【憑狐-つきつね-】たたりかくれんぼ
来栖千依
第1話 いきさつ
「――どうしても、あなたにお願いしたいのです」
向かいのソファーから密やかな声があがる。
その正面で、
寝起きの頭がぼうっとする。昨晩は熱帯夜だったから寝付くのは明け方だった。
どうせ夏休みだから長寝しようと決めていたのだが、まさか初日の早朝から訪問チャイムで起こされるとは思わなかった。
「他にも伝手を考えたのですが、年頃の近いあなたが適役かと思いまして」
小さいながらよく通る声で話すのは、
舞台俳優のような端正な顔立ちは、こなれた淡い色合いの和服と肩先で結んだ長い髪のせいで女性のようにも見える。
物腰やら所作やらが驚くほど柔らかいせいもあるだろう。普段から着物を愛用しているようだし、もしかしたら桜は舞踊の心得があるのかもしれない。
ただの高校生である羽槻は、彼のような傑物に頭を下げられる覚えはないのだが。
「どうかお願いします。頼みを、聞いてはいただけませんか」
あらためて深々と下がる頭に、羽槻は眉をひそめた。
「頼みとはなんですか?」
「ひと夏の間、『
「……なんで?」
ぎょっとした拍子に、思わず失礼千万な返事がもれた。
―――――――――――――――――――――
夏休みに浮かれない子供はいない。
好きなように騒ぐも駆けるもけっこうだが、ショッピングセンターのゲームコーナーの喧噪になじめるほど、羽槻は子供でもなかった。
耳に障るのは、あちこちの遊具から流れる音楽。
はしゃぐ少女たちの笑い声。
迷子を知らせる作り声の館内放送。
帰りたくないとだだをこねる幼子の叫び――。
(うるさい)
小さな子供に配慮してか、空調は高めの温度だ。
それが、高校にあがってぐんと背の伸びた羽槻には堪える。
熱いから、こんなに気に障るのだ。
冷静でいられない頭のなかで、音のせめぎあいが熱されたアスファルトの向こうにみえる蜃気楼みたいにぐにゃりと曲がって反響する。
(うるさい、うるさい、うるさい――)
すっかり参って、頭をかかえようとしたそのとき。
「はづき」
風鈴のような声に、横から叩かれた。
「はーづーき。ねえ、どうしたの?」
我に返って見下ろせば、まっさらなとび色の瞳が間近にあった。
もしも羽槻がなんの予備知識もなく『これ』を見たなら、美しいと思うだろう。
白絹のようになめらかな肌に、ビー玉のような瞳と通った鼻筋、色づいた唇が、あるべき場所にあるべき大きさで収まっている。
体つきは貧弱で、パーカーも七分丈のズボンも、ワンサイズ小さいのを選んでもいいくらいだ。
余った布地のおかげで、誰が見ても中性的な印象を受ける。
羽槻が桜からあずかった級友であり、とある因縁があって離れられない相手だ。
「……どうもしてない。人ごみに酔っただけだ」
「ふーん。お昼はなにがいい?」
「なんでもいい。あと、離れろ」
腕にまとわりついてくる蓮の顔を、羽槻はうっとおしく思って押し返した。
暑苦しいし、周囲の視線がいたい。
羨ましそうな少年どもならまだしも、どん引いた顔の女の子に穴が開くほど見上げられているというのに、なんで平気なんだ、こいつは。
「俺は男と腕をくむ趣味はない」
「女の子だったらいいんだ。うわー、ちょっと引いた」
あまりな物の言いように、羽槻の頭にカッと血が上った。
「お前っ――」
「!」
びくり、と蓮の肩がはねたので、羽槻は出かかった罵声をこらえた。
蓮は人をからかって遊ぶ。
頭の回転が速く、邪心のなさそうなきれいな顔でのたまうものだから、どうしても凡人の羽槻には敵わない。
けれど、怒ると今にも泣きそうな顔を見せる。
口では決して言わない『ごめんなさい』が聞こえる気がして、羽槻はなにも言えなくなってしまうのだ。
(美人って、卑怯だろ)
しかし、共にいる覚悟をしたのだからそろそろ慣れるべきだ。
羽槻は、とある事情から転校を続けてきて、三十校目で出会ったのが蓮だった。
蓮は変人だ。痩せぎすのくせにやけに物を食べるし、人には見えない物を見る。その分、対処の方法もよく知っていた。
こいつなら、自分が逃げ回っている原因を――あの怪異をどうにかしてくれるかもしれない。
わずかな期待を持って、羽槻は、蓮が部長を務める「怪奇調査部」の部員になった。もちろん幽霊だ。誰がのぞんで怪異となどかかわるか。
(仕方ない)
気を取り直して、羽槻はゲームセンターと隣り合ったフードコートを見た。
「昼飯はお前が好きな物でかまわない。俺の分も買ってこい」
心を開け渡したフリで財布をあずければ、蓮は、ぱあっと顔色を明るくして駆けて行った。
――――――――――――――――――
『――蓮をあずかって欲しいのです。急な仕事で、ひと月ほど住まいに戻れなくなりまして』
そう桜に頼まれて、羽槻はまずこう思った。
(なぜ同い年の男を、ひと夏も面倒みなければならない?)
不満が顔に出ていたのか、桜は何度も何度も頭を下げた。
よほど蓮が心配らしかった。
断れなかった羽槻は、緑色のナップザックに最低限の着替えだけつめて、教えてもらったキーナンバーでマンションの入り口の鍵を解除し、桜がいなくなった部屋に転がりこんだ。
広い居間の、巨大な液晶テレビに相対するソファに、蓮はぽつんと座っていた。
「どうしたの、はづき」
「……ひと夏、ここに住むことになった」
そう言えば、驚くでも嫌がるでもなく「そう」とだけ返してきた。
どれだけ生活能力がないのかと思えば、蓮は料理も掃除も洗濯もそれなりに出来た。
少なくとも、羽槻が教えることや叱ることは一度もなかった。
ひじょうに模範的。保護者も監察官も家政婦もいらない暮らしぶりだ。
ただ、月が出ていると、寂しそうに夜空を見上げた。
部屋には、桜の造花が一枝かざられていた。
見かけによらず孤独なのかもしれないと、羽槻は最初の一週間で気付いた。
――――――――――――――――――――
「なんだ。これは?」
「なにって、僕たちのお昼ごはんだけど」
蓮が選んで買ってきたのは、全国チェーンのハンバーガーだった。
特に好き嫌いのない羽槻だが、問題はメニューではない。
「お前は馬鹿か。二人分の量じゃないだろう」
ハンバーガーは、プラスチック製のトレイにこんもりと山盛りになっている。
簡単な包装紙のもの。すこしボリュームのある箱入りのもの。付け合せのポテトにパイ。小さなアイスクリームまでたっぷりとだ。
「だれが全種類制覇しろと言った」
苛立たしげに告げると、蓮はすこしも反省なく肩をすくめた。
「確かに『あるもの全部ください』って言ったけど、そんなに種類はないよ。基本のハンバーガーに、チーズサンド、照り焼きチキン、フィッシュフライ、トマト、ソーセージ、イワシ。どれがいい?」
「種類の話をしているわけじゃな―――今、イワシと言ったか?」
ぎょっとして聞き返すと、蓮はこくりとうなずく。
「ヘルシーで流行ってるんだって。小骨に気を付けてくださいって言われた」
手渡されたのは、塩焼きの魚が一匹、そのまま挟まれた一品だった。
(流行してたら、なんでもいいのか……)
浮ついた世間に辟易しつつ、羽槻は、向かいでポテトをつまむ蓮を忌々しく見上げる。
「なんでこんな混雑した場所に、わざわざ俺を引っぱってきた。買い物が目当てじゃないんだろう?」
そう推理したのは、蓮が多くのショップが並ぶストリートサイドを早足で通りぬけてきたからだ。
「羽槻を連れ回すのもどうかと思ったんだけど。これにどうしても入ってみたくて……」
蓮は、珍しくしおらしい態度で、トレイの底に敷かれたチラシを引っ張りだした。
このショッピングセンターで開催される催し物の紹介が小さく載っている。
「お化け屋敷?」
「そう。夏休みの間だけここでやってる体験型アトラクション。ショッピングビルの中二階を、ぜんぶお化け屋敷に改装してあるんだって!」
わずかな遠慮はどこへやら。
蓮は、前のめりになって瞳を輝かせた。
桜がいなくなって二週間、ほとんど見ることがなかった生き生きとした表情だった。
しかし、それに安易に同調する羽槻ではない。
「……怖いのが好きなのか、お前」
「大好き。でも、人間より怖いものはないっていうのが僕の持論なんだよね」
「くだらない。じゃあ、お前は自分も怖いのか?」
あげ足をとってやった気で見下ろすと、蓮は小首を傾げた。
「うん、怖いよ。僕より怖い人間を知らない」
蓮の発言は、たいてい予想できない。けれど、だ。
あっけらかんと言わないでほしい。
「……そうか」
つっこむと長くなる気がして、羽槻は詳細を無視した。
投げやりにイワシバーガーにかぶりつくと、油断したのどに小骨の洗礼を受けたのだった。
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