51.大家さんと年末

 大家さんの両親による訪問を無事に終え、俺はようやく平穏な日常を取り戻せると思っていた。だがしかし世の中そう上手くいかないのが常である。


 年末も年末の大晦日、恐らく多くの人々が大掃除やら、年末ジャンボやら、はたまた年末ジャンボミニやらで忙しい時期。というか年末ジャンボミニってなんだ。ジャンボか、ミニか、どっちなんだよ結局。


 それはともかく、今年の大晦日は俺も他の人と同じように忙しくなる気がした。


「なんでまだこの部屋にいるんですか。もう一緒に住まなくても大丈夫ですよね、大家さん」

「何を言っているのよ。大丈夫だと一番安心している時こそ実は危険だったりするのよ」


 というのもこの今部屋のテレビの前で正座をしてお茶を飲んでいるクレイジーサイコ女が未だ自分の部屋に帰っていないのだ。荷物を纏める素振りすら見せない。


「それって『驚愕!? 日常に潜むインターネットの闇』とかいうコメンテーターがありきたりなコメントばかりしか言わない胡散臭いテレビ番組で言ってたやつですよね。あの番組嫌いなんです」

「嫌いなわりには妙に詳しいわね。もしかしてその番組のファンなのかしら?」

「違います!」


 そうだ、絶対に違う。日常に潜む○○シリーズなんて誰が見るのだろうか。あんなの最初の十分と最後の十分くらいしか面白くないだろう。……なんだよ。結構面白いんじゃねぇか、この野郎。


「……ってそんな話をしてるんじゃないですよ。俺は大家さんが何でまだこの部屋に住み着いているのかを聞いているんです」

「あら、それはさっき言ったはずだけれど」

「理由になりませんよ。あんなの」


 はて? と惚ける大家さん。はて? じゃない。早く帰ってくれ。


「大家さんがいるとろくに大掃除も出来ないんですよ。無駄に荷物多いですし」

「そこは頑張りなさい。きっとこれは神からの試練なのよ」

「神というよりどちらかと言うとこれは大家さんからの試練ですけどね」


 大家さんがあまりにも横暴なので『どいてください』という念をじっと大家さんを見つめることで送り続ける。こうすれば流石の大家さんでも居心地が悪いようで、彼女はため息を吐くと渋々立ち上がった。


「仕方ないわね。しばらく自分の部屋に戻っているわ」

「一生戻って来なくてもいいですよ」

「それは無理な話ね。大体三時間くらいで戻るからそれまでに掃除は終わらせておきなさい。じゃあ私は行くわ」


 大家さんはそれだけを言い残すとお茶を片手に部屋を出ていった。毎回思うけどなんで上から目線なの? あの人。


 しかしこれでようやく大掃除が出来る。俺は大掃除をするついでに、久しぶりに一人の時間を満喫するのだった。



◆ ◆ ◆



 外を見ればいつの間にか日が沈んでいた。三時間、大家さんから与えられたオアシスな時間は部屋の大掃除をするだけで実に呆気なく終わってしまった。きっともうすぐ大家さんという悪魔が再びこの部屋にやってくるのだろう。


「せめてあともう一時間は欲しかった……」


 しかしそんな俺のささやかな願いは一ミリも叶わず、俺がそう呟いた直後にガチャっと玄関ドアの開く音がした。


「帰ったわよ」


 大家さん、さも当たり前であるかのように帰ったとおっしゃっていますが、一応言っておきます。あなたの帰るべき場所は一階にあります。部屋間違ってますよー。


「ただいまです」


 続けて大家さんの方から彼女とは違う別の声が聞こえる。あれ、この声はもしかして。そう思い、一度逸らした視線を再度大家さんの方へと向けると、そこには大家さん、そして彼女の左横からひょっこり顔を出した小夏ちゃんの二人がいた。


「あ、小夏ちゃん。こっちに来てたんだね」

「そうです。冬休みですからね。そりゃあ来ますよ。来ないわけがありません」


 そうか、ついこの間夏休みが終わったと思ったらもう冬休みなのか。そう考えると季節の移り変わりというのは案外早いものだ。


「ククク……最近は随分と楽しそうにやっていたじゃないか、でな」


 これまた別の声が聞こえると思ったらいつの間にかアイスメイズさんが大家さんの右横からお怒りでの登場である。そして……。


「すみません、こんな大勢で押し掛けることになってしまって……」


 俺の心のオアシス、須藤さんまでもが大家さんの右肩の辺りから顔を覗かせていた。1Kの狭い部屋にこんな大勢で来て今日は一体何事なのだろう。


「さぁみんな遠慮しないで上がっていいわよ」


 うん、それ俺のセリフなんだよね。


「お邪魔しまーす!」

「邪魔する」

「お、お邪魔します」


 というか何で三人もそんな躊躇なく部屋に上がってこれるんだろう。一応ここ俺の部屋ですよ。まぁ今更な感じはありますけど。


「それでこれはどういう風の吹きまわしなんですか?」


 アパートの住人全員と小夏ちゃんのオールスター総勢四人がこんな日の沈んだ時間帯に俺の部屋へと一斉にやって来るなんて何かなければおかしい。俺の問いに対して大家さんはお得意の意地の悪い笑みを浮かべるとこくりと首を傾げた。


「どういう風の吹きまわしも何も今日は大晦日でしょう? だから年越し蕎麦パーティーでもしようかと思ったのだけれど。まさかご存知でない?」


 はい、ご存知でないです。さも有名であるかのように言ってますがなんですか、その年越し蕎麦パーティーって。聞いたことも、見たことも、もちろんやったこともないんですが。


 俺が首を横に振ると続けて小夏ちゃんが少しイラっとする感じで声を掛けてくる。


「どうやらナッキーさんはだいぶ流行に乗り遅れているみたいですね。年越し蕎麦パーティーは近年、我が大家ファミリー内で一大ブームになっているというのに」


 そりゃ知らないわ。だってもうそれ家族内イベントだもん。俺、他人なんだもん。


「……でそれって一体どんなパーティーなんです? 今までの被害はどのくらいですか?」

「そう怯えなくてもいいわ。年越しするまでただひたすらに蕎麦を食べ続けるだけの楽しい行事よ。別名年越し蕎麦デスマッチとも呼ばれているけれど大したことはないわね」


 別名怖ぇよ! なんだよ年越し蕎麦デスマッチって。完全に食べさせて殺し合いさせる気じゃねぇかよ。

 ……えっ何? もしかしてそれを今からやるんですか? 日付変わるまでまだ六時間くらいありますが。


「あの、俺はパス──」

「無理よ。だって貴方の部屋でやるもの」


 逃げ道は既に無し。


「そ、そうですか。じゃあせめて銭湯に行ってからでも」

「それもそうね、だったら私も一緒に行くわ。……三人も行くわよね?」


 大家さんの言葉にそれぞれ頷く三人。良かった、これで少しは時間稼ぎが出来る。というか思ったんだが、小夏ちゃんはともかくこの頭のおかしい企画によくアイスメイズさんや須藤さんがOKしたものだ。断るでしょ、普通。というわけで心配になって二人に問い掛ける。


「須藤さんとアイスメイズさんは本当にこのパーティーに参加する気なんですか? 下手したら殺されますよ?」


 誰にとは言わないまでも、チラチラと大家さんと小夏ちゃんを見ておく。


「えーと、どういう意味ですか?」

「そうだ、ただ蕎麦を食べるのに何を身構える必要がある?」


 そうか、この二人は騙されていたから平気な顔をしてたのか。いくらなんでも純粋すぎますよ、二人とも。この悪魔達を相手にするときはもう少し、いやもっと全力で疑った方がいいと思います。


「そうよ、何も怖がることはないわ。貴方はただ蕎麦を受け入れればいいの」


 何その宗教の勧誘チックな言い回し。安心出来ないですから、逆に怪しさ滲み出ちゃってますから。


 胡散臭い、咄嗟にそう思ったがニコリと妙に怖い表情で微笑む大家さんの前では何も言えなかった。大家さん特有の圧というのだろうか。それが俺の口を固く閉ざしたのだ。というわけで年越し蕎麦デスマッチの前にまず俺達は銭湯で体を清めることとなった。



 それから部屋を出て今は外、大晦日の夜にアパートの住人全員と小夏ちゃんで往く銭湯というのは何だか特別な感じがする。だからだろうか外は身震いしてしまうほどの寒さだが、何故か俺の気分は高揚していた。


「何だか楽しそうね」

「そう見えます?」

「ええ、貴方が女性の胸を見るときくらい楽しそうよ」


 へー、それは相当楽しそうだ……っておい! 俺はそんな分かりやすい表情で女性の胸を見ていない。いや、そもそも見てないけどね?


「変な冗談は誤解を生むので止めてくださいって前にも言ったと思うんですが」

「そうだったかしら?」

「ええ、そうです」

「本当は違うんじゃない?」

「いえ、違わないです」

「もしかしたら夢の中でのことかもしれないわよ?」

「いや、何でちょっと惑わせようとしてくるんですか」

「これならいけると思って」

「いけないですから」


 この人は本当にもう駄目かもしれない。内心そう思いながら大家さんに言葉を返すと彼女は急に歩く速度を速める。それから俺の少し前に出たところで彼女はこちらを振り返った。


「何だかいつも私の我が儘に付き合わせてしまっているみたいで悪いわね」

「いきなり何ですか……」


 この流れで本当になんだ。大家さんが俺を気遣うなんてはっきり言って気持ち悪い。頭でも打ちましたかと大家さんを心配する視線を送れば彼女からは少し心外そうな表情が返された。


「何よ、その目は」

「いえ何でも」

「言っておくけれどこれはあれよ。年も終わるし貴方には色々迷惑を掛けたから。だからこれは年終わりの挨拶みたいなものよ」

「一応迷惑を掛けたとは思っているんですね」


 大家さんからの迷惑か。今までのを全て数えたら切りがないんだろうな。まぁそれでこその大家さんなのだが。


「でも別にそんなに畏まらなくてもいいですよ。大家さんらしくないですから」

「そうかしら?」

「ええ」


 今年は本当に色々あった。仕事を辞めたこと、引っ越しをしたこと。頭のおかしな大家さんに目を付けられ最終的に共同生活を送ることになったのはまだ記憶に新しいだろう。一年前の自分にはまさかこんな愉快な人に目を付けられることになるなんて想像も出来なかった。しかしこの一年、実に楽しかったことには違いない。


「だったらシンプルに来年もよろしくとだけ言っておくわ」

「そうですね、こちらこそよろしくお願いします」


 だからこそ期待してしまう。来年は一体どんな年になるのだろうと。もしかしたら大家さんが俺に優しくしてくれる一年になるかもしれない。


「来年はどうやって貴方で遊ぼうかしら? 今から楽しみね」


 まぁそんなことは今の大家さんの言葉からも分かるようにあり得ないのだが。


 とにもかくにも、こうしている間に時間は刻一刻と過ぎていく。大家さんと出会ってから数ヶ月、俺にとっての特別な年はあと数時間で終わりを迎えようとしていた──。

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うちの大家さんは毒舌で、クレイジーだけど時々ちょっぴり優しい サバサバス @misogasuki

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