8(終)「あたしは――見たいものがある」
アリーサの施設にお見舞いにいった次の日、あたしは下宿屋を始める準備をしていた。アリーサが使っていた部屋は物置き状態でとっ散らかっている。魔法の国でもすっかりおなじみのプチプチ緩衝材や段ボール箱を片付けていく。これらは人間の国から入ってきたものだ。便利なのは魔法の国でも変わらない。いろいろ通販した結果こういうことになったのだ。
アリーサと暮らしていたころのことを思い出す。ちょうど、この家を建てたばっかりのころのことだ。買い物に行く時間がないので買い物は深夜に通販。玄関先に宅配ボックスを置いて、レースでヘトヘトになって帰ってきてそれを開けて、通販したレトルトとかの食品をつっつく。そういう暮らしだ。
あれは幸せだったんだろうか。
アリーサと一緒に暮らしていた時代のことを、あたしはよく覚えていない。忙しすぎた。最速の魔女は忙しすぎたのだ。レース、メディアの取材、トレーニングのエンドレスループ。
だからアリーサは、不自由になってものんびりすることを楽しんでいる。
あたしはどうだ?
独りぼっちで、楽しいと思えることもなく、お惣菜をつついて魔鏡を見ているだけ。
あたしも、新しい楽しさを見つけなきゃいけない。いつまでもアリーサに依存してはいけない。
片付けものをしていると、初等学校の卒業アルバムが出てきた。小さなあたしとアリーサが、ニコニコで写っている。このころは、こんな結末になるなんて思いもしていなかった。
外が暗くなってきた。遠くで犬が吠えるのが聞こえる。窓から見える空には大きな月。
……本当に、アリーサはあたしのことを恨んでいないのだろうか。しかし確かめるすべなどない。アリーサが言うことを真実だと思うほかない。それしか、できない。
アリーサは体に怪我を負って、あたしは心に怪我を負った。そういうことなのだろう。
気が付くと、初等学校の卒業アルバムをみてボロボロ泣く変な人になっていた。アリーサの幼いころの写真には、いつも隣にあたしがいた。二人は親友だった。いやきっと今も。
いつまでも泣いているわけにいかない。卒業アルバムを閉じて立ち上がる。
――とりあえず部屋は片付いた。あとはもろもろの学校に下宿屋のチラシを配るのみ。まあ九月も終わりである、部屋が必要な学生なんてそうそういないだろう。
夜のうちに手書きでチラシを作り、それをコピー機にかけて何枚かに増やし、次の日あたしは飛箒術の学校や錬金術アカデミアや魔術学院や魔法医大にチラシを配って回った。だれも住みたがらないよな、落箒魔女の下宿屋なんて。
そう思いながら、心の底から無気力だったので、カウチにころがってスナック菓子をぱくつきつつ魔鏡のワイドショー番組を眺めていると、魔鏡が鳴った。取ると通話だ。出る。
「あの、エスメラルダ・マッローネさんですか?」若い女の子の声だ。
「はいそうですよ。ご用は下宿屋です?」そう訊ねると、その女の子は「はい」と答えた。
「魔法医大の二年生なんですけど、住んでる下宿のおばあさんが入院することになって、しばらくエスメラルダ・マッローネさんのお世話になりたいんです」
「いいですよ。いつ来ます?」
「おばあさんはあさって入院なので、明日には引っ越したいのですが。きょう、下見にいっていいですか?」
喋っているだけで誠実さが伝わってくる。これなら問題なさそうだ。OKを出した。
しかし魔法医大生かあ。あたしやアリーサは中等学校を出てすぐ飛箒術の学校に入ったからなあ。学歴が違いすぎるし、魔法医大に入るには莫大な費用がかかるから、きっといいところの子なんだろうなあ。そう思ってとりあえずスナック菓子の袋を封した。
それから少しして、その魔法医大生がやってきた。とてもきちんとした服装で、とても真面目な顔で、とても可愛らしい印象の女の子。
「初めまして。プリシラ・ラウテラといいます」
「お、おう……初めまして、エスメラルダ・マッローネです。えっと、住んでもらうのはこっち……」と、アリーサの部屋を案内する。プリシラさんはすごく真剣に、部屋の隅々を確認する。
「素敵ですね、ここで暮らしたいです」即決だった。
「じゃあ決まりだ。明日荷物運ぶんだよね?」
「はい!」プリシラさんは頷いた。とても清々しい返事だった。プリシラさんが帰ってから、アリーサに通話をかけた。
「はーいもしもしー。どしたのメル」
「下宿屋に人が住むことになった。……本当ならアリーサが住むところに」
「やだなぁ、あたしもう普通の家じゃ暮らせないんだからさ。そんなん気にしないで、どんどん儲けてよ。医療費出してくれると嬉しい」
「わかった。それじゃね――あのさ、ほんとに」
そこまで言いかけたところで、アリーサはとてもせっかちに通話を切った。あたしの泣き言なんか聞きたくない、そう言っているようだった。
アリーサは前を向いて暮らしているぞ。いつまでメソメソするつもりだ、エスメラルダ・マッローネ。自分を鼓舞して、ちょっと豪華な夕飯を食べた。まあお惣菜なんですけどね。
次の日、プリシラさんが少なすぎる荷物をもってやってきた。医大生って本とかいっぱい持ってるんじゃないの。そう訊ねると、「タブラエにぜんぶ入れているので」という答え。時代は進んだのである。いつまで置いてきぼりにされるつもりだ、エスメラルダ・マッローネ。
「えっと、食事とかは勝手に作っていいんですよね。そうだ、わたし料理に自信あります。いっしょになにかおいしいもの食べましょう」
「え、で、でも悪いよ……」と断ろうとすると、
「お惣菜の揚げ物だけじゃ栄養偏りますよ」と、ぐうの音も出ないコメントが返ってきた。そういうわけで、あたしはプリシラさんの作った夕飯を食べることにした。おいしそうなハンバーグに、削ったチーズをかけたスパゲッティ。凝った切り方をした野菜のサラダ。いまどきの学生ってこんなん作れるんだ。びっくりする。
それを食べながら、プリシラさんになんの研究をしているのか訊ねる。
「えっと、脊椎の損傷や脳出血で体が不自由になった人に、自由な暮らしを取り戻してもらうための医療を研究しています。魔法機械と組み合わせて、ほぼ健常者と同じ暮らしができるようになることを目指しています」
……。言葉に詰まってしまった。気が付いたら、泣いていた。プリシラさんは心配そうな顔をして、「どうされました?」と訊ねてきた。
「いや……相棒を落箒事故で半身不随にしちまった人間からすると、その研究応援したくて仕方がない。すごい、すごいよ」涙を袖口で拭く。プリシラさんは、「まだまだ途上です」と謙遜する。どうやら勉強一筋で箒レースなど興味がなく、あたしが相棒を落箒させたことを知らなかったようだ。
「……お風呂、自由に使って。あたしは――見たいものがある」
あたしは、「レジーナ・デロリスA1955」にまたがると、夜空を全速力でかっ飛ばした。光の向こう側へ。もっともっと遠くへ。突き抜けて見えたのは――
それは、あたしが歴史を捻じ曲げたとか、そういうことじゃなくて、必然でそうなった世界で、あの広い家の庭にテーブルと椅子を出して、婆さんになったあたしと、同じく婆さんになって下半身に機械を取り付けたアリーサが、お茶を飲みながら南方物産展で買った砂糖のラード揚げをかじっているところだった。
きっと、この未来は、あたしがアリーサにしがみついていたらたどり着けないんだ。
アリーサを助けたいとか、そのために歴史を変えたいとか、そういうことを考えたら、たどり着けない未来なんだ。それは魔女という種族の直感で分かる。
あたしは、あの未来にたどり着くために、自分の人生を生きなきゃいけないんだ。
現代に戻ってきた。あたしは、自分のために、自分自身のために、生きてみよう、と決めた。それがどういう結果になるかは分からない、未来は不確定なのだから。
だけれど、アリーサにしがみついたままじゃ、アリーサは立ち上がれない。
いつまでも飛箒場の芝生にしゃがみ込んで、泣いてちゃいけないんだ。
翌朝、トーストを焼きながらプリシラさんをたたき起こし、朝食にした。プリシラさんはパンの焼き加減ならこんがり気味が好きらしい。奇遇だね、あたしもだよ、と答えて、トーストを食べる。
プリシラさんが学校に行ってから、あたしはブリジデルの時計台前に、箒と一緒にやってきた。
きょうも、飛ぶ。暮らすために。自分のために。
魔女の優雅な時間旅行 金澤流都 @kanezya
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