第3話 少女の話
メイは、帝国の奥、北の山のふもとにある大きな湖で有名な、逆に言えばそれ以外に何もない小さな領の男爵家の次女として生まれた。
元をたどれば中央の伯爵家から分化した、そこそこの血筋である。水源や土地に恵まれ、冷涼な気候は一年を通して過ごし良い、そこそこの領地。
愛馬ルークと一心同体の心優しい父と、下町に自ら出向いては子供らと追いかけっこをするようなそんな母。姉のエルザは居眠りが好きで、もうすぐ結婚して帝都に行くことが決まっている。長男である弟のパーシヴァルは食いしん坊。
そしてメイ、リンダ・メイは、中でも一層特筆すべきことのない令嬢であった。とくに見目が良いわけでも才気あふれるわけでもない。ただ領地を愛し、家族を愛し、のんびりと日々を過ごしているだけの、どこにでもいる普通の令嬢であった。
ただ、前世の記憶があることを除いては。
生まれた時からこの世にない物を見たことがあった。それがどこにもないことを、だんだんと了解するようになって、やがて前世で亡くなる前の記憶を取り戻した。
だけど、そんなこと、前世の世界で読んだ小説ではよくあることだったし、もう死んでしまって産まれ直してしまったことにはどうしようもないのだからと、特に気にしてはいなかった。それが、どんな意味をもつのか、わかっていなかった。
『喚ぶ者』それは、災いをもたらす存在。混沌を語ることで、混沌をもたらす。言葉に力があるとするようなその考え方は、前世に近いようにも思えて、理不尽だなどという気持ちにはならなかった。馬鹿馬鹿しい、とは思う。
母は、それを誰にも言ってはいけないと言った。けれど、それがどれほどの想いで告げられたものなのか、メイはまるでわかっていなかった。
どこからもれたのだろうか。領を燃やした賊は、このことを知っていた。
メイの帰る場所はもうない。
そんな絶望的な気持ちで住み慣れた領地を一人抜け出してきたのだ。それが何の因果か、帝国一のスターである皇太子殿下とこうして荷馬車に乗り合わせているだなんて、信じられない。しかも、荷馬車だ。何の冗談だろうか。夢であってももう少し現実味のある景色を見せてくれることだろう。
メイはまだ社交界にも出ていなかったため、直接皇子に拝謁したことはない。友人達であったり家人のうわさ話や新聞などの絵姿ぐらいしかまともに見たことがない。一度だけ健国祭のパレードでたまたま人波に押されて動けなくなったところが幸運にもパレードのすぐ側の好位置だったことがあった。その時に強い逆光の切れ間から見た、遥か頭上高い位置で背筋をまっすぐに伸ばしている細い姿を覚えている。それと、目の前で無防備に揺られている姿とが、どうしたことかやはりしっかり重なるのだった。『喚ぶ者』は帝国国教の教えにおける禁忌の存在である。そんな影の部分と言っても過言ではない自分とが、まさに帝国の光そのものである皇子と、こんな異国でこんな荷馬車に乗り合わせるだなんて。
メイにはこの旅が、この一行の行く末が、まるで予想できなかった。
白金の魔女と青銅の騎士 ーこれは私が帰るまでの物語ー 雨森すもも @amamori-sumomo
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