災難
アレ
その夜は激しかった
激しい雨が各地を襲っていた。高鳥鐘青が住む地域も、例外ではなかった。
「ハァ…ハァハァハァ…」
高鳥鐘青は、エロアニメを見ていた。他にやることがないからだ。ひきこもりの高鳥鐘青にとって、アニメを見ることだけが生き甲斐である。しかも見るのはエロアニメばかりだ。あまつさえ、違法ダウンロードでコレクションを充実させている。だが高鳥鐘青は、悪びれない。悪びれようにも、突っ込んでくれる相手がいないからだ。突っ込む相手もいないのだからそれでよいのだろう。
「うにゅあはぽじゃrあはhじょああああ…」
高鳥鐘青の小さな奇声は、雨音にかき消されている。子供部屋から音が漏れると、時々親が扉を叩くこともある。両親は既に諦め気味で、鐘青が居座る子供部屋を座敷牢に見立てている。とはいえ、外に漏れそうな音が出ると、黙ってもいられない。いかに田舎とて、あたりに誰も住んでいないというほどの僻地でもないからだ。鐘青の奇声は、両親の悩みの種であり続けていたのであった。
すこすこすこすこ…
高鳥鐘青が陰茎をしごく音がする。高鳥鐘青の恋人は、その右手だけである。通信販売で買ったオナホールは、親に没収された。それ以来高鳥は、物を買わなくなっていた。でも、この右手がある。高鳥鐘青は、他に満足のための物理的手段を持っていない。それでも、アニメさえあれば大丈夫なのだ。それも当然だ。人間からは相手にされない鐘青にとって、ただ絵だけが友達なのだから。
すこすこすこすこ…
高鳥鐘青の心は盛り上がっている。だが、地が鳴った。山が崩れたのだ。それでも鐘青の右手は運動をやめない。他にやることがないからだ。それは鐘青にとって当然のことである。アニメを見て性欲を満たすことだけが、鐘青の人生である。だから、やめる理由がない。この地響きが起こした事態がどんなものであろうとも、オナニーできるかどうか以外は、鐘青には、関係のないことだ。
ドドドドドド…ヲヲヲヲヲ…
地が轟き風が唸る。そして電気が消えた。さすがに鐘青とて、異変を気にした。異変に気付いてはいても、鐘青は無視していたのだ。さて、これではパソコンを使ってオナニーを続けることができない。それは困る。鐘青は、スマホを手に取った。この機械も、鐘青に鍛えられている。違法にアップロードされていたエロアニメが、刹那のうちに再生され始めた。だが、鐘青は、悩み始めた。
ゴガガガガ!グブガアガガ!!!
外の音は、凄まじい。鐘青は、このまま停電が続けばスマホの電池も切れると考えていた。外に出ない鐘青は、モバイルバッテリーなど持っていない。仕方がないので寝るかとも、鐘青は考えた。惰眠を貪るだけなら、鐘青にとって造作もないことである。それでも鐘青は逡巡していた。寝てしまっても本当によいのかと。そうなるのには、鐘青が歩んできた道が、深く陰を落としていた。
バギッググガゴベギャン!
木でも折れたのだろう。そんな音で、鐘青は、背骨を折られかけた日を思い出していた。いじめである。鐘青にとってそれは、許せないことだった。だが、鐘青以外すべてにとって、当然の報いだった。鐘青は、相手構わずアニメの話を続けるので、クラス全員からうざがられていた。だから厳しいいじめを受けた。誰も味方はいなかった。教師ですらも、ただ鐘青が悪いと考えていた。
ギギーギーギーギギギー!
何かが引っ張られるような音が、扉に挟まれた鐘青が聞いた軋みの音色を思い出させていた。いい加減にしろと言われていた頃の鐘青は、その程度の扱いを受けていた。玩具として扱われ、犬の糞を食わされたり泥の中に何度も蹴落とされたりするようになる前は、それで済んでいた。鐘青は、そのくらいで済むならマシだと、今も思っていた。それでも喜ばしい記憶でないのは確かである。
ゲゴギャギョギョギャー…
最早なんだかわからない轟音が響く。いつも明りを消さない鐘青は、闇の底で記憶の中の責めに迫られていた。そもそも鐘青は、アニメ抜きでも、好かれるタイプではない。一重の小さい目、潰れているのに穴だけは目立つ鼻、すぐ伸びるのに放置されがちな多量の不精髭、そして重度の肥満。千人中千人が不細工だと言い切れるタイプの鐘青がアニメに逃げたのは、当然だったのだろう。
ギギギギギギギギギギギ!!!!
鐘青は、半ば眠った状態で、悪夢にうなされていた。短い手足を振り回し、ばたばたと音を立てて。だが、幸いにも、その程度のものはかき消された。鐘青のような虫がする息を誰も気にしなかったあの頃のように。そんな数時間を越えて、日の光が差してきた。朝になったのだ。風雨も、少しは和らいできたようだ。もしこの家の外に誰かがいれば、鐘青の呻きを聞くことができただろう。
バババババババババババババ…
ヘリが飛んでいた。鐘青の家は、壊滅的被災地の一つとして、マスメディアに晒されていた。一階は土砂に弄られて原型をとどめていない。生存者がいるようには見えない。だが鐘青がいる二階には、形がある。世間は、助かる人がいるようにと願うポーズをする偽善者たちで溢れている。だから、鐘青も、初めて世間から心配されたということになる。鐘青はそんなことを知らないのだが。
チュンチュンピーチクパーチク…
鳥が囀る。鐘青は、明るくなったので、起き出した。そして、昔勇気をはらって買い集めた同人誌を探した。あれを見れば、またオナニーができるからだ。よし、あった。いいぞ。鐘青は、はだけっぱなしの陰茎に手をやった。立ったままである。あちらも勃ってきた。風雨が弱ければ爽やかだっただろう朝、鐘青が始めたのは、いつも通りのオナニーであった。鐘青にはそれしかないのだ。
ドガバガガガガーン!
突風が吹いた。飛んできた木は、鐘青の家の屋根にぶつかった。一面の壁をもろともに、屋根は落ちた。落ちた向こうには、報道のヘリがいた。鐘青が陰茎をしごく姿が、生で放送された。たまたまズームされていたので、本らしきものを見ていることも、少なくとも肌色の領域が広いことも、そのまま伝わった。もちろん、鐘青はそんなことを知らない。鐘青は、オナニーに集中していた。
この場面は、各方面に衝撃を与えた。しかし、表向き、報道からは消された。なかったことにされればこそ、ネットでは広がった。住所等から鐘青の苗字が特定されるのに時間はかからなかった。卒業アルバムには、鐘青の代わりに校舎や花壇の写真が載っていたため、顔写真がさらされることにはならなかった。元同級生が写真を持っていないと嘆く投稿も見られたが、真偽は不明である。
鐘青の両親は、既に避難していた。そして、話を聞いて、憤った。どこまで恥をかかせるのか、と。近在の村人たちは、大笑いしていた。無理もない、生きているかどうかすらはっきりしないことになっていた息子さんがあんな姿を晒したのである。大体何をやっているかまで伝わる絵面だった以上、申し開きの余地はない。だからこそ両親は、これまで以上に肩身の狭い思いをした。あんな子ができたというだけでも大変だというのに、そしてせめて他人に迷惑をかけないよう囲ってきたというのに、こんな形で笑いものになるとは。良く言えば、世間を和ませたことになるのかも知れない。だが、両親にとって、そんなことはどうでもよい。むしろ、襲ってきたのは後悔であった。何らかの方法で永遠に人目に触れないようにしておくべきだった。やはりそうだった。それが、村社会に生きる両親にとっての、偽らざる本心であった。
ネットでは、鐘青の魂の兄弟ともいうべき者たちが、報道規制について論評していた。実際にあったできごとをなかったことにするのは許せない、と。そしてこの話には尾鰭が付いた。都合が悪いものが写ったので規制があったに違いない、と。そして彼らは、いつものように叫んだ。表現規制反対、と。勿論、そんな意味不明な供述は、誰にも省られない。ただ彼らのお仲間を除いては。
その後の鐘青の消息は知られていない。ただ、誰も彼を見ていない。もっとも、そのあたりの山から、ハァハァ言っている荒い息遣いが聞こえることがあるらしい。そんな噂は、この件を知る者が創作した怪談だということになっている。
そしてネットには、決定的瞬間の静止画が遺された。これを見た者は、きんもーっ☆とレスをつけるのがお約束である。
災難 アレ @oretokaare
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