第2話望み
人は何故努力するのだろう。自分は何故努力するのだろう。努力するのに理由はあるのだろうか。俺が努力する理由はなんなんだろう。
俺は今まで何を考えていたのだろう……
小学生の頃から運動が得意だった。勉強もしていたが、結果はあまり良くなかった。そのため、宿題はしても自分から積極的に勉強をすることはなくなっていった。
運動では特に野球が好きだ。兄はサッカーをやっているが、あまり体力のない俺には、動き回るサッカーや、バスケなどのスポーツよりも野球の方が向いていた。
小学生になって野球のクラブに入ることになった俺だったが、入る前から練習をしていたため、すぐにベンチに入ることができた。
野球は団体競技の一種だが、バッターボックスに立った時は、投手との一対一の個人競技になるとこの頃の俺は思っていた。
高学年になるにつれて体の成長とともに自分の才能が開花していくのを実感することができた。
あれは小学五年生の頃の試合だった気がする。 両チーム無得点の状況で俺に打順が回ってきたのだ。監督からのサインは「かっとばせ」だったことを今でも覚えている。
一投目は明らかなボール球だったが、緊張していた俺は思いっきりフルスイングをしてしまった。
観客席からはため息混じりの歓声が聴こえた。
手が震えた。自分には打てないのではないかと不安になってしまったのだ。こんな状況は今までなかったわけではないが、歓声が聴こえることは初めてだったのだ。
俺は空振り三振をしてしまった。ベンチに戻った時のチームメイトの反応はいつもと分からない暖かい反応だった。
「大丈夫まだまだこれから」
「次は打てよー」
「打順まだ回ってくるぞ」
チームメイトからの声掛けに言葉で返すことはできなかったが、俺の目からは涙がこぼれた。
「優斗。次は頼んだぞ。」
監督からの言葉は今まで聴いたどんな言葉よりも重く感じたが、苦痛ではなかった。
「はい」
力強く応えた俺の声は観客席にいる人達にも聞こえたようで、観客席からも励ましの言葉が聞こえた。
もう一度打順が回ってきたのは最終回のひとつ前だった。
状況は変わって、一点差でこちらがおいかけるかたちになっている。
バッターボックスに立った時、さっきと同じ緊張を感じたが、周りは見えていた。一塁で俺と目のあったチームメイトは笑いながらグーサインを向けてきた。監督からのサインは、「かっとばせ」だった。
一投目は見送った。
「ストライク」
二投目はフルスイングでボールをかすめた。
「ファウルボール」
三投目はフルスイングでボールは、はるか彼方のスタンドに消えていった。
一瞬何が起こったのか自分には理解することができなかったが、歓声が聴こえ、辺りを見回すとみんなが大喜びをしていた。
「ホームランだ」
力なくそう呟いてから走り出した俺には歓声があびせ続けられた。
ベンチに着くとチームメイトから讃えられた。
「やったぞ優斗!」
「逆転ホームランだ!」
ホームランを打ったのは初めてでは無かったが、打った俺よりもチームメイトの方が喜んでいるこの状況は初めてだった。
「よくやった」
そう言いながら俺の肩に手を置いた監督の行動は今でも鮮明に覚えている。嬉しいという感情がこれほどまでに溢れることはこれまで一度もなかった。
子供の時に親に頼んで買って貰ったおもちゃや、野球をするのために買って貰った道具。それを手にした時には確かに嬉しいと思うことはあった。
だが、この時の感情とは少し違ったような気がした。親に対して感謝する気持ちもあったからなのかもしれないが、自分が努力して何かを成し遂げた時の達成感はこれまでに感じた嬉しいというどんな気持ちよりも大きなものだった。
それからの俺は努力することをやめなかった。
勉強では結果はでなくても、野球という自分の得意分野では決して諦めることなく、努力し続けた。
中学生の時に、兄の付き添いで、兄の友達だという人のバスケットボールの試合を観にいった。
野球しかやったことのない俺はバスケットのルールなど全く知らなかったが、コートの中で動き回るある選手に目を離すことができなくなるほど夢中になっていた。
試合が終わりその選手のチームは負けてしまったようだったが、誰一人泣くことはなく、最後の閉会式まで堂々とした立ち振る舞いをしていた。
俺はどうして泣かなかった選手達の気持ちに共感することができなくて、兄に頼んでさっきの選手と話すことにした。
「なんで試合に負けたのに悔しがらないの?」
俺は少し怒り口調で尋ねた。
「試合観てくれてありがとう。負けたのは悔しいよ。」
優しい口調その人から言葉を返される。
「なら、なんで泣かなかったの?」
またしても怒り口調で尋ねた。
「試合には負けたけど、泣くまでのことでは無い。」
俺は怒りを覚えた。努力したのなら負けたら悔しいはずだし、涙だって流れてくるはずだと思っていたからだ。
泣くまでのことでは無いと言ったこの男に、さっきまでの尊敬の感謝は一瞬にして消えていった。
「涙を流すのは勝った時だけでいい。」
突如として一人言のようにそう呟いてなおも言葉を続ける男。
「決して努力していないわけではない。むしろ誰よりも努力した自信がある。でも、涙を流す必要は無い。」
やはり納得できなかった。俺にとって涙は無意識に流れ出るもので、自分でコントロールできるものでは無いのだから。
「涙を流したら悔しさも一緒に流れると俺は思ってる。」
握り拳に力を込めた俺に向かって彼は語りかけた。
「悔しいという感情は決して流してはいけないとも思う。涙に悔しさをのせて流すのは弱い人なのだと思うからだ。」
今までの一人言のような言い方ではなく、力のこもった声でたしかに俺をみつめながらそう言われた。
それからの俺は彼に言われた言葉を時々自分の口で言いながら、あの瞳を思い出すようになった。
あとから兄に聞いたが、彼の弟が俺と同い年で同じ高校に通うことになっているらしい。俺は高校二年生になって彼の弟と同じクラスになった。
高一の時に何度か話しかけたことがあったが、あまり反応が良くなくて、鬱陶しいと思われないように少し距離を置いていた。
彼の弟は大人しい性格で、彼とは全く似ていないと思う。クラスの中心的な立ち位置にいるのではなく、いつも机に伏せていてクラスの誰かと話している姿を見たことがなかった。
時々、バスケ部の人達と一緒に行動しているのを見かけたことがあったが、俺からは話しかけることができず、横を通り過ぎることくらいしかできなかった。
彼の弟とは仲良くなることはできなかったが、クラスの委員長になり、他の人達とは仲良く話すことができるようになった。
そんなある日だった。
クラスメイトの女の子を違うクラスの人達が二人がかりで責めているような場面に出くわしてしまった。
「なにしてんの?」
なるべく険悪感を無くして話しかけた。
「優斗君じゃん」
「ホントだ」
女子生徒二人は俺が来たことに少し驚いた表情を一瞬だけみせたが、すぐに何もなかったかのような態度をとった。
「一人に対して二人で責めるのはどうかと思うよ。何があったの?」
今度は険悪感たっぷりの口調でわざと嫌味ったらしく声をかけた。
「いやっ、なんでもない。」
「行こう。」
二人の女子生徒は少し慌てた素振りでそそくさと帰っていった。
「大丈夫?」
クラスメイトに優しく語りかける。
「うん。ありがとう。私用事あるから、じゃあね。」
俺の返答を待たずして帰って行くクラスメイトに少し違和感を感じたが、そんなことよりも明日の試合に備えて練習をしなくてはいけないため、俺は急いでグラウンドに向かった。
その日の練習も、誰よりも努力することを意識して決して手を抜くことなく取り組んだ。今日の部活は観戦する人が多く感じたが、集中することができた。明日の試合では勝てるようにしたい。
ーー翌日 土曜日 試合当日
「今日は待ちに待った試合当日だ。最後の試合になるわけではないが、絶対勝つぞ!」
「おぉー!」
三年生のキャプテンの声掛けによって、チームの士気が上がったのを感じた。
「初めての公式戦の杉野、一言頼んだ。」
キャプテンにそう言われて少しドキッとした。
「初めての公式戦で四番を着させていただけるとは思っていなかったのですが、先輩方の期待に答えることができるように頑張ります!」
言い終わってから少し長かったように感じたが、周りからは何も言われることはなかった。
試合は順調に進んでいき、残すところあと二回になった。何回か自分の打席が回ってきたのだが、今のところまだ一本も打てていない状況だった。
今は一対一の同点で、ツーアウト、二塁にランナーがいる状況だ。この打者を抑えれば自分の打順が回ってくる。あの時と同じような流れだった。
俺の守備位置はサードだが、ショートが二塁に寄って守っているため、自分も二塁に寄って位置としては、ショートの付近にいる。
先輩の一投目。
「ストライク!」
二投目。
「ファウル!」
良し。あと一投で自分達の攻めだ。そう心で想うのと先輩が三投目を投げるのはほぼ同時だった。
カキーン
あまり強いあたりではなかったが、金属バットの音がいつもより大きく聴こえた。ボールは俺に向かって転がってきた。
「取れる。」
そう呟いた俺の股下をボールが音もなく通過していった。
「レフト!カバー!」
そう大きな声で言った先輩の声で我に返ったが、二塁にいたはずの選手はもう三塁のベースを踏んで走りだしていた。
「セーフ!」
一際大きな声でそう聞こえたかとおもうと、それよりもはるかに大きな声で歓声が聞こえた。逆転された。俺のせいで……
その回の失点はそれだけですみ、自分達の攻めが始まる。鉛のように重たい足を引きずるようにして自分達のベンチに戻った。
「打ってばんかいしろ!」
そうキャプテンから言われ、気持ちを切り替えて望むことができた。打順てきに、自分は三番目だ。
一人目、一投目。
打ち上がったボールは、セカンドの選手のグローブに吸い込まれるように入っていった。ワンアウトだ。
二人目は代打でさっきまでベンチにいた先輩がバッターボックスに立つことになった。結果は見逃し三振だ。
いよいよ自分の打席が回ってきた。手の震えをおさえるために手を強く叩いてからバットを握ってバッターボックスに立った。
歓声が全く聞こえない。監督からのサインは「かっとばせ」だ。
一投目
俺の振ったバットは空をきって、ものすごい音をたてた。
「ストライク!」
監督からのサインは変わらない。
二投目
カッキーーン
ものすごい音がして自分の手にも振動が伝わってくる感覚がした。歓声は聞こえないが、俺が集中しているからではない。
ボールはどこまで飛んでいくような気がしたが、すぐに落ちていった。
「アウト!」
レフトの選手はグローブに入ったボールを掲げながら満面の笑みを浮かべている。
俺のせいで試合に負けたのだ。
ベンチに戻った俺に声がかかることはなく、家に帰って風呂を浴びても何かを失ったような感覚は消えなかった。
とても悔しいはずなのに涙が流れないのは彼の言ったことが分かり始めてきたからなのだろうか。自分自身に問いかけても答えが返ってくることはなかったが、試合から数時間経ったはずの俺の手にはまだあの時の振動が残っている。
あれからどれくらい経ったのだろう。
あの時着ていたはずのユニフォームと背番号は、もうこの部屋にはない。あの日を境に俺の人生は変わってしまったのだろう。
後悔は何度もしたが、またあの時に戻りたいとは一度も思うことはなかった。
あの日以来高校に行くことをやめてしまった俺は自分の部屋にいる時間が圧倒的に長くなってしまい、食事すらも自分の部屋でとるようになった。自分の部屋を出るのは、トイレに行く時と、風呂に入る時くらいだ。
父と母も最初の頃は学校に行くように注意をしてきたが、俺が無視している間に手続きを済ませておいてくれた。
家にいなかった兄が帰ってきて説得をしてきたが、俺が部屋にあった物を投げつけると、大きな声で俺に罵声をあびせてから一度も会うことはなかった。
俺が目指していたのは一体なんだったんだろう。何故あれほどまでに努力していたのだろう。
いくら考えても何も思い浮かばなくて、考えるのをやめた。この生活をいつまで続ければいいのか分からないが、このままでいいと思った。
部屋の壁に掛けられた賞状を見る度に想うことがある。俺はきっと、誰かに褒めて欲しかったのだ。
野球を人一倍努力していたのも、クラスメイトを助けたのも、誰かに褒めて欲しくてしていた行動だったのだ。
毎日のようにこのことを思い浮かべまた涙を流す。
人の努力の源はなんなんだろう。
彼が頑張っていたのは何故なのだろう。
そんなことを考えて、瞳を閉じた。
真っ暗の部屋の中で一際輝きを放つ冷たい物体の柄を手で強く握りもう片方の手首に近づける。
「ありがとう」
力なく今にも消え入りそうなその声は、一人の部屋に響き渡った……
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