裸の英雄
「悪い、遅くなった。だがもう大丈夫だ」
英雄の登場はその場の者達に驚きを与えたが、絶望を拭い去るほどではなかった。
「大丈夫って、事態をわかってるのか!」
「イノシシとは違うんだ。いくらお前でもどうすることもできないよ」
村の者達は口々に叫ぶが、当の英雄は余裕の態度を崩さない。息子の様子に何かを悟った長老は静かに口を開く。
「…お前、本当は何をしに村の外へ行っていたんだ?」
外の世界を知り、考え方を学びたい。彼はそう言っていたはずだ。だがこの非常事態において未だ余裕を湛える彼の表情からは、それ以上の何かが感じ取れた。
「察しがいいな、長老≪オヤジ≫。だが今はその話をするときじゃない。飛んでくる“花火”をどうにかしなくちゃいけないんだろう?」
帰ってきた英雄と、何かを察した長老の言葉。
村の者達の心に僅かな希望が宿った。それは希望と呼ぶにはあまりに投げ遣りで、もっと乱暴なものだった。故郷を捨てて延命するくらいならバカな祭りに身を投じて派手に焼けてしまえ。そんな意地と諦めの入り混じった、土臭く浅慮な感情であった。しかしそれを支えるのは確かに、これまで幾度となく村を守ってきた裸の英雄と、村を導いてきた長老への信頼であった。
英雄の「策」に応じるため、彼らは村を駆け回り、ありったけの鏡を集めた。手鏡から姿見、鍋やガラスに至るまで、鏡として使えるものはすべて集めた。何の役に立つのかは分からないが、言われるがままに鏡を集めた。
英雄は村の高台に鏡を集め、同心円状に並べた。縁の外周に向かうほどに高い位置に配置された鏡の集合体は、少し離れて見れば深い皿のような形をしていた。地面の傾斜によって少し傾いた鏡の皿はその中心に立つ英雄の裸身をそれぞれの鏡が映し出し、合わせ鏡の中に無数の裸の男が現れた。長い時間をかけて鏡の位置や角度を調節していた英雄は、夜も明ける頃に大きく頷き、声を上げた。
「準備は完了だ」
正午前。村の一同は固唾をのんで空を見上げていた。もはや覚悟を決めたとはいえ、やはり迫りくる絶望を前に平静ではいられない。今からでも逃げ出してしまいたい衝動を、一人ミサイルを迎え撃つ英雄を見捨てるわけにはいかないという義心で制し、恐怖に抗いながら刻を待った。そして。
「…来た」
誰かが静かに呟いた。遥か遠方に見えた、幾つかの細い筋と小さな点。それは瞬く間に大きくなって、数秒の内には群れ成して飛来する破壊兵器が姿をあらわにした。空中で細かく軌道を変えながら、しかしすさまじい速度で村へと向かっている。ミサイル一発あたりの破壊力など正確に知る者はこの場に居ないが、あれだけの物量が降りれば小さな村など焦土と化すことは誰の目にも明らかだった。人々が心の中で抑えていた絶望がむくむくと膨れ上がり、遂には心を塗りそうとした、その時。
空に稲妻が走った。違う、稲妻ではない。音を伴わない超高速の明滅。英雄の座す高台が激しく色を変えていたのだ。さらに周囲の鏡が英雄の姿を映し出し、視覚刺激の暴力は飛来する怪物を照らした。
「これは…あのときの」
いつか
「…は?」
驚いたのは村人ばかりではなかった。遠方で実験の様子を観測していた者達も、ミサイルの急激な方向転換に虚を突かれた。彼らの上官が怒声を上げる。
「おい!どうなっているんだ!説明しろ」
「…わかりません!まるで制御系統を乗っ取られたかのよ―――」
言い終わらぬ間に、発射基地は焦土と化した。
遠方で空を照らす光と、数秒遅れて轟く轟音。「…花火だ」と誰かが呟いた。
村もまた混乱に満ちていた。目の前で起こっていることがあまりに現実離れしていて、誰一人として事態を呑み込むことができないでいた。
そこに裸の男が歩いてくる。姿を溶け込ませることはなく、威風堂々と。
「おや、てっきり拍手喝采で迎えてくれるものだと思ったが…まあいい、皆が無事で良かった」
英雄は大きく笑みを見せる。その表情は言葉に嘘がないことを雄弁に語っていた。村人の一人がようやく声を絞り出す。
「俺たち、助かったのか…」
「ああ、完璧にな」
「一体、何をした…何が起こったんだ?」
「んん、確かに説明が要るな。少し長くなるんだが…」
英雄の話はこうだった。
身を隠しつつ外の世界を観察していた彼はそのうち、故郷の村が新兵器の実験場にされる計画が動いていることを知る。驚いた彼は村に戻ることも考えたが、そうしたところで出来ることは無い。そこで計画を潰すため、軍部に潜入することに決めた。能力を駆使して施設内を探索し、兵器に関するデータやその発射位置、時刻、責任者などあらゆる情報を集めた。
「一応、ミサイル発射そのものを失敗させるような仕掛けも施してきたんだがな」
それらは予想した通り、直前の点検で取り除かれてしまったようだ。どうやらミサイルの発射は防げないと悟った彼は、次の策を打つことにした。
「調べていて分かったんだが、あのミサイルは頭の方にカメラが付いててな。正確に標的に当てるため映像を制御にフィードバックさせ…まあ平たく言えば向かう先を自分で変える仕組みなんだ」
話の内容はあまり意味が分から狩った村人たちだが、飛翔体が細かく軌道を修正したことは記憶に残っていた。
「そこで、だ。その信号を乗っ取ってやった。“ここは狙うべき場所じゃない”ってな」
英雄はミサイルに対して偽の信号を放った。それは単に場所を誤認させるものではない。超高速の明滅で繰り返されるそれは、まるでプログラムの一部であるかのようにミサイルの
「目が良すぎるのも考えものだ、見ないほうが良いものまで見せられちまうからな」
カラカラと笑いながら見ないほうが良いものを揺らす全裸の英雄に、突っ込める者はその場に居なかった。
ネイキッドヒーロー 御調 @triarbor
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