第5話 あとさき

 柚平羽槻ゆずひらはづきは、こんなに長い夏を知らない。

 年齢を重ねると体感時間は速くなるらしいが、日常は本日ものろのろ運転だ。


 空は高く快晴で、マンションの高層階では洗濯物があっという間に乾く。

 真っ白に洗い上がったシーツを干しながら見下ろす街は、浮かれているように見えた。


 空になった籠をかかえて居間を通ると、巨大なテレビのまえに陣取った蓮が買いこんだ映画を消化していた。

 

 ほとんどがB級ホラー。

 洋画も交じっていたが、スプラッタはそれほど得意ではないらしい。

 冒頭で血しぶきがあがると、女優の幽霊が出る古い映画に切り替えた。


(命の危険なく、怖い体験ができる、か……)


 あの廃校から生還して以来、蓮はこうして家に引きこもっている。


 別にどうやって過ごそうが羽槻はかまわない。

 いまは夏休み。授業はないから、登校する必要はない。


 ここには水も電気も火もエアコンもある。

 食材はネットで買えば玄関まで配達してくれる。


 この家のなかにいさえすれば、平穏だ。

 桜の結界が張られているから、怖いものは入って来られない。


 映画鑑賞に飽きたのか、蓮はソファによりかかってこちらを見た。


「ごめんね、羽槻。せっかくの夏なのに僕のせいでどこへも行けないね」

「別にいいって言ってんだろう。お前のそういうところ、本当に鬱陶しい」

 

 羽槻は居間とひとつづきのキッチンに赴き、乱暴な手つきで冷蔵庫を開けた。

 中からガラスボウルを取り出して、蓮の前にさっと出す。


 器に張った水色のゼリーに埋もれるように、桜の木が立っている。

 幹は、市販のチョコ菓子。満開の花は桜でんぷで作った。

 味は……たぶん、ものすごく甘い。


 器を両手でかかえた蓮は、幼な子のように目を輝かせた。


「なにこれ、すごい、羽槻が作ったの?」

「他に誰がつくる。レシピ通りやっただけだ。食え」

「やった! いただきます」


 スプーンも差しだせば、蓮は鼻歌まじりでゼリーをつつき始めた。

 羽槻は、彼の隣に腰かけて、その表情をまじまじと見る。


 食べているときだけは幸せそうだ。

 ホラー映画を見ているより、ずっといい。


「……お前、前に『自分が一番怖い』と言っていただろう」


 羽槻が話しだすと、蓮は、スプーンをくわえたまま静止した。


 その腕には古傷がある。いくつも重なった、自傷のあとが。

 怖かっただろう。蓮は自分に殺されかけた経験があるのだ。


 けれど、それは羽槻を脅かすものじゃない。


「すくなくとも俺は、お前のことを怖いとは思わない。憎たらしいが」

 

 最後にひねくれてみせたが、真意は伝わったらしい。

 蓮は「ありがと」と、小さく笑った。


 保護者が帰宅するまで、あと五日。


 それまで引きこもり決定だが、とくに惜しむらくもない。

 外は熱いし、うるさいし、疲れる。

 楽しみより面倒事が山積みだ。


「それに、どうせ夏なんて来年もくるんだろ」


 あと、何年生きられるのか知れないのに、羽槻はそう思った。

 そう思える、夏だった。



 おわり

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【憑狐-つきつね-】たたりかくれんぼ 来栖千依 @cheek

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