第4話 せいかん

 職員室を出た二人は、我先に階段をのぼった。


 この校舎は、外に通じる窓も扉もびくともしない。

 あの女から離れるには二階に逃げるしかないのだ。


 駆け込んだのは音楽室だった。


 床には、オタマジャクシのような形の音符がならぶ楽譜が散らばっている。

 窓際にあるのはグランドピアノではなく、古式ゆかしい足踏みオルガン。


 防音設備がなされていないせいか、膝に手を当てて肩を上下させる蓮と、扉に背をつけてくずれ落ちたた羽槻の呼吸が、やけに大きく響く。


「こ……れでは、かくれんぼではなく、鬼ごっこだ……」


 苦しい呼吸の合間をぬって羽槻が吐きだす。

 すると、蓮は、はっとした様子で顔をあげた。   


「鬼?」


 大きな瞳が見開かれる。

 淡い虹彩はキラキラシャラシャラとヒビを入れた水晶のように瞬いている。


 こうなった蓮には、もはや周りなど見えていない。

 呼びかけても気づかないことだってままある。


 蓮はいま、華奢な体に残るエネルギーと類いまれな頭脳システムの全てを注いで、突拍子もないアイデアを練っている。

 羽槻に出来ることは待つだけだが。


「悪い、すこし急いでくれるか」


 焦れて声をかければ、わずかなタイムラグをもって正気に戻った。


「うん。急ごう。羽槻って足は速かったっけ?」

「クラスで三番手ぐらいだ」

「十分だよ。僕は運動苦手なんだよね」

「おい、まさか……」


 嫌な予感に顔を歪めれば、蓮は微笑んだ。

 天使のように可憐でありながら、終末のラッパが聞こえてきそうな不穏をまとって。


「そのまさか。ちょっとだけ童心に返って、追いかけっこしてみない?」

「……まじかよ」



―――――――――――――――――――――――



 足踏みオルガンは、全体的に調律がおかしい。

 ツェーを出したいのに、Eエーがでる。

 けれど、奏で始めたからには止められない。


 譜面台の楽譜には、子ども時代に馴染みのあった曲がのっている。

 きら、きら、ひかる、おそら、の、ほしよ。


「羽槻、すごい! じょうず! 武道館いっぱいにできそう!」

 

 あぐらをかいて拍手する蓮を、羽槻はギロリと睨んだ。


「ふざけるな。まだか?」

「だいぶ近づいてきてるよ。聞こえるでしょ?」


 聞こえる。『はづき』と呼ぶ声が。

 羽槻の奏でるおかしな旋律に惹かれて、女はこちらに向かっている。


「それじゃ、走りますか」


 一流アスリートみたいな顔つきで立ち上がった蓮は、女から遠い方――音楽室後方の扉に手をかけて、「そういえば」と振り向いた。


「気休めにしかならないけど、祝詞のりとでもあげとく?」

「いらん」


 そうこうしている間に、前方の開口部から女の髪がのぞいた。

 

「時間切れだ。合図は?」

「いちについて、よーい」


 蓮の掛け声につづいて、羽槻が『ジャン!』と鍵盤をたたく。

 不協和音を境に、事態はクラウチングスタートをかけたように動き出した。


 蓮は、女が上ってきた階段めがけて一直線に走る。

 蓮のあとから廊下に出た羽槻は、反対側にある廊下の突き当たりへ向かった。


 地図では倉庫と書かれている個室だ。

 そこで、あえて戸を開け放ち、壁を背後にして立つ。


 呼吸を整え、目を閉じて、ゆっくりと数を数える。


 いち、に、さん、し、ご、ろく、なな――。


『はぁづきぃ?』


 名前を呼びながら、女は倉庫に踏み入ってくる。

 羽槻は、逃げたい気持ちを必死に抑えつけて、つづきを数えていく。 


 はち、きゅう、じゅう――。


 女は、ざりざりと嫌な足音を立てて近づいてきた。

 羽槻に向かって、皮と骨ばかりの腕を伸ばす。


 鋭い指先が、頬に触れる。

 その瞬間、羽槻は目蓋を開けた。


「もういいだろ」

 

 呟いて身をひるがえすと、突如として女の前から羽槻の姿が消えた。

 消えたように見えただけで、実際にはフレームアウトしたのだ。


 女が追い詰めていたのは、姿見に映った羽槻。

 倉庫を出た生身の方の羽槻は、引き戸を勢いよくしめた。


 ぶら下がっていた鍵を差し込んで簡単に開かないようにすると、全速力で階下をめざす。


 両手を大きく振り、足をあげて、脱兎のごとく走り抜ける。

 はっ、はっ、と息を乱しながら思うのは、人間にも緊急ボタンがあるらしいという他人事みたいな空想だった。



――――――――――――――――――



 羽槻が例の祭壇に辿りつくと、すっかり息を整えた蓮が待っていた。


「おかえり。ライバル選手は?」

「閉じ込めてきた。じきに出てくるだろうがな」


 手の甲で垂れてきた汗をぬぐう。

 蓮はものものしい仕草で位牌を手に取った。


「むかしむかし、大陸の方では死者を『』と呼んだ。おには本来、桃太郎に退治される悪者ではなくて死者のことだったんだ。羽槻が『かくれんぼではなく鬼ごっこだ』と言うのを聞いて思い出したんだけど、『かくれんぼ』は、地域によっては『かくれ鬼』または『かくれ子』とも言う」

「かくれご?」


 まるで行方不明になった子どもを指すような名称に、羽槻の背筋が冷えた。


「そう。そして『かくれ子』という名前で行われる場合は、鬼のことを『親』と呼ぶ。姿が見えない子どもを探すのは、親の宿命だったんだよ」


 蓮は位牌の扉をあけて、なかの木札に書かれた筆文字に目を細めた。


「これには戒名がついてる。大人の女性のね。なくなった日付は、廃校になった二年後。つまり、この位牌の主は学校で亡くなってない」

「どういうことだ?」


「ここが廃校になったのは、『はづき』ちゃんが行方不明になった翌年なんだ。これは生徒数の減少で、あらかじめ決められていた。だから、僕はアトラクションのたたり要素を、お化け屋敷のためのあとづけの設定だと断定できた。それには、もう一つ理由がある」


 蓮は、充電がかすかに残ったスマートフォンの画面を掲げた。


「行方不明になった『はづき』ちゃんは、三年後に無事に見つかっているんだ。実のお父さんのところで」


 予想外の事実に、羽槻は面食らった。


「生きて、しかも親のところにいたのか?」

「海外のね。現在みたいに国をまたぐ親権問題が浮き彫りになっていなかった頃は、親の片方が無断で子どもを他国に連れていってしまうことが多かったんだ。当然、知らされない方は行方不明になったと思うよね。しかも残念なことに、はづきちゃんのお母さんは、所在が分かる前年に病気で儚くなられていた」

「あ……」


 かくれんぼでいなくなった娘は、海外の父親のもとで人知れず生きていた。

 ――それを知らなかった母親は、その間どうしていた?


 蓮は位牌を閉じて、もとあった場所に戻した。


「病気で亡くなったお母さんは、『はづき』ちゃんのことが心残りだったんじゃないかな。その気持ちを知る誰かが不憫に思って、廃校に位牌をうつした。この校舎には、行方不明者も死亡者もいない。けれど、娘をなくしたお母さんの魂は残ってしまったんだ」

「まさか、それからずっと探し続けているのか?」


 いなくなった、娘を。


「かくれんぼは鬼が見つけたら終わり。見つけられなきゃ、ずっと続くはずなんだ。あの母親のなかではね」

「いなくなったのは娘だろ。なぜ俺を追ってくる? 俺は男だぞ」

「たぶん、もう『はづきを見つける』って妄念しかないんだと思う。僕が羽槻って呼ぶのを聞いて、混乱してしまったのかもしれない」


「娘が生きていると知らしめてはどうだ。その新聞記事を見せて、生前を思い出させれば、あるいは」

「はづき」


 早口でまくし立てると、ふいに蓮の手で両頬を挟まれた。


 見下げれば、心配そうに瞳が揺れていた。

 空より、海より、空気より透明な球体が、窓の形のオレンジ色を映している。


「ああなってしまったら、もう無理だよ。娘を探す『お母さん』じゃなく、目標を追いかけるだけの『怖いモノ』になってしまった。きみも心当たりがあるでしょう?」

「…………三ツ目」


 青い顔でぽつりと零せば、蓮はこっくりと頷いた。


「もしもここに『たたり』があるのなら、あの女こそその正体だ。言葉は通用しない。同情したら取りこまれる。だから、僕はあれを消そうと思う。力尽くで」

「そんなことが、」

「出来るんだよ。僕には」


 何も知らない人間が聞いたら不遜にしか聞こえない言葉。

 だが、蓮を知りはじめていた羽槻には、一種の呪いのようにも聞こえた。


「……どうするんだ」

「相手が神さまじゃないとはっきりしたから、封じはいらない。潰して、それで終わり。僕らは、それでここから出られる。異論は?」

「ない……」 


 具体的にどんな方法かは知れないが、ここから出られるなら、それでいい。

 それで、いいはずなのに。


「やはりダメだ。それでは、あの母親は浮かばれない」


 羽槻は、ぎりっと奥歯をかんで蓮の手を振り払った。


「はづきだったら誰でもいいんだな?」

「え……?」

「お前だけ逃げろ」


 蓮があっけにとられている隙に廊下に出た羽槻は、ゆらゆらと近づいてくる女を見つめた。

 

 ぼろぼろになったワンピース。

 ふり乱した不揃いの長い髪。

 前方に突き出した二本の腕は、骨と皮ばかりだ。


 歩くのさえやっとな足どりなのに、それでも娘を探すのをやめない。


 そこにあるものを蓮は妄念だと言った。

 違うと、羽槻は思う。


 これはきっと、悲しいほどに純粋な愛情なのだ。


『はぁぁづきぃ』

「ああ。ここにいる」


 羽槻は、自ら進み出て、伸ばされた女の手をとった。


 ぐにゃり、と人肌ではない感触がした。

 骨が、肉が、人間の形を作り出すものが、とけている。


「ダメだってば羽槻、逃げて!」


 教室から蓮が叫ぶ。だが、羽槻は動じない。

 彼女に許しを与えられるのが『はづき』しかいないなら。


 羽槻は、疲れた女の体を抱きしめて、耳元にひとこと。


「探してくれてありがとう、『母さん』」

『!! ぁああぁぁぁあああぁ――』


 女は咆哮した。


 羽槻が腕を解くと、くずおれるように床に膝をついて、両手で顔をおおう。

 枯れ枝のような指から、清廉な涙がひとつぶ落ちる。

 

(幽霊でも、泣くのか)


 床に落ちた涙から、白い光が放たれた。

 光は、旋風のようにとぐろを巻いて羽槻を包む。


「蓮、来い!」


 呼びかけると、蓮は跳びこんできた。

 光は、二人の体を濁流のように飲みこんで、どこかへ流れていく。


 はづき。

 

 そう呼ばれた気がして、羽槻は振り返った。

 遠ざかるいつかの陽光のなかで、きれいな白いワンピースを着た女性が、優しそうな笑顔で手を振っていた――。




 光を出ると、しっとりとした闇に包まれた。


 くらんだ目をこすれば、正面に木造の観音扉があった。

 蓮と顔を見合わせて引くと、扉の向こうには、夏に浮かれるショッピングセンターが広がっていた。


 戻ってきた。照明の真白い光が目に痛い、現実の世界に。


「はーい。『たたりかくれんぼ』これにて終了です! おつかれさまでしたー!」


 暢気な女性スタッフに、制覇した記念として缶バッジを渡される。

 そこに描かれているのは、大きなヒトダマと赤いランドセルを背負った小さな女の子。


「はづき」


 羽槻が感じ入っていると、蓮がピンを外したバッジを服に差してきた。


「おい、勝手になにしてる」

「いいじゃない。弔いに今日くらいは付けときなよ。はづきちゃん」


 そう言われてしまっては、持たざる罪悪感も芽生えるというものだ。

 結局、羽槻は家に帰りつくまで、バッジを外すことが出来なかった。

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