かめるのか知らないけど、記憶にないお父さんのことで何か思い出したの ?」

「うん、ひとつ思い出した。店先に並ぶ葛餅を眺めていたら父が買ってくれたが口にしなかった」

 父はなんや食べへんのかと笑っていた。

「ホー、憶えているの ?、お父さんはどんな顔をしてたの」

「それが今の義父の顔しか浮かんでこなかった」

 それじゃあ加納さんは、矢っ張り見知らぬ面影だけを追ってる。お母さんはそれを断ち切ろうとしている。その狭間を寂しさで埋めようとするから、場違いな言葉が無意識に出て来るのだ。

「それは自分では今は判らないけど治すのはやぶさかじゃないわよ。それより今日の事を報告に来たのね」

 成美は彼の頬に当たる光彩を見て、背を押すように言葉を掛けた。

「まあそのつもりだけど父がこの町で生きていたらこの事業は望んだのかが気になってね」

「それは加納さん自身で選んだのよ、だからこの人には関係ないわよ」

 と成美は柄杓ひしゃくに汲んだ水を墓石に掛けて二人は合掌した。

 墓石の天辺から流れ落ちた水は、土台の石を伝って地面に、したたり落ちて大地に染み込んだ。

          (完)




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源流 和之 @shoz7

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