デート現場
翌日。夜のデートが気になって日中の仕事中からずっとそわそわしていた。今日は患者の容体がちょっと良くなくて昼までに仕事が終わらなかった。夕方まで仕事をしてそのまま集合場所に向かったので、午後7時に駅前集合の約束になっているが、30分も早く着いてしまった。
我ながら恥ずかしいほどそわそわしている。今日は一段と冷え込みがきつく、じっと立っているだけでもしんしんと手足が冷たくなる。駅前には大きなクリスマスツリーが出現していた。
きらきらとイルミネーションが施され、殺風景な街並みに彩りを加えている。
そうか、もうそんな時期か。このままうまくいけば、次のデートはクリスマスになるかな…などと考えながら立っているとやっほーと声をかけられて少し驚いた。
「あれ?だいぶ早く来たつもりだったんだけど、待たせちゃった?」
小沼が前と同じ白いコートと赤いマフラーで現れた。あいかわらずかわいい。
「いや、そんなに待ってないよ」
「まあ時間より早いし、待たせてても私のせいじゃないもんねー」
と舌を出して笑う小沼は、とても30手前とは思えないあどけなさであった。
「それで、今日はどこ行くの?」
「えっと、いい感じのバー」
「バーね!いいじゃん、わくわくする。でも、おなかすいちゃったからその前に何か食べに行かない?」
「いいよ、何がいい?」
「んー、困らせちゃうけど、なんでもいいな!」
笑いながら言う。確かに、ちょっと困るが、ピンチはチャンスだ。
「じゃあウロウロしながら決めようか」
「さんせーい!」
寒いから駅ビルの中で。レストラン街に行く手前のアクセサリーショップや靴屋さんの前で立ち止まり、これかわいいあれかわいいとはしゃぐ小沼を見ていると、本当にデートしているような気分になる。というか、もうこれはデートでいいんじゃなかろうか。
惜しみながらもショッピングエリアを後にし、レストランのエリアへ。しばらくウロウロしていたが、小沼が店を決めた。
「『和食処 さくら』だって!かわいいじゃん、ここにしよ!」
おしゃれなバーを二次会に持ってくる予定なので、最初は落ち着いた和食の店、うん、悪くない。なにより小沼が選んだ店なのだから問題ないだろう。
小柄な男性店員に案内された席は半個室になっており、気が利いてるなあと勝手に感謝した。和食というだけあって畳の敷かれた座敷であり、照明も柔らかく、雰囲気は良い。
向かい合わせに座り、メニューを広げ2人で見る。
「寒いしあったかいものたべたいねー」
「そうだね、何にしよっか」
ページをめくる。テーブルを挟んではいるが、2人でのぞき込むと否が応でも距離は縮まる。僕は内心少しドキドキしていた。
「あー!桜鍋!馬肉のお鍋なんだ!これ食べたい!これにしよ!」
「お、いいね、それにしよう。飲み物はどうする?」
「後でバーに行くんだよね、それを踏まえて」
「踏まえて?」
「とりあえず生で!」
「結局飲むんだ」
2人して笑いながらメニューを決める。楽しい。森田の言う通りにしてよかったと心底思った。ありがとう森田。
小沼が呼び鈴を鳴らすとさっきの小柄な男性店員が注文を取りに来てくれた。
「えーっと、桜鍋2人前と、ビール2つ!」
元気よく注文する小沼。本当に何をするにも楽しそうな彼女は輝いて見えた。
かしこまりましたと店員が去ると、小沼が口を開いた。
「今日はなんかデートっぽいね」
僕は心の内を悟られたかと思って一瞬ギクッとしたが、冷静に切り返した。
「そうだね、前はこんなおしゃれなところじゃなかったもんね」
「ちょっとだったけどウィンドウショッピングもしたしねー」
僕は勇気を出して言ってみた。
「これはもうデートと言っていいのでは?」
すると、小沼は笑って答えた。
「どうしよっかな~?」
完全に手玉に取られている。
「うそうそ、デートだよデート。たまにはいいよねこういうの」
嬉しそうに小沼が言ったのを見て、僕は胸が高鳴るのを感じた。
「やったね」
素直な感想が出てしまったが、なにそれと小沼は笑った。
「この間の財布の件もあるし、今日のデートは中野くんに奢ってもらうよ」
「その節は本当にすいませんでした」
2人の会話は弾み、料理が運ばれてくるまでの時間がとても楽しかった。
「お待たせしましたー」
とまずはビールが運ばれてきた。ありがとうございます、と受け取るときに名札に書いてある“中野リア”という文字が目に飛び込んできた。
バッと顔を上げると、そこには作務衣に前掛けの格好をしたヴァルキュリアが立っていた。3秒ほど、その怪訝な顔をした店員と見つめ合い、目をそらした。なにごともなかったかのように失礼しましたと下がってゆく店員。黙ってジョッキを一つ小沼に渡す僕。
「さっきの店員さんかわいかったねー、中野くん見惚れてなかった?」
いや、見とれてたわけではない。いたずらに笑う小沼に対しひきつった笑いで返すことしかできない。え、何、見間違いか?
「と、とりあえず乾杯しようか」
「そだね!かんぱーい!」
何事もなかったようにジョッキをぶつけ、ビールをのどに流し込む。うまい。うまいし、小沼と一緒だからなおうまい。美味いはずだが、ちょっと頭の整理が追い付いていない感覚が僕を縛っていた。
「お待たせしましたー」
と、再度聞き覚えのある声がして、鍋が運ばれてきた。
「こちら火をつけてから出汁が沸騰しましたら——」
と淡々と鍋の食べ方の説明をする店員、いや、どう見てもヴァルキュリア。喉元まで「なんでおまえが」と出かかったがなんとかこらえた。変な汗が出てきている。
「それではごゆっくりどうぞー」
と言って、去り際に僕だけに見えるように ニタァ… と笑ってその店員は下がっていった。事態は最悪である。いやデート自体は最高なのだが、よもや同居する神にデート現場を目撃されようとは思わなかった。
「どうしたの?なんか顔色悪くない?」
小沼が気遣ってくれる。
「いや、なんでもないよ。ちょっと一気にビール飲みすぎたかな、はは」
「そう?ならいいけど。おいしそうだねー桜鍋!」
沸騰するのが待ち遠しいという感情が漏れ出る表情をしている彼女はとてもかわいい。そしてそんな最高の光景を最悪の状況で見ている僕は少々青ざめていたかもしれない。
失敗だった。迂闊だった。いつからどこでバイトするのかくらい聞いておくべきだった。まさか翌日からいきなり働いているとは。
そういえば鍋屋って言ってたけど、特に鍋の専門店でもないこの店はノーマークだった。いや、何も悪いことはしていない。今日はデートなんだから、ヴァルキュリアのことは見なかったことにしよう、忘れよう。ここは、デートを楽しむのだ。
ヴァルキュリアは張り切っていた。今日はバイト初日、一生懸命がんばるぞと言わんばかりの意気込みだ。ヒデアキは土曜だというのに仕事に行った。よほど仕事が好きと見える。いつもは昼過ぎに帰ってくるのだが今日は帰ってこなかった。バイトの時間なので家を出る。今日は初日なので、客足の少ない3時からの勤務でいろいろ教えてもらうのだ。
バイト先の“さくら”に到着すると、まずは店長が迎えてくれた。
「中野さん!待ってたよ!今日からよろしくね」
年の頃は50代前半くらいだろうか。白髪交じりの優しそうなおじさんである。
「よろしくお願いします」
珍しくヴァルキュリアは緊張していた。これまでも人間界で初めてのことは何度かあったが、お金をもらってしっかり働くというのは初めてすぎる経験である。
「じゃ、更衣室でこれに着替えてきてね」
と紺色の作務衣と前掛けを渡された。着替えてみると意外と似合うのではないかと満足した。サイズもぴったりだ。
「じゃあ、メンバー紹介するね。今日のホールは、リーダーの山下君と吉田君、あと中野さんと僕の4人で回すよ」
「山下です、よろしく。結構長くやってるから、何でも聞いてね」
長身の茶髪。20歳後半くらいだろうか?好青年といった感じのお兄さん、山下くん。
「吉田です。よろしくお願いします。僕もわからないこと多いですんで仲良くしてください」
小柄な男の子。高校生だろうか。短髪でまじめそうである、吉田くん。
「あとはキッチンのメンバーは、今は特に覚えなくていいや」
と笑う店長。そりゃないよーとキッチンのメンバーたちも笑う。なんというか、雰囲気の良い職場のようで一安心である。
「中野リアと言います。ふつつかものですがよろしくお願いします。」
緊張も少しほぐれてきたヴァルキュリアが挨拶した。
「じゃ、あとのことは山下くんに任せるから、いろいろ教えてあげて」
「了解っす~」
そう言って店長はいそいそと別の仕事をし始めた。客がいない間に終わらせておきたい仕事があるのだろう。
「中野さん、だっけ、リアちゃんでいい?」
この茶髪、距離感が近い。嫌な感じはしないがヒデアキとは似ても似つかないタイプだとヴァルキュリアは思った。
「はい、大丈夫です。吉田くんも、リアでいいよ」
「あ、はいわかりました、リアさん」
「じゃあリアちゃん、早速なんだけど、お鍋のメニューが一番めんどくさいからそこから覚えよっか。あとは適当に料理運ぶだけでいいから」
「よろしくお願いします」
まばらとは言えお客は来る。そのたびに緊張しながら席に案内したり、水を持って行ったり、料理を運んだりする。不安もたくさんであったが、日ごろ家に引きこもってゲームばかりしていた生活と比べると、楽しいし充実感もある。最初は照れくさくて小さい声での“いらっしゃいませー”だったが、次第に大きく出せるようになってきた。
夕方5時を過ぎ、6時にもなるとだんだんと客が増えてくる。それまでに教えてもらったことをしっかりとこなし、ある程度のことはできるようになっていた。神たるもの、呑み込みが早くなくてはならない。というわけではないが、ヴァルキュリアは呑み込みが早かった。20席ほどの決して大きくはない店だが、満席になるとそれなりに忙しくなり、ヴァルキュリアも戦力になる。
注文を取り料理を運ぶ。空いた時間は客席を見回って空いたお皿を下げ、コップが空いていれば飲み物を薦める。初日とはいえ夕方からきっちり仕込まれたヴァルキュリアは吉田や山下と比べても大差ない程度に仕事はできていた。忙しく動き回るなんて人間界に来てから初めてのことで、ヴァルキュリアは忙しい中でも楽しみながら、充実感を味わいながら仕事をしていた。
午後7時を過ぎたころ、お店の忙しさはピークに差し掛かる。山下、吉田と手分けして効率よく仕事をこなしていく。
「リアちゃん、15番にビール2つ!」
山下から指示が飛ぶ。ハイと大きな声で返事をしたヴァルキュリアは、両手にビールジョッキを持ちいそいそと15番の半個室に向かう。
「お待たせしましたー」
ビールを手渡した相手はよくよく見覚えのある顔で、一瞬ヴァルキュリアは何が起こったか理解できなかった。人間界の店でよくよく見覚えのある顔に出くわすことなんてあるだろうか?あるとすればそれは同居人のヒデアキ以外の何者でもない。そう、そこにはヒデアキが座っていたのである。しかも向かいの席には美人が座っている。これはいったいどういうことなのか。ひとまずビールを手渡し引き下がる。見間違いじゃないかとも思っていた。その後も淡々と仕事をこなし、またしても15番席に鍋を運ぶ仕事が舞い込んでいた。
「お待たせしましたー」
再度半個室を訪れる。やはりヒデアキと美人が座っているのだ。ははーーん。これは、デートじゃな、とヴァルキュリアも察する。空気を読んでひとまずは知らないふりをしておいてやることにしたヴァルキュリアは、何食わぬ顔で料理の説明を始めた。
「こちら火をつけてから出汁が沸騰しましたらお召し上がりいただけます。鍋が焦げ付かないように火を緩めていただいて、熱いので気を付けてお召し上がりください。」
もう鍋の説明も慣れたものだ。澱みなく説明をしてゆくヴァルキュリア。一方ヒデアキもさすがに気づいたようで、ひきつって青ざめた顔をしている。ヴァルキュリアは笑いをこらえるのに必死であったが、去り際にヒデアキの顔を見て我慢できなくなって破顔してしまった。なんとかあの美人には見られない角度を保ちながら出て行かなくては。
「それではごゆっくりどうぞー」
笑わずに言えたかどうか微妙なところではあったが、なんとかきちんと仕事はこなした。
「そうかそうか、あのヒデアキが…隅に置けんもんじゃのう」
いやはや、アルバイトとは面白い。初日してこんなに面白い事件が起こるとは。
「あれ?リアちゃんなんかいいことあったの?」
と山下に聞かれるほどには顔に出ていたらしく、気を引き締めて仕事をせねばと思うヴァルキュリアであった。
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