主人公
神山 しのぶ
第1話憧れ
主人公(しゅじんこう)誰もが一度は夢にみて、そして気付かされる。
自分は主人公なんかじゃないということに……
自分の一番古い記憶はなんだと聞かれた時、大抵の人は自分が失敗したことを思い浮かべるのではないだろうか。
すくなくとも俺は自分の失敗談が思い浮かぶ。
あれはおそらく五歳頃のことだと思う。
兄妹も従兄弟も、皆が外で遊んでいるなか、俺だけが中からそれを眺めている。
なぜか分からないが俺は怒っていて、母がそっと頭を撫でて部屋を出ると、大声を出しながら泣きわめいていた。
何かしら嫌なことがあり、拗ねてしまったのだろうが、この行動はとても子供で、今となっては恥ずかしい。
高校二年生になった今では、泣くことも少なくなったように感じるが、頭でこのようなことを考えている時点でまだまだ子供なのかもしれない。
通学路を歩いている時他の人達は何を考えているのだろうと考えるのは、きっと俺だけではないはずだ。
友達らしき人と話しながら歩く人、汗をかきながら自転車を漕ぐ人、校則違反だが、曲を聴きながら歩く人。
そんなふうに周りを見ると、俺と同じように一人で歩いている人も結構いて、またしても、さっきと同じことを考えてしまう。
一人で歩いているからといって、学校で話す人がいないと決めつけるのはよくないが、すくなくとも俺と同じように一緒に登校する人はいないのだろう。
そんなことを考えていると、気づいたら学校の近くまで歩いていて、考えながら歩くことによって時間がはやく進んだように感じてしまう現象に名を付けたい気持ちにすらなった。
こんなにも行きたくない学校にほぼ毎日同じ時間に着いて、同じ時間に帰るのを繰り返している自分が、まるで何か凄いことをしているような気にすらなって来てしまったのはそれほど学校が嫌だからなのか、それとも、ただのナルシストだからなのかは自分では分からない。
こんなにも自分のことを表彰したくなるのはいつぶりだっただろう。
小学生の頃は、持久走で五位以内に入ると賞状が授与されたが、よく考えるとそれ以来賞状を貰ったことがないと思う。
家に帰ったら自分に賞状を授与しようと思う。
校門をくぐると、生徒指導部の先生が立っている。
「おはよう。」
ほぼ毎日この先生はこの時間、このように生徒に挨拶をしている。
「おはようございます。」
俺だけではなく、他の人達も挨拶をしている。
校則違反をしていた生徒が、先生に注意されているのが見えた。
俺は注意されるのが嫌だからそういうことをしないのだが、彼奴は注意されたくてああいうことをしているのだろうか。
「マジであの先生ウゼェ。」
去り際に聴こえた声に一瞬にして怒りを覚えた。
教室に着き、HRが始まるまでの時間はスマホをイジって待つようにしている。
本を読むやつ、友達と話すやつ。
いろんなやつがいたが、特に気にすることなくゲームをプレイした。
「おっはー」
「優斗おはよう」
この人は毎日同じように教室に入ると大きな声で挨拶をする。
俺は別に仲がいいわけではないし、一方的に嫌ってすらいる。
野球部に所属しているらしいが話をしないため詳しいことは分からない。
成績はとても良いわけではないらしいが、クラスの委員をやっているだけあり、人望もあり、先生からの信頼もあるようだ。
同族嫌悪という言葉があるが、俺とこの人は全く似ていない。むしろ、全生徒が目標にするべき人なのではないだろうか。
俺はこの人が他人のことを悪く言った所を見たことも、聞いたこともない。人の悪口を言わないところは好感が持てる。
この人は兄に似ている気がする。
俺の兄は、俺よりも優秀で、この高校のOBなのだ。
兄は高校ではバスケ部に所属していて、生徒会長になることはなかったが、高一の時からずっとクラスの副委員長だったらしい。高三になってからはバスケ部の部長になり、体育祭では、副団長になったらしく、俺の先輩でも、兄のことを知らない人はほとんどいないため、これまでの高校生活では、目をつけられることはあったが決していじめられることはなかった。
俺はそんな兄を尊敬しているし、凄い人だ思っているが、目標にはしていない。正しくは、目標にできなかった。
この杉野優斗は、兄のことを知っていて一年生の時から話しかけて来ることがあったが、そこまでしつこくないため鬱陶しいと思うことはなかった。
杉野いわく、お互いの兄が同級生らしく、部活は違うもののお互いの友達も同じだったため仲良くなったらしい。
杉野は俺の知らない兄を知っていて俺はそんな杉野のことを嫌うようになっていったのだと、今考えてみて思った。
全ての授業が終わり、部活動の時間になった。
この学校には強制的に部活に所属しなくてはいけないという校則があるのだが、来週の月曜日からテストが始まるため、俺の所属するバスケ部は今日から休みになった。
今日は家に帰っても特にやることがないため、ゆっくり支度をしてクラスの誰よりも最後に教室を出た。
本来なら鍵を閉めなくてはいけないのだが、成績の低い奴との面談が部活の後にあるらしく、鍵は開けっ放しでいいらしい。
廊下に出ると、微かに金属バットで球を打つ音がきこえた。玄関に向かって歩いていくにつれてその音は大きくなり、さらに人の声まできこえてきた。
家に帰っても暇な俺はグラウンドで練習をしている野球部の様子をひとつ見に行こうと思った。
誰もが遠くに球を飛ばすなか、一際大きな音をたてて球を飛ばす人をみつける。
杉野優斗だ。
俺は彼の行動に心を奪われた。
誰よりもできるであろう男が誰よりも必死になって球を追いかけているのだ。よく聴いてみると、誰よりも声を出しているのも彼らしく、周りに集まった人達も彼を目で追っているのが、少し離れた位置にいる俺でも分かった。
気づいた時には俺はもう校門の外に出ていた。
家には十分ほどすれば着くのにものすごい速さで走っていたのだ。
俺は必死だった。全力で走りながら頭の中では彼のことを考えていた。
俺は同性愛者ではないし、むしろ彼のことを嫌っていたはずだったのに、今では彼に対して、兄に思っていることと同じようなことを思っている。
「憧れ」
息を切らしながら走っている自分の口からそんな言葉が漏れてしまった。
夢中で走っていたはずなのに家には一向にたどり着かない。もう十分以上たっていると思っていたのに、学校を出てからまだ三分程しかたっていないということを、左腕につけた腕時計が教えてくれた。
それからもしばらく走り、やっとの想いで家に着くと、制服を脱ぎ捨てすぐに着替え、家の近くのバスケットゴールのある公園に向かって、ボールを手で持ちながら走って行った。
公園に着くと無我夢中でボールをついていたためか、気づいた時には辺りは暗くなりはじめ、時計は午後六時過ぎを指している。
行きとは違い、ゆっくりと歩きながら家に帰って行く俺を街灯や、車のライトが照らしてくれた。
まるで自分が讃えられているかのように感じた。
それからのことはあまり記憶になくて、気づいた時にはベッドの上で天井を見ながら物思いにふけていた。
今想うと俺は、ずっと誰かの真似をしていただけだったような気がする。
小学生の頃は、兄が所属していたクラブに一緒に自分も入ることにした。
もともと運動が得意ではなかった俺は、野球の時はいつもベンチにいてもろくに声を出していなかった。
小学生の高学年になると、いつの日からか急に体が動くようになり、徐々に他の人からも認められ、試合にも出るようになっていった。
クラブでは野球だけではなく、マラソンやサッカーなど様々なスポーツをする事になっていたのだが、どの競技でも俺の運動能力は目立つようになっていった。
中学生になると、兄の所属していたバスケ部に入部することにした。
はじめの頃は、兄の後輩にあたる人達からもとてもかわいがられ、自分の運動能力も認めてもらい、ベンチには入ることはできなかったが、一年生にしては上手い方で、練習にも休まず精一杯努力していた。
二年生になれば、体も成長して、ベンチに入って試合にも出れると思っていた俺の考えは甘かった。
一年生の時には目立たなかった身長の差は、時間が経つにつれて目立つようになり、周りとの差は、十センチ以上にもなっていた。
それでも俺は諦めなかった。背が低くたって足の速さや、持久力では、周りには負けないという自信があった。だが、それすらも勝てなかった。
自分の得意分野で敗北することになった俺は才能がないと言われるようになった。
それからは部活の練習も休みがちになり、勉強にも手が回らなくなっていき、三年生の最後の試合ではベンチにすら座ることができなかった。
試合の後、俺は泣いた。泣いたからといってどうにかなるようなことはないと知っていながら、涙を止めることができなかった。
きっと後悔していたのだ。今までの自分の行動に。
そして俺は、諦めてしまった。目指していた何かがあったはずなのに……
夜が明けて、カーテンの閉まっていない窓からは、日の光がさしている。
なんと清々しい朝の目覚めなのだと思うと同時に、もう一度後悔した。後悔したが、涙が頬をつたう感覚はなかった。
自分は何故努力してこなかったのだと思った……
ここからやり直せると思った……
まだまだこれからだと思った……
あの人達のようになりたいと思った……
勉強も運動も頑張る兄、校門のそばに立って挨拶をする先生、人一倍努力することをやめなかった彼、諦めることをしなかった過去の自分。
週末は自分が思っていたよりもすぐに終わってしまった。午前中は自分の机で勉強をし、午後はバスケをしに行くのを二日間繰り返した。
月曜日の朝にはまるで生まれかわった様な気分だった。
校門付近で挨拶をする先生に大きな声で挨拶を返した。
今日彼が教室に来たら自分から話しかけようと思う。たくさん話して彼のことを知ろうと思った。
だが、彼が教室に来ることはなかった……
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