それぞれの約束

 翌朝。僕は目が覚めると炬燵で寝たせいか汗がびっしょりだった。よかった、粗相した痕跡はない、一安心だ。起きるともうすでに10時前で、いつものようにヴァルキュリアがゲームをしていた。


「おはようヴァルキュリア、小沼は?」

「ユイなら朝早く帰っていったぞ。ありがとう、と言っておったのじゃ」


まあ、そうか。長居することもないし。朝ごはんもごちそうせずで帰らせてしまったのは少し悔やまれるが、仕方ない。まだ少し残る頭痛と戦いながらスマホを手に取ると、1件のメッセージが来ていた。小沼からだ。


「昨日は泊めてもらってごめんね、ありがとう。クリスマスの件、前向きに検討しておきます!」


と。クリスマスの件?ってなんだ?全く身に覚えがない。覚えてないときに何か言ったのか?


「なあヴァルキュリア、小沼、クリスマスがどうとかいう話、してたか?」


ダメ元でヴァルキュリアに問うた。すると意外な答えが返ってきた。


「なに言っとるんじゃ、おまえがクリスマスデートに誘ったんじゃろ?ユイはそう言っておったぞ。まさか、覚えておらんのか?」


ドン引きの顔でこちらを見るヴァルキュリア。またも寝耳に水である。酔った勢いで、酒の力を借りて、次回の約束まで取り付けていたのか僕は。しかし返事は良好であり、これは酔った時の自分、ナイスと言わざるを得ない。


「なんじゃ、ニヤニヤして気持ち悪いのう…まだ酔うておるのか?」

「いや、なんでもない。シャワー浴びてくる」

「あー、わしは今日もバイトじゃから、そろそろ行ってくるのじゃ」

「わかった。今日は1日ゴロゴロしてる日にするよ」


体調的には最悪だが、心情的には最高の日曜日の幕開けである。僕は勢いよく服を脱ぎ捨て、風呂場へ向かった。




 ヴァルキュリアはまたしても張り切っていた。昨日の反省を活かし今日も活躍するのだと意気込んでいる。昨日とは違い今日は昼営業の時間からバイトに入る。夜は一品やお酒といった居酒屋メニューが中心だが、昼間は定食中心なので、まだ学ぶことがあるのだ。


「おはようございまーす」

「あ、おはようリアちゃん。今日もかわいいねー」


山下が居た。相変わらず距離感のよくわからない茶髪だ。ヴァルキュリアが来てからすぐに吉田もやってきた。


「お、そろったね。今日は中野さんが初の昼だから、昨日に引き続き指導よろしくね、山下くん、吉田くん」


店長が来て言った。


「うーす」

「わかりました、リアさんがんばりましょ!」


山下と吉田が答える。


「はい、よろしくお願いしますね、山下さん、吉田くん」


茶髪はともかく、吉田は張り切っている様子だ。高校生だが、バイトとしては先輩である。自分より後輩が入ってきて嬉しいのか、やる気がみなぎっている様子だ。


 定食メニューは夜の一品ほどメニューの数は多くないので、すぐに覚えられた。ホールの仕事も夜よりは追加注文も少なく、覚えることも少ない。主に吉田に教えてもらいながら、ヴァルキュリアはすんなりと業務に慣れた。


「リアちゃん、お客様のご案内お願い」


山下からの指示が飛ぶ。すぐ店の入り口に行き、いらっしゃいませーと言いかけたところで言葉を詰まらせた。そこには黒いロングコートに身を包んだ長身の美女と、帽子を深々とかぶった男が立っていた。


「なんじゃ、何をしに来たのじゃおまえら」

「あら、おかしいわ、おかしいわね。それが客に対する態度なのかしら」


ロキは微笑む。ヴァルキュリアは怪訝な顔で対応したが、ロキの言い分も一理ある。今は“さくら”の店員なのだ。お給料分はしっかり仕事をせねばならない。ヴァルキュリアはいやいやながらもとびっきりの笑顔を作り


「いらっしゃいませー!ご新規2名様ですー!」


と言った。ロキは満足げに案内された席に座り、その向かいにフェンリルが座った。


「働いてるわ、働いてるわね」

「そうですね」


ロキはただただ働いている神というのを見に来たかっただけだ。いや、働いているヴァルキュリアを見に来たかっただけなのだろう。それを察してあえて何も言わないフェンリル。彼もまた働く神という珍しいものを見たかった。2人してニヤニヤしながらヴァルキュリアの働きっぷりを観察しに来たのだ。


「吉田くん、悪いんだけど3番テーブルに注文取りに行ってくれる?」

「別にいいすけど、どうしたんすか?」

「あれね、私の知り合いで、苦手なやつなのよ…」

「あぁ、そうなんすね、わかりました」

「ありがとう、助かる」


何をしに来たのか知らないができるだけ関わりたくないヴァルキュリアは、ロキ達の対応を吉田に押し付けることに成功した。そして吉田がおしぼりと水を持って、注文を取りに行く。


「本日はご来店ありがとうございます。ご注文はお決まりでしょうか」


丁寧に対応する吉田に対し、ロキは言う。


「あら、ヴァル…じゃない、リアが対応してくれるのかと思っていたわ」

「すいません、中野は別の仕事をしていまして。お知り合いなんですってね」

「そうよ、そうなの。リアから聞いたのね」

「そうです」

「それで、対応をおしつけられたのね」


ロキは笑う。


「いえ、そういうわけでは」

「いいわ、いいのよ。注文だったわね。この唐揚げ定食を2つ頂戴」

「唐揚げ定食2つですね、かしこまりました」

「ありがとう。リアに伝えてくれる?『この恥ずかしがり屋さんめ』って」

「あはは、かしこまりました」


下がっていく吉田。そしてヴァルキュリアにそのことを伝えると、ヴァルキュリアは頭を抱えた。


「完全におちょくりに来とるな…」

「本当は仲いいんじゃないんですか?」

「そんなことない」


吉田は笑いながらそう言う。


 しばらく吉田とヴァルキュリアでホールを回していたが、客が多くなってきたのでキッチンの手伝いをしていた山下も加わった。3人で忙しく働いている。それをじーっと観察していたロキはあることに気が付いた。


「ねぇフェンリル、あなた気づいたかしら」

「なんのことでしょう?」

「あの小柄な男の店員、ヴァルキュリアばかり目で追っているわ」

「そうですか?私は気づきませんでしたが…」

「絶対そうよ、そうなのよ。ねぇ、あの子、ヴァルキュリアに気があるんじゃない?」

「まさか。まだバイトし始めて2日ですよ?」

「一目惚れという概念が人間にはあるのよ、私には理解しがたいけれどね」

「考えすぎでは」

「そう?なら試してみましょう」


ロキはウフフと笑ってみせた。しばらくして料理が運ばれてきた。運んできたのは吉田だ。


「お待たせいたしました。唐揚げ定食でございます」


吉田が丁寧に定食を2つ、テーブルに置いた。


「では、ごゆっくりどうぞ」

「ありがとう」


去り行く吉田の背中を、お礼を言いながらロキがそっと触れた。


「ロキ様、何をしたんですか」

「あら、ちょっとだけ感情を撫でただけよ、ちょっとだけね。さ、冷めないうちにいただきましょう」

呆れるフェンリルを無視するように、ロキは食事を始めた。



 ロキとフェンリルがレジの前に立っている。吉田は忙しそうなので仕方なくヴァルキュリアが対応する。


「唐揚げ定食2つで1760円になります」

「うふふ、おいしかったわよ」

「そりゃどーも」

「あら、店員の態度じゃないわねえ」

「おまえ、何もしなかったじゃろうな」

「何って、何をよ」

「何もしてないならそれでいいんじゃ」

「うふふ、働いてる姿も新鮮で面白かったわよ」

「大きなお世話じゃ」

「それじゃあまたね、リアちゃん」

「もう来んでいいわい」


ヴァルキュリアは小さな声で会話を終え、また笑顔を作り


「ありがとうございましたー」


とロキ達を見送った。ロキは店を出てからフェンリルに向かって言った。


「何もしてない、とは言ってないわよねぇ」

「ロキ様、お人が悪いですね」

「あら、そうかしら」


こうして昼食を終えた上機嫌なロキと心配そうなフェンリルは去っていった。



 お昼のピークを終え、客足が少なくなると、ヴァルキュリアと吉田は休憩に入った。休憩室で唐突に吉田が言った。


「リアさん、連絡先交換してもらえませんか」

「え、いいけど」


突然の申し出に驚いたが、特に断る理由もないし交換することにした。


「やった、時々メッセージしてもいいですか」

「うん、いいよ」


なんとなく奥手なイメージを抱いていたのだが、案外こいつグイグイ来るな、とヴァルキュリアは思った。茶髪より先に連絡先を交換することになるとは。


「リアさんは、高校の時なにしてたんすか?」

「何って」

「部活ですよ!僕は吹奏楽部でトランペットやってるんすけど」

「え、ぶ、部活?えーっと、うん、私も同じのやってたよ」

「マジっすか!トランペットすか!」

「あ、うん、そう、それ」


やってしまった。勢いにまかせて余計な設定を増やしてしまった。無論ヴァルキュリアは楽器などできないし楽譜も読めない。適当に話を合わせてれば良いか…。


「へぇ~偶然だなぁ!大学でも続けてるんすか?」

「いや、もう今はやってなくて…」

「そうなんすか、もったいないなー」

「わ、私ちょっとお手洗いに!」


これ以上深い話をされても適当に相槌を打てる気がしなくなったので、伝家の宝刀トイレ逃げである。しかし参った、あの少年、妙にグイグイ来るな。


 トイレから戻ると店には団体客が来ていたため、吉田は休憩を切り上げて働いていた。ヴァルキュリアも戻ってきてすぐ手伝うことになった。内心助かったと思うヴァルキュリア。

テキパキと働いている間は特に無駄話もせずに済む。あれ以上踏み込まれた場合の対策も考えとかないといけないのかもしれない。

 


 本日もバイトを終え、帰宅する。時刻は午後11時過ぎ。今日はたくさん働いたのでさすがのヴァルキュリアも疲れていた。家に帰るとゲームをしているヒデアキがいた。


「おう、おかえり。どうだった、バイトは」

「どうもこうもないのじゃ。ロキが来たぞ」

「なんだ、冷やかしか?」

「まあ普通に客としてきて定食食べて帰ったのじゃが」

「ならまあいいじゃないか。知り合いの働いている店に行きたくなる気持ちは少しわかるよ」

「本当にそれだけならいいんじゃがの」


コップに水を注いでいると、ヴァルキュリアのスマホがメッセージ受信の通知をした。


「あ、吉田くんからメッセージじゃ」

「誰それ?」

「バイト先の男の子じゃ、ほれ小柄の」

「あー、居たかもしれないね。なんだって?」

「『お疲れ様です!24日、暇だったら一緒に遊びに行きませんか』じゃと」

「え、それって」

「なんじゃ」

「クリスマスデートのお誘いじゃん?」

「は?」


顔を見合わせる2人。何がどうしてこうなった。


「はん、人間の分際で、この神をデートに誘うじゃと?滑稽じゃの」


ぶるぶる震える手でコップの水を揺らすヴァルキュリア。


「なんかとても動揺しているように見えますが」

「ど、動揺などしておらぬわ。わしは神じゃぞ」

「ふーん」

「で、ヒデアキ、わしはどう返事すればいいのじゃ?」

「え、行く気ないなら断ればいいじゃん」

「いや、断る理由もないのじゃが…」

「え、行く気あるの?なら『前向きに検討します』とかでいいんじゃないの」


小沼からそう来たから。


「ひ、ヒデアキも一緒に行ってくれるよな?」

「なんでだよ!場違いすぎるだろ」

「薄情者が!ひとつ屋根の下で暮らす仲じゃろう!」

「その方が余計な誤解を招くわ!!デート相手に同棲してる彼氏がいるとかそういうややこしいことになるだろ!!」

「そんなこと言ったって!年頃の人間とデートなどわしにできると思うか!?」

「そういうのも人間界での研修だと思って行って来いよもう、めったに経験できるもんじゃないと思うけど」

「ぐっ…!そう言われるとなぜか強い説得力を感じるのう…」


震える手でスマホを操作しだすヴァルキュリア。


「『前向きに検討するね』…と。これでいいのか本当に…」

「『楽しみにしてるね』も加えよう」

「おまえ楽しんでおるな?」

「まあまあ、ほら加えて加えて」


ニヤニヤするヒデアキに指図されるのはなんか腹立たしいが、言う通りにするヴァルキュリア。


「送信…と。送ってしまった……」

「いいじゃん、その日ちょうど僕も小沼とデートの予定だし」

「は?おまえ、わしに黙って話を進めておったのか?」

「なんでヴァルキュリアの許可が要るんだよ!いいだろ別に」


ヴァルキュリアのスマホがメッセージの通知をする。


「『どこ行くか考えときます』じゃと。あぁあ……」

「よかったじゃん」

「本当にこれでよいのか……?」


不安しかないヴァルキュリアと、ノリノリのヒデアキは、奇しくも同じ日にそれぞれのデートを決行することになった。




「…どう、聞こえたかしら、フェンリル」

「はい、どうやらあの少年とヴァルキュリアは、クリスマスイブにデートをすることになったみたいです」


フェンリルのオオカミ耳は伊達ではない。隣の家の会話くらい、壁越しだろうと耳を聳てれば難なく聞き取れるのだ。


「ほら見なさい、おもしろいことになったでしょう」

「ですがロキ様、何をしたんですか」

「私はね、前もやったけど、人の感情を増強することができるのよ。つまり、あの少年にその気がなければ、こんな展開にはならないわ。私の言った通り、あの少年はヴァルキュリアに気があったみたいね」

「ロキ様…本当に悪戯好きですね」

「あら、今回は誰も被害者がいないんじゃなくて?」


ロキは笑う。


「さて、これでクリスマスに楽しい予定ができたわ」

「え?もしかして見に行くおつもりですか?デートを?」

「当り前でしょう。こんなに面白いもの、放っておく手はないわ」


毎度のことながらヤレヤレとフェンリルは息を吐く。


「もちろん貴方も来るわよね、フェンリル?」

「仕方ありませんね、お供します」


フェンリルはしっぽを振った。


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