僕が凡人になった日

大森たぬき

ジャンケン無敗伝説

 僕はジャンケンに負けたことがない。一度たりとも。

 最古の記憶にあるジャンケンは幼稚園の時、給食のプリンを巡ってのことだった。参加人数は10人以上いて、とてもじゃないが1度のジャンケンで決まる数ではない。だが勝った。僕はグーを出して、他の全員がチョキを出した。参加したクラスメイトは驚いていたが、僕は当然だと感じた。根拠はない。だが、これからもこうなるんだろうなという手ごたえがあった。

 時がたって小学生になった。僕の噂は瞬く間に広がった。ジャンケンに負けない男がいると。他のクラスの猛者にジャンケンを挑まれる日々が続いて、それはいつの間にか学校全体に広がっていた。廊下を歩いていると何の前触れもなしに「ジャンケンポン!」という掛け声とともに手が伸びてくる。反射的に僕も手を出したが、負けることは無かった。

 中学になったら、僕はクラスの代表に選ばれることが増えた。ジャンケンに負けないからだ。学年全体の行事の役割分担にジャンケンが使われることが多く、その全てで僕は勝った。僕の所属するクラスは毎回楽な役回りになり、クラスメイトからは度々感謝された。なんだか都合よく使われているんじゃないかとも思ったが、クラスの王であるかのように扱われるのは悪い気はしなかった。

 高校になっても負けなかった。悪知恵のついた僕は、ジャンケンを賭けに使った。僕に勝ったら5000円やる。だが僕に負けたら1000円もらうと。破格の条件である。高校から知り合った何も知らないクラスメイトはネギを背負っているカモを見るような目で勝負に挑んできた。その勝負は3日と続かなかった。100回以上ジャンケンをしたが一度も負けなかった。総勢15人ほどから僕は10万以上巻き上げた。さすがに額が多すぎたのか、先生に見つかって問題になり、全額返金することになった。だが、僕の地位は確かなものになり、周りの人から見た僕のイメージはもう揺るがない。

 ジャンケンに負けない奇跡の男、だと。

 

 

 高2の春、転校生が来た。名前は、影井義道という男だった。ざわついた教室を黙らす一言は強烈だった。影井は自己紹介でこう言った。

「初めまして、影井義道です。好きな教科は数学、携帯の色はオレンジ、そして、今まで一度もジャンケンに負けたことがありません」

 驚いた。同類で、同格だ。やつの言葉に嘘がないことはわかる。顔つきが違う。今まで勝ち続けたやつの顔つきだ。僕からも挨拶をしないと、教室の空気がそうさせる。

「初めまして影井君、僕は芳川刀左衛門。好きな教科は現代文、携帯の色はホワイト、そして、僕もなんだよ、負けたことがない。ジャンケンに」

 影井は顔色一つ変えなかった。そうこなくては。ここで狼狽えてもらったらこっちが困る。合図なんてなんでもいい。決めるしかない。ここで。

「やろうか、ジャンケン」

 相手が誰であろうと関係ない。これまでもそうだったように、これからもそうである。僕はこれからもジャンケンに勝ち続ける――筈だった。

 

 

 勝負というのは意外とあっけない。あいこにすらならずに僕は負けた。クラスのざわつきはピークに達する。影井は今も涼やかな顔をしている。さもそれが当然かのように。

 呆然と立ち尽くすのは僕の方で、それを信じるのは困難を極める。クラスメイトもそれは同じのようで、目を丸く開き、口を開け、生唾を飲む音すら聞こえなかった。

 影井は教師に指示を受けた席に着き、教科書を広げる。それは日常の一環で、ドラマでも何でもないという顔をしている。その日僕は、1時間目が終わると早退した。

 それから起こったことは単純で、今まで僕が居た立場に影井がおさまるというだけだで、3日もすればクラスメイトも影井の存在を認め、崇め、王とした。僕の存在はなかったかのように扱われ、孤立したとも言えないような、今までも居なかったかのような扱いだった。

 今の僕は何も持っていない。いや、今までもそうだったのかもしれない。そんな風に思考を巡らせることが増え、最高潮にまで達していた自尊心は粉々に打ち砕かれ、もう学校を辞めてしまおうかと考えていた時、突風に煽られてきたかのように鮮烈な噂を耳にした。

 影井義道がジャンケンに負けた、と。

 

 

 影井を倒したのは隣町の高校で有名なジャンケン無敗の男で、影井は3か月後に開催される全日本ジャンケントーナメントの予選に出ていた。1回戦であたったその男に負けたらしい。あいこにもなってないそうだ。その男はそのまま予選を優勝し、全国大会へ進むらしい。影井もさぞ落ち込んでいるだろう、もう学校に来ないんじゃないかという心配は杞憂だったようで、何食わぬ顔をして普通に教室に入ってきた。

 いつもの顔だ。転校した初日から同じ顔だ。僕は不思議で仕方がない。なぜそんなに平気な顔をしている。気づいたら僕は影井のもとへ詰め寄っていた。

「負けたんだって?ジャンケン」

 平然を装っているつもりだが、声が震えている。

「お前もここでは三日天下だったみたいだな」

「そうらしいな」

 影井は心から落ち着いている。異常なほどに。

「心なしか声のトーンが低いんじゃないか?」

「いつも通りだ」

 僕の挑発にも乗ってこない。僕は怒りがこみあげてくる。

「なあ影井、お前は負けた、負けたんだぞ、ジャンケンに。今までは無敗だったようだが負けたんだよ。ジャンケンは無敗じゃないと意味がない。一回でも負けたらもう凡人なんだよ!」

 声が大きくなるのを抑えられない。感情が高ぶっている。

「お前が見ていたのかは知らないが……ジャンケンに負けた僕はまあ惨めだったよ。今まで僕が築き上げてきたものなんて簡単に崩れ、それを失った僕には価値がないのだと悟ったよ。今の僕には何もない、他にはない才能だと確信していたものは幻想で、まさしく井の中の蛙だった!僕はそれを受け入れきれないぜ」

 影井は僕の叫びを最後まで聞いて、静かに口を開いた。

「才能は比較出来るものではないが、俺たちは自然と比較している。あいつには負けている。あいつよりは優れている。優劣のつけられないものに対しても俺たちは比較していることに疑問を持たない。幼いころ神童と呼ばれていた人間でも歳を取ると普通の人になる。それは珍しい話じゃない」

 影井の声は低く、ざらついている。

「自分は特別な人間じゃないと気付くタイミングなんて人それぞれで、お前はついこの前、俺は昨日だったってだけの話だ」

 ひとつ息を吸って。

「みんなそうやって生きている。俺たちはこれからそうする。他の誰かはこれからそうなる。特別な人間なんていないんだよ」

 影井は憑き物が取れたような顔をしていた。僕がそれを受け入れられるまではもう少し時間がかかった。

 

 

 路地裏にある居酒屋で、僕と影井はビールを喰らっている。

 昔の出来事は思春期特有の妄想だったんじゃないかって程にきらびやかで、印象に残っている。

 泡の減ったビールを一口飲んで、影井はこう言った。

「あれからジャンケン勝ってるか?」

「まあ、勝ったり負けたりだな」

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

僕が凡人になった日 大森たぬき @oomoritanuki

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ