第2話 まよいご

 柚平羽槻は、お化け屋敷に入ったことがない。

 わざわざ恐怖体験をしに行く必要はなかったし、どれどれ一度連れて行ってやろうなんて酔狂な大人も近くにいなかった。


 ただし、最小限の情報だけは持ち合わせている。

 暗い室内で、青や緑の証明に照らされた血みどろの張りぼてが、機械制御でせり出してくる――ようは子供だましの施設のはずだ。

 

 だが、昨今のお化け屋敷は、アトラクションと銘打っているだけあって、人間がじかに驚かす方式らしい。

 専有面積は広く、そして料金も高かった。


「……なんで驚かされに四千円も払わなきゃならない」

 

 すっかり空になった財布を見下ろしてうな垂れると、となりの蓮はさも当然そうに言う。


「夏だから? はい、チケット」

「ん」


 素直に半券を受けとってゲートへ向かう。

 食べきれなかった分のハンバーガーを放りこんだバッグを背負い直すと、待っていた若い女性スタッフが、半券を差しだした蓮に満面の笑みを向けた。


「はーい。『たたりかくれんぼ』二名様ごあんなーい」

「たたり?」


 そう言われて、はじめて羽槻は、いま入ろうとしているアトラクションが、自分にとって恐ろしい要素を秘めていると気づいた。


 けれど、もう遅い。

 手錠でもかけるみたいに、無理やり細い懐中電灯を握らされる。


 一枚の紙を手渡された蓮は、一足早く開かれた木戸のなかへ踏みだしてしまった。


(離れるとまずい)


 半ば本能のように、羽槻は彼を追った。



―――――――――――――――――――――



 木戸をくぐると闇がおりた。

 明るい日差しから急にトンネルに入ったような暗転に目がくらむ。


 思わず立ちすくんだ羽槻は、視界を塞がれて過敏になった鼻にすえた臭いを感じた。


 カビの匂いだ。

 古木に根を張って、まだらに浸食するような、黒い、くろい――。


「はーづーきっ!」


 強く名を呼ばれて、どきりとした。

 目をこらせば、蓮が三歩向こうのオレンジの光の下で立ち止まっていた。


「なんだか今日はぼうっとしているね。ダメだよ。暗い所に入るときは、いったん目を閉じなきゃ。闇に眼がくらんでいるうちに、怖いものに手を引かれたらどうするの?」


 そう言って、くすくすと笑む。


 薄暗がりのなかでは、ただでさえ白い肌がさらに血の気なく見える。

 それが人並み外れた美貌で、花のようにほころんでいる。


(正直、お化けより怖い)


 羽槻は、異形に化かされている気分で、様変わりした周囲を見回した。


「ここは……廃校、なのか?」


 木張りの床は長年の経過を知らせるように黒ずみ、壁に貼られた藁半紙の『はしるな!』という注意書きは端がめくれあがっている。


 暗すぎる照明はLEDでも蛍光灯でもなく、昔ながらの白熱灯電球だ。

 蓮の顔がオレンジがかって見えるのは、このせいである。


 丸い電球はどこからか吹く風に揺れている。

 ゆれる音が、か細くする。

 キイ、キイ、キイ……。


「ただの遊びに、なんて雰囲気だ……」

「四千円の価値はあるでしょ? この空間、とある廃校の建て材と備品をそのまま運んできて、実際と同じく再現してあるんだって!」


 蓮は、闇のなかを楽しげに歩む。


 オレンジの光の下から闇へ。

 そしてまた、うす暗がりのなかへ、ふよふよと。

 

 まるで、水を得た魚だ。

 羽槻の方は、酸素ボンベが欲しいくらいだというのに。


「おまえ、こっちのが生きやすそうだな」


 なにげなく言うと、蓮は振り返った。


「ルートはこっちであってる?」


 羽槻は懐中電灯のスイッチを入れた。

 ゲートをくぐるときに蓮が手渡された紙を照らせば、それは『学校の見取り図』だった。


 長方形の校舎が、二階分。

 ゲートを入ってすぐ、今いるのが二階の廊下端。

 すこし進むと第一教室への入り口があり、そこから廊下に出たり入ったりしつつ、すべての部屋を回るようだ。


 地図の横には、簡単な説明書きが添えられている。



 ――『たたりかくれんぼ』――

  

 夏休み中に校舎に忍びこんで『かくれんぼ』に興じた女の子が、ひとり行方不明になりました。

 彼女は休みが明けても見つかりません。

 校舎では怪現象が起きるようになり、女の子の『たたり』と恐れられました。

 たたりのせいで通う子供は少なくなり、結局、廃校になりました。

 迷いこんだあなたは、見つけなければなりません。


 ――きっと、まだ隠れている彼女を――。



「ようは、『かくれんぼ』の要領で、隠れている幽霊の女の子を見つけ出すとクリア。その道中に『たたり』と思われる怖い仕掛けがあるってことだよ」


 蓮の説明に納得しかけた羽槻は、ふと顔をしかめた。


「ただ驚かされるだけじゃなく、幽霊をこちらから探すなんて嫌な設定だ。誰がこんなのを考えつくんだ?」

「それがね、作った設定じゃないらしいんだ。知りたい?」


 答えを告げる間もなく、蓮は鼻高々でスマートフォンの画面をかかげた。

 白くまぶしい画面に開かれていたのは、古い新聞記事のスクラップだった。

 

 日付は昭和だ。夏休みが明けたばかりの九月五日。

 ――『かくれんぼで行方不明の少女。いまだ見つからず。』


「夏休み明けに、警察と教師が百人規模で校内を捜索したけど、彼女は影も形もなかった。この数日後の記事で『付近で不審な男を目撃』とか『近所では神隠しと噂される』とか書かれているけど、子供がいなくなったときに必ず出る証言だから割愛します」


 捜査の結果を報告する新人刑事みたいに胸をはる蓮から視線を外して、羽槻はあごに手をかけた。


「実際にかくれんぼで行方不明者が出た校舎をそのまま利用してるってことか……」

「そう。まだ死体は出てきてない」

「お化け屋敷じゃなくて、死体探し屋敷か、ここは?」


 夏休みの間に校舎で行方不明になった子供。

 羽槻の予想では、隠れてからそう日が経たずに死んでいるだろう。


 夏の暑さでは、すぐに腐って、溶けて、見るも無残な状態になっているはずだ。

 正直、幽霊よりそちらを見ろと言われる方が嫌だ。


 たぶん、幽霊の不気味さと、死体を見つけてしまうかもしれないという不安、どちらも両立しているからこそ、じっとりとまとわりつく暑さのような恐怖になるのだろう。


 けれど、幽霊も、死体も、言ってみれば、もとは『人間』なのだ。

 行方不明になってから、本人や家族の悲しみや苦しみは、数多くあっただろう。


 それを無視して、金儲けの道具に使うのは。


「気分がわるい。こんな風に客よせパンダに使われたんじゃ、行方不明者とその家族はさぞや怒っているだろうな」


 不快感をあらわにすると、蓮はふしぎそうに目を瞬かせた。


「……羽槻。きみ、本当にと思ってる?」


 思いがけない問いに、羽槻は思わず眉間のしわを深くした。


「そういう話だっただろうが」

「うん。そういう話だったでしょ?」

「はぁ?」


 会話が噛み合わない。

 蓮が相手の場合はよくあることなのだが、いまの羽槻は冷静ではいられなかった。


「俺が言ってるのは、人間の死を面白おかしくアトラクションに仕立てるなんて、この企画立案者はどうかしてるって話だ!」


 一気にまくしたてると、蓮は「うん」と腰に手を当てた。


「気持ちは分かるけど、おちついて。冷静に考えてごらんよ。人が実際に亡くなってたり、本当に『たたり』があったりしたなら、夏休みに家族連れがお遊び気分で来るアトラクションには使わない。だって、問題や事故があったら困るもの」

「ということは?」

「このストーリーは全てが現実じゃない。人を怖がらせたい誰かがつくった、お化け屋敷用のフィクションってこと」


 断言した蓮の視線の先は、積みあげた机と椅子で塞がれていた。

 その横に、ちょうどよく教室の扉がある。


 校舎と同じ木造りで、中央に歪んだガラスがはめこまれているようだ。

 地図には、障害物は示されていない。


 扉が閉まっているなら、開けなくてはならない。

 他の誰でもない、自分の手で。


「危ないから、下がってろ」


 前に出た羽槻は、中を探ろうとガラスに懐中電灯を当てて、後悔した。


 血走った眼が、

 

『ぎろり』


 とこちらを伺っていたからだ。


「うわっ!」


 思わず後ずさると、「ふふっ」と笑んだ蓮が、扉を勢いよく開いた。

 扉のすぐ向こうに長い髪をふり乱した女がいる。


 羽槻はぞっとしたが、蓮は、まるで英会話教室の冒頭みたいに片手をあげて、にこやかに一言。


「ハロー!」

「ばっ、挨拶してる場合か! 相手はゆうれ――」


 ――い。

 ではなかったと、蓮の腕をつかんで走りだしてから気づいた。


 ここはお化け屋敷なのだ。

 この女は、脅かし役。蓮はそれを弁えている。

 しかし動き出した足は止まらない。


 机アーケードの向こうに出ると、羽槻はきれた息の合間をぬって、蓮の胸倉をつかんだ。


「お化け役を驚かしてどうする!?」

「僕はあいさつしただけだよ? 第一印象って大事じゃない?」

「ふざけるなら出るぞ!」


 強面で脅せば、蓮はようやく過ちに気づいたらしく、両手を合わせてあやまった。


「ごめん、ごめん。命の危険なく怖いものを楽しめるなんて初めてで、正直すごく楽しくってはめを外しました!」

「この変人め」


 呆れて掴んでいた服を離す。

 そのまま蓮の横を通り過ぎれば、戸惑った声が聞こえた。


「どこ行くの?」

「お前の道楽に付き合ってられるか。俺は先に出る」


 幸いにも、非常口が近くにあった。

 途中でリタイアする客のために設けられたものだ。


「出口で待ってる。せいぜい楽しんでこい」


 扉に手をかけて、引く。

 すると、急に桜の声が脳裏によみがえった。


『蓮をあずかってほしいのです』


 ここで蓮と離れるのは、彼の頼みを放棄したことにならないだろうか。


(くそっ)


 良心の呵責にたえかねて、羽槻は振り返った。

 蓮は『ごめんなさい』の表情をしているかと思いきや、いぶかしげな顔で、たった今出てきた教室を見ていた。


「まずいのがきちゃったかな……」

「まずいの?」


 視線の先をたどれば、先ほど通りすぎてきたはずの、髪をふり乱した女が立っていた。


 弛緩した腕をだらりと下げて、教室の中央で、左右にゆれている。

 いや、揺らめいているのか。

 どこからか吊られているみたいに、ゆらり、ゆらり。


「さっきの脅かし役は、あんな恰好をしていたか?」


 通りすぎてきた脅かし役は、白い和服を着ていたような。

 しかし、目の前の女は白いロングワンピースを着ている。

 

「君には、あれが人間に視えるの?」

「……まさか」


 ぞっとすると、女がこちらに向かって、ざりっと前進した。

 同時に、羽槻は頭がいたくなるほどの耳鳴りに襲われた。


『あぁあづきぃいい?』


 ラジオのボリュームを急に上げ下げしたような、奇妙な声。


「いったい、なん――だ!?」


 責めるように蓮を見れば、姿が見えない。


 かわりに、遠くでゆらめていていた女が、目の前に。

 羽槻の息がかかりそうな近くで、頬までさけた口がニタアと嗤う。


「っ!」


 声にならない悲鳴をあげると同時に、シャツの襟をつかまれる感触がして、羽槻の体は後ろに飛んだ。


「なっ!?」


 非常口に投げ飛ばされたと気づいたのは、傾いだ体に覆いかぶさるように、蓮もまた飛びのってきたからだ。


 倒れ込んだ背中が、床にダンと落ちる。

 痛みに思わず目を閉じる。


 その瞬間、脳裏に、非常ベルがけたたましく鳴った。


 

(ちがう、セミの鳴き声だ)


 頬がじりじりと焼ける。

 懐かしい熱さに誘われて、羽槻はそっと目を開いた。


 まっすぐ長い廊下が遠くまでつづき、青空が見える窓から陽光が差して、羽槻を照らしだしている。

 鼻につくのは、カビではなく、乾燥した木のにおい。


 学校だ。

 古い、木造の。

 お化け屋敷というから、てっきり暗いものだとばかり思っていたのに。


「いつのまに照明がついた?」


 混乱して口に出すと、足元で、なにかがもぞりと動いた。


(まさか、さっきの)


 背筋を冷やしたが、ひじをさすりつつ顔を上げたのは、うんざりした表情の蓮だった。


「これは照明の光じゃないよ。だって、こんなに肌を焼く」

「ここは室内のはずだ。太陽の光なわけないだろ!」

「あるある。でも、いつの太陽か知れないよ。たぶん昭和のだと思うけど」


 まったく理解不能だ。

 戸惑う羽槻に、蓮は片眉を下げて困ったように笑う。


「ここは、この世とはなにもかもが違う、あの世に最も近い場所。僕らは、呼びこまれてしまったみたいだ」

「……は?」


 想定外を四周ほど引きはなした現実に、羽槻は絶句した。

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