大失態

 食事中も飲み物のおかわりや追加注文するたびにヴァルキュリアが来るんじゃないかとヒヤヒヤしたが、お店が忙しいらしく毎回というわけではなかった。とはいえ何度かに一度はヴァルキュリアが料理を持ってくるので、その度に僕は知らん顔をすることに努め、またヴァルキュリアはヴァルキュリアで笑いをこらえることに努めていた。小沼との食事は楽しかったが、予期せぬ事態に困惑しながらになってしまった。


「あーおいしかったねぇ!桜鍋、初めて食べたけどすごくおいしかった!」


店の外に出てから、ビールジョッキを3杯あけた小沼は顔を赤らめて上機嫌にそう言った。バーに備えて少なめに飲んでそれなのか、と1杯にとどめた僕は密かに思う。コスパが良いといえば聞こえは良いが、やはりお酒は飲めないより飲めた方が良いよなぁと思う。


「じゃあそろそろバー行こっか」

「うん!行こう!連れて行け!」


 何はともあれ、ほろ酔いで小沼と歩くのは気分がいい。フラフラと歩く小沼の手を握ってやろうかとも思ったが、そこまでの勇気はなかった。勢いでやってしまうには酒が足りてないのだ。バーの帰りには、繋げるかもしれない。そういう謎の勢いは酒の力を借りてなんとかするというのも悪くないかもしれない。


 駅前から路地を入り、知る人ぞ知るような場所に入り込む。妖しく光る看板には“River”と書いてある。ここだ、ここが森田に教えてもらったバーだ。あまりお酒を飲まない僕にとってバーというものは馴染みがない。ドヤ顔で小沼を連れてきたはいいものの、スマートな注文などはできないだろう。ちょっと不安だなぁ。

 カランコロンと扉をくぐると、やや薄暗い照明でいかにもお洒落なバーという雰囲気の店であった。


「わぁー、私本格的なバーなんて初めてだよ。中野くんはよく来るの?」

「いや、僕も初めて。森田に教えてもらってさ」

「なんだ、入れ知恵か」

「まぁ、そうだね」

「いいじゃん、初めてどうし、気負わずにいこう」


小沼は前向きに楽しむつもりだ。2人でカウンターの席に隣同士で腰かける。僕の左側で小沼はメニューを眺めている。僕もメニューをざっと見るが、難しいカタカナが並んでいて、何が何だかわからない。うーんと唸った後に小沼が言った。


「マスター!甘くてスッキリしたやつちょうだい!」

「あ、僕もそれで」

「マスター!甘くてスッキリしたやつ2つね!」


かしこまりました、とマスターは注文を受ける。


「メニュー見てもよくわかんないからこういう注文の仕方でいいよねえ」


と小沼は言う。


「そうだね、わかりやすくていい」

「入れ知恵されただけの中野くんも、わかんないよねぇ」


と言ってケラケラ笑っている。お酒と一緒にナッツの盛り合わせも注文し、出てくるのを待つ。待ってる間に小沼が口を開く。


「もうすぐクリスマスだねぇ」

「そうだね、街はもうそういうムード一色だね」

「今年はサンタさんになにお願いするの?」

「サンタに?そうだなぁ、やっぱ時間が欲しいかな」

「あぁーわかる、忙しいもんね」

「ぼーっとする時間が欲しいよ」


最近は休みでもヴァルキュリアにゲームや何やと付き合わされるので、自分の時間というものがないのだ。


「わかるなぁ。時間、欲しいね。1日50時間くらい欲しいよ、そしたら目一杯寝られるもん」

「それもわかる。1日が短いよね」

「まぁでも本当に50時間あったら、もっと長い時間働かないとダメなんだろうけどね」


小沼がため息をつく。そんな話をしているとナッツと緑色のカクテルが目の前に置かれた。


「おおー、キレイだねぇ。じゃあいただきますか!」

「そうだね、カンパイ」

「かんぱーい!」


一口飲んでみると、確かに甘くてスッキリとしている。何の味なのかはどうもよくわからないが、とても飲みやすいカクテルだ。


「おいしー!あまーい!いいねこれは!マスター、グッジョブ!」

「ほんとだ、飲みやすい」


小沼も満足のようだ。マスターもしたり顔である。お酒が苦手な僕でもナッツをつまみながらスイスイ酒が進む程度に飲みやすい。





ここで僕の記憶は途切れている。気づくと自宅に居て、そこにはヴァルキュリアと小沼が居た。


「あれ、どうなってるの」


横たわっていた体を起こそうとするが、めまいと吐き気と頭痛が襲ってきて再び横になる。


「あ、起きた」

「やっとじゃな」


だいたいの察しはついた。やらかしたのだと。服は汚れていないところを見ると、ギリギリ粗相はしていない様子なのが何よりの救いだった。


「えっと、何杯、飲んでた?」


僕が恐る恐る聞いてみると、小沼が答えた。


「4杯目の途中で、カウンターに突っ伏して動かなくなったよ」


小沼がケラケラ笑っている。やってしまった。あの甘いカクテルのせいか。飲みやすいからといってアルコールが薄いとは言っていない、というやつだな。


「ペース合わせてくれてたんだよねー、ごめんごめん」


小沼が舌を出していたずらに微笑む。小沼が笑っているのが救いだった、愛想をつかされても仕方ないレベルの大失態だと思った。


「ほんとにゴメン」

「いいって、しばらくしたら起きたし、自分で歩いてたよ、覚えてない?」

「覚えてない…」

「そんなことだろうと思ってついてきてよかったよ、ほっとけなかったもん」


そこに天使が居る。飲みに行った男を介抱してくれて家まで連れて帰ってくれるなど、天使というほかあるまい。


「面目ない…」


僕は平謝りしかできなかった。


「でも驚いたよ、中野くんちにこんなにかわいい女の子がいるなんて。聞いてないよ?」


小沼は訝しげな表情でこちらを見た。天使のおかげで神の存在を忘れていた。そうだ、ヴァルキュリアと一緒に住んでるなんて小沼にバレたらどうなるとか考えもしなかったけど、実際どうなったんだろう。ヴァルキュリアに目配せすると、呆れた顔で頷いた。




 時は2時間ほどさかのぼる。


 ヴァルキュリアはバイト初日を終え、充実感に浸っていた。久しぶりに、人間界に来てからは初めて、忙しい時間を過ごした。こういうのも悪くない、そう思えるくらいには楽しかったのだ。まだまだ半人前とはいえ戦力になれたという自信もあり、ヴァルキュリアの機嫌は上々である。


「さて、今日は帰ったらヒデアキにあの女の子のことを根掘り葉掘り聞かねばなるまいのう。楽しみじゃ、にひひ」


悪い笑みを浮かべながら家路をたどるヴァルキュリア。今まで考えもしなかったが彼女でもいたのか、いやそんな距離感ではなかった、とあれこれ思案するのも面白い。まあいいとこ初デートだろうという結論に至るヴァルキュリアはなかなか鋭い勘の持ち主である。


 家に帰ると、ヒデアキはまだ戻ってきていなかった。やれやれ、日付も回ろうというのに、長々と楽しんでいるようだ。もしかして朝帰りのつもりか?それならそれでよいのだが。今日はまかない料理を食べてきたので晩御飯を待つこともない。ほっておいて風呂にでも入るか。働いてかいた汗を流すのは気持ちが良いことだろう。ヴァルキュリアは普段にもましてシャワータイムを楽しみにして帰ってきたので、そのまま風呂場へ。


 さっぱりしたヴァルキュリアは深夜のゲームタイムとしゃれこむべく、コップに水を注ぎリビングへ向かった。冬場とはいえ風呂上りは体が火照る。誰もいないし服を着る前に一気に水を流し込んで、パジャマに着替えた。さあ、ゲームタイムだ!とゲームの電源を入れようとしたとき、玄関の鍵をガチャリと開ける音が聞こえた。

ようやく帰ってきたか。なかなか楽しんでおったようじゃのうとニヤニヤしながら開いた扉の前まで行くと、そこには見覚えのある顔の女性が立っていた。居酒屋でヒデアキと一緒にいた美人だ。その美人に手を引かれてぐったりふらふらしているヒデアキ。


「あれ!?部屋を間違えたかな」


自分の存在に驚く女性。ヒデアキの様子を見るに大体の事情は察した。こいつ、やらかしたな、と。


「いや、合っておる。ヒデアキを連れ帰ってくれたのじゃろう?」

「え、うん、そうなんだけど、あなたは?」

「細かいことはあとじゃ。とりあえずそのボンクラを家の中に入れるのじゃ」


そう言ってヴァルキュリアはヒデアキに肩を貸し、というか実際は担ぎ上げて、リビングに転がした。玄関に戻ると、驚き突っ立っている女性に声をかけた。


「おまえ、こんな時間から家に帰れるのか?」

「んー、もう電車はないかな。タクシーで帰ろうかと」

「狭いところじゃが、おまえさえよければ泊まっていけ。わしも居るし、ヒデアキもあの状態じゃ、安心せい」


まだうまく状況が呑み込めていない小沼であったが、彼女自身もけっこう飲んでいたし、実のところタクシーを捕まえて帰るのも面倒になっていた。それに、この少女のことも気になる。


「じゃぁ、お言葉に甘えていいかな」

「かまわん、さあ上がれ」

「お、お邪魔しまーす…」


言われるがままに家に入る小沼。成り行きとはいえ同僚の男子の家に泊まることになろうとは、いつもは明るい小沼もさすがに少し緊張していた。


「外は寒かったろう、炬燵に入っておけ。コーヒーと茶、どちらが良いかの」

「えっと、ありがとう、じゃあ、お茶をいただこうかな」

「わかった、少し待っておれ」


そういってお湯を沸かし始めたヴァルキュリア。急須に茶の葉を入れて、湯を注ぐ。湯呑を2つ持ってきて、炬燵に入った。


「ありがとう、えっと…」


小沼が何か言おうとしたが、ヴァルキュリアが遮った。


「わしは何者か、じゃな?」

「う、うん」


正直ヴァルキュリアは困っていた。さて、何と言い訳したものか。まさか自分が神だと言うわけにもいかない。ヒデアキならなんというか考えて、一つの設定を作り上げた。


「わしは、こいつの親戚で、大学に通うにあたってこいつの家に寝泊まりしておる」

「あ、そうなんだ」


まあ、これが無難なところだろう。そもそもこんなヘベレケの状態で急に人を連れてくるのが悪いのだ。いや、連れてこられたのか。どちらにせよヒデアキには話を合わせてもらうことにしよう。


「そうじゃ、名前を中野リアという」


ここでも履歴書に書いた設定が活きた。もうこれから先人間界で名乗るときはこれを使っていこうとヴァルキュリアは思った。


「リアちゃんかー、私は中野くんの同僚の小沼唯だよ」

「ユイか。ということはユイも医者なのか?」

「そうだよー。中野くんとは違って私は内科だから手術とかはしないけどね」

「ふむ、いろいろな医者がいるのじゃな」

「そうだね。にしてもびっくりしたよー、同棲してる彼女がいたのかと思っちゃった」

「残念ながら違うのう」

「よかったー」


なには良かったのかは知らないが納得してくれたようで一安心である。息をついてお茶を飲んでいると小沼が何か見つけた。


「え、なにこれボードゲーム?」


それはロキが置いていったボードゲームの山だった。


「そうじゃ、このへんにあるやつ全部そうじゃ」

「ねえ!中野くん起きるまでやろうよ2人で」


目を輝かせて小沼が言う。


「おぉ、望むところじゃ」


それからいろいろなボードゲームを2人で遊んでいるうち結構な時間が流れた。そしてヒデアキは目を覚まし、現在に至る。




「わしはヒデアキの親戚で、大学に通うためにここに住んで居るのじゃ」


と、起きた僕に向かってヴァルキュリアは確認するようにゆっくりと言った。


「リアちゃん、さっきも聞いたよそれ」

「おお、そうじゃったな」


わかったな?話を合わせろよ?とヴァルキュリアの目が言っている。なるほど、突然の来訪にも関わらずうまく言い訳してくれたのか。ヴァルキュリアが機転の利くやつで助かった。


それにしてもなんだこの状況は。ヴァルキュリアが居るとはいえ、うちに小沼が来ている。それに今は深夜2時前だ。これは泊まっていく気なんだろうか…。帰るならきっと僕を送り届けた時点で引き返しているはずだし。ヴァルキュリアが泊まっていけと言ったんだろうか。僕はズキズキする頭を押さえながら聞いてみた。


「小沼、今日は泊まっていくの?」

「リアちゃんが泊まってけって言うからね、そうさせてもらうことにした」


なんてこった。初デートからの自宅に泊めるとはこれは本来ならば胸躍るトキメキ展開じゃないか。


「じゃから、ヒデアキは炬燵で寝るのじゃ。おまえのベッドはユイが使う」


この神さえいなければ。


「えっ、私が中野くんのベッドで寝るの?」

「それしかなかろう。わしはわしの布団で寝る。今回はヒデアキの失態なのじゃから、そうなるのは当然じゃろう?」

「えっと、中野くんはそれでいいのかな…?」

「まぁ、僕は別にいいけど。小沼が嫌じゃなければ」

「い、嫌とかじゃ、ないんだけど」


少し恥ずかしそうにする小沼はまさに天使。その天使が僕のベッドで寝るのか…これはかなり緊張する。


「まあ、遠慮するなユイ。ヒデアキは炬燵があるからなんとかなるのじゃ」

「は、はあ。じゃあ、お言葉に甘えてそうさせていただきます…」


なぜ敬語になるんだ小沼。


「パジャマもわしのを貸してやるから、さっさとシャワーでも浴びてくるのじゃ。」

「じゃあ、こちらもお言葉に甘えて、お風呂借りるね、中野くん」

「どうぞ」

「ヒデアキは水でも飲んでおれ」


と言ってコップ1杯の水を持ってきてくれた。なんか妙にテキパキしてるな、ヴァルキュリア。バイトのせいだろうか。しかし言われるがままにするしかない。僕はいま、飲酒の後遺症と戦っているのだ。


「吐くときは事前に言うのじゃぞヒデアキ」

「多分大丈夫」

「ならもう今日はそのまま寝ておれ。ユイのパジャマ姿を見れんで残念じゃのう」


ヴァルキュリアはニヤニヤとそう言いながら僕を炬燵に押し込めた。確かにパジャマ姿は見たいが、目を閉じてじっとしていたい気持ちも強かった。小沼がシャワーを終えて出てくるまで僕の意識はもたないだろう。


「おやすみヴァルキュリア」

「まったく、世話の焼ける奴じゃ」


それを聞いて、しばらくしてから僕は眠りに落ちた。




 小沼唯は緊張していた。同僚の男子の家でシャワーを浴びている。こんなことになろうとは。さすがに初めてのデートで泊まるつもりなど毛頭なかったが、成り行きでこうなってしまった。今晩はリアの言う通り何もないだろうが、それでも緊張してドキドキする。

 シャワーを終え借りたパジャマを着てリビングに戻ると、すっかり眠った中野くんとゲームをしているリアがいた。


「お、上がったか。ユイの寝る部屋はここじゃ」


と案内された部屋は雑然としたもので、やはり男の部屋、といった感じである。


「じゃ、おやすみなのじゃ」

「おやすみなさい」


扉を閉めると、わたしひとりだ。あれこれ探索したい気持ちを抑え、ベッドの前に立つ。


「…お邪魔します」


誰もいない部屋でそう呟いてからベッドに入り込む。他人のベッドに入り込むなんていつぶりだろうか。


「…中野くんの匂いがする」


緊張するけどどこか安心できるような、そんな匂いに包まれながら、眠りにつく。


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