50.大家さんと本音

 小春さん母──春子さんの初撃をようやく切り抜けた俺は一息吐ける……わけもなく続けて彼女から第二撃を受けようとしていた。


「それで夏樹さんは一体どんな仕事をしているの? よろしければ教えてもらえる?」

「なるほど仕事ですか……」


 ここで『仕事? いやですね。そんなのしているわけがないじゃないですか。無職ですよ』なんて言ったら話が悪い方向へと転がることは間違いない。かといって仕事をしていると嘘を付いても、いつどこでボロが出るか分かったものじゃない。だとしたらどうするかと答えに困ったところで先程から俺の隣で沈黙を貫いていた小春さんが口を開いた。


「彼は仕事をしていないわ。正真正銘の駄目人間よ」


 おいそこのクレイジー女、そんなこと言ったら印象が悪くなるでしょうが! これもう駄目だよ。絶対終わったよ。


 しかし俺の心配は杞憂だったようで春子さんは『そうなの』と一言答えると軽く微笑んだ。


「どうりで駄目人間オーラが見えると思ったわ」


 どうやら春子さんは俺が無職だということを全く気にしていないらしい。子が子なら親も親というわけですか。この人達を相手にするときは常識を考えない方がいいかもしれない。父親の方は先程から表情一つ変わらないが何も言ってこないということは基本的に母親と同じで娘の彼氏が無職でも気にならないタイプの人なのだろう。というか娘の彼氏が無職でも気にならない人ってなんだよ。気にしろよ。


「でも私は彼との時間が好きなの。私と彼はラブラブなの。だからもうお見合いをさせようとしてくるのは止めて。私、誰ともお見合いする気なんてないわ」

「そう、知り合いに彼氏役を頼むほどお見合いは嫌なのね」


 春子さんは澄ました顔で小春さんの言葉に口を挟む。


「何でそれを……」

「私達が娘の嘘に気付かないわけがないでしょう。貴方が生まれてきたときから見てきているのよ?」


 なるほど最初から全て分かった上で訪問しにきたということですか。最初から俺の出る幕はなかったと。そうですか、それなら静観させていただきます。余計なことに首を突っ込んで面倒なことになるのごめんなので。


「それなら私がお見合いを嫌がっていることにも気付いていたはずよ。どうして分かってくれないの……」

「それは心配だからに決まっているでしょう。貴方は私と同じように見た目は良いけど、あまり人に好かれるような人間でないことは分かっているの」


 ああ、分かる分かる。小春さんは万人受けするタイプの美人じゃないですもんね。普段の言動を見てきている人ならきっと誰もが頷くはずだ。


「だから貴方にはお見合いをして幸せになって貰うしかないのよ」

「そんなの勝手よ。私の気持ちは何も考えてないじゃない……」

「気持ちなんて後からついてくるわ。それに出来るだけそうならないように私は貴方に寄り添ってお見合い相手を決めるつもりよ」

「本当に何も分かってない……。話にならないわよ!」


 小春さんはそれだけ言うと部屋から出ていってしまう。それにしても中々変な展開になってしまったものだ。正直俺もここから逃げ出したい。


「ごめんなさいね、うちの娘がとんだ迷惑を掛けてしまったみたいで」

「いえそんなことは」


 慣れているので。


「ところで夏樹さんと小春、本当はどんな関係なのかしら?」

「普通にこのアパートの大家さんとその住人って関係ですよ」

「そう、とても苦労してそうね」

「はい、めちゃくちゃ苦労してます」


 流石は親というべきか俺が置かれている立場もそれとなく理解しているらしい。いやー本当に貴方の娘さんには苦労させられてます。俺だって初めは美人な大家さんだなっていう好意的な印象を持ってましたよ? でも日が経つにつれて段々と部屋に勝手に入ってくる頻度が多くなってきて、雑用を押し付けようとしてきたり、毒を吐いてきたり、しまいには部屋を占領しようとして来るんですもん。もう毎日本当に苦労している。そろそろストレスで禿げるんじゃないの? 俺。


「けれど俺はそんな生活が結構好きなんです。少し前までのただ意味もなく働いていた時期に比べたら今の小春さんとの生活はすごく楽しいんですよ。おかしな話ですよね」


 そうおかしい、日頃から酷い扱いを受けているはずなのに楽しいと感じるなんて正直頭がおかしいとしか言いようがない。


「小春といることを楽しいと感じるなんて夏樹さんって相当な変わり者なのね」

「はい、自分でもそう思います。まぁあっちからしたら俺はただの都合の良い人くらいの感覚なんでしょうけど」

「そう、それで彼はこう言っているのだけれど実際に小春はどう思っているのかしら?」


 春子さんは突然俺の後方に声を掛ける。それにつられて俺も恐る恐る後ろへ振り向くとそこには部屋と玄関を仕切る扉があり、その扉に埋め込まれているガラス部分には丁度小春さんのものと思われる人影がうっすらと映り込んでいた。その人影は扉の向こう側で扉に背を預けるとその場にゆっくり座り込む。


 あれ、もしかして今の会話って小春さんに全部聞かれてました? だとしたら俺めちゃくちゃ恥ずかしいことを本人の前で言っちゃったことになるんですけど。もう穴があったら入りたい。そしてそのまま穴を誰かに埋めてもらいたい。


 しかし俺の恥ずかしさは扉の向こう側から聞こえてきた小春さんの冷たい声で全て掻き消えた。


「そうね、彼はただの成人男性G……いやJくらいかしらね。そこら辺にいる私に対して変な期待をする男と何も変わらないわ」


 今彼女が発した声は今まで聞いてきた中で一番感情がこもっていなかった。まるで機械のような平坦な声、俺はそんな彼女の声に少々戸惑いを覚えていた。そこら辺の変に期待する男と変わらない。確かに俺も最初は小春さんを勝手におしとやかな女性だと思い込んでいた。彼女の容姿を見れば誰もがそう思う。だが彼女の言い方からするとそれが嫌だったのだろう。

 人は見た目よりも中身が大事というが初めはどうしても見た目からしか判断出来ない。そして大抵が見た目から勝手に中身を想像する。ろくに中身を見ることをせず、勝手に決めつけ、想像していたものと違えば『なんか違かったわ』と勝手に離れていく。きっと今まで彼女にはそういう身勝手なことが多々あったのだろう。勝手に期待して、勝手に近づいてきて、勝手に離れていく。だからいつしか彼女は近づかれることを拒むようになってしまった。一定の距離を保っていれば自分が傷つくことはないと。


「だから現実を見せればいつもと同じようにすぐに逃げていくと思ったのよ」


 小春さんの声は初めの機械のような平坦なものから一転、感情に彩られ始める。嬉しそうにというよりかはどちらかと言うと悔しそうな感じで。


「初めは単純にそう思ったわ。でもナッキーは違った。残念なことに違ってしまったのよ。彼は現実を見ても決して逃げたりしないの。寧ろ私に対抗してくるなんて本当に相当な変人よ。変人を通り越していっそのこと変態だわ」


 俺が変態だったらあなたも同じかそれ以上ですからね。変態のそれ以上ってなんだろう。大変態?


 小春さんは一通り話を終えると、扉の向こう側でゆっくりと立ち上がる。そして今度は勢いよく扉を開けると春子さんに向かって宣言をした。


「そういうのも全て考慮したら彼は私にとっての変人Aよ!」


 俺が変人だという宣言を。

 これって褒められてるのかな。いや褒められてないよな、きっと。


「そう、貴方の気持ちはよく分かったわ。今まで勝手なことを言って悪かったわね。私達はもう帰るから許して頂戴」


 え、今ので何が分かったの? 俺が小春さんから公式に変人認定されたことくらいしか分からなくない?

 というか……。


「あの、お見合いの話はもう良いんですか?」

「お見合い? この子にはもうそんなの必要ないでしょう?」


 なんかさっきと言ってることが百八十度違うんですが。さっきまでお見合いさせようと頑なだったのに急にどうしちゃったんですか。


「……これからも娘を頼む」


 今まで無言を貫いていた小春さん父──夏夫さんまでなんかもう終わらせようとしてるし。これは結局どういう形で決着がついたのだろう。だれか説明をお願いしまーす!


「夏樹さんには色々迷惑を掛けたわね。今度はうちにいらっしゃい。私達が精一杯おもてなしするわよ」

「は、はぁ……」


 こうして俺だけ訳も分からないまま小春さんの両親による電撃訪問はそれから何事もなく幕を下ろした。

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