ご存知のとおり人として私は
大鳥居平凡
本編
なんでもセンター試験を受けに出かけるところだった。
センター試験というのは、説明すると長くなる。私のいるところでは現在、他者の知識や思考能力のようなものをはぐくむ教育という行いは、若い者を主な対象として、学校と呼ばれる専用の機関で行われている。学校にもいくつかの区分があり、高校という区分に分類される学校に被教育者として所属する私はそこで学ぶべき内容をまもなく修め
私たちは集団で生活していた。私は生き物である。単一で同質な、私がその範囲との差異や抵抗によっていわゆる世界を感知しやりとりする、すなわち生きる、基盤となる範囲が私にとっての私であり個とも呼ばれる。とりわけ物質的側面からとりあげるならこれを体と呼び、知識や思考能力といった側面からとりあげるならばこれを意識と呼ぶ。私たちは生きるのだが、それは絶えず抵抗を感じつづけるということなので、生きるのはしばしば疲れる。私たちは私でないものの抵抗から生じる負担を軽減するために、互いに挙動を予想可能に、しかもできるなら相手が生きるうえでの利益となるようにし、そうした私たちが寄りあつまってともに生きることで私は生きやすくなったという。はじまった集団生活は発展して制度と分業が積み重なっていき、集団生活を支える制度の維持・発展自体を専門的に担いそのために私たちに指図する役割が、集団のなかに生じた。これが公権力で、国というのもこの公権力の一形態またはその形態の公権力が機能する集団範囲のことである。
つまりこの、国、のうちで統一的に実施されるようになった試験がセンター試験なのだった。各大学はこの試験単体で、もしくはこの試験を各大学が独自に行う試験と組み合わせて、入学資格の有無を判断するようになった。私が入学したい大学は国が設立したので、独自試験もあったけれどやはりセンター試験を受ける必要があった。独自試験はまた後日行われることになっており、私にとってセンター試験が大学入学資格取得へむけての二段階の最初のほうということになる。
センター試験は毎年冬に二日を費やして行われる。冬は光の少ない期間だ。光をもたらすのは太陽だった。私たちは地表に接して地表の上を動き回る。上は地表からみて私たちのいる方向のことで、地表から離れたずっと上は空と呼ばれる。太陽は空にあって地上に光をもたらす。私たちは光を明るさと温かさとして感受する。もっとも太陽は常にあるわけではなく、空を移動してついには空から消えてしまうことを繰り返す。太陽が空にある間を昼といい、消えている間を夜という。昼の一部、夜から昼になってしばらくの間はとくに朝と称する。昼夜をあわせて一日とし、それが二つで二日である。一日はくりかえすうちに昼夜の長さを変えていくが、全体の長さはほとんど同じで一方が長くなれば他方が短くなる。この昼夜の長短は一定周期で元に戻り、この周期を一年と呼ぶ。一年のうちで昼が短く、したがって寒い期間を冬といい、センター試験はなぜだか冬に行われる。
さてセンター試験一日目の朝、私は家で朝食をとっていた。家は私が生きるうえで必要な栄養やら周囲の変化をやわらげるさまざまなしかけやらを置いて、体をやしなう場所である。私は生き物で、生きる場合にはときどき食事という形で体外から栄養をとらなければならない。私は朝、昼、夜と一日に三度食事をとることにしていた。この日は昼の大半は試験の行われる場所にいることになる都合上、昼食をとるとすれば試験の合間に食べることになる。このあと昼食を用意する余裕はないだろうから、朝食の際に食事を余分に用意しておいて余ったものを試験会場に昼食として持参するつもりだった。
私とはそんなに似ていないがコメもやはり生き物の一種だ。このコメから産出される米が私の朝食と昼食の一部をなしている。生き物が外部から栄養をとらなければならないのは生きるために体内の栄養を使いつぶしていくからだが、長く生きていると、変化する外からの抵抗が積みかさなったり栄養が使いにくくなったりして、生きるのが面倒になってくる。それで生き物は死ぬのだが、可能なら死ぬ前に自分と同類の生き物を産出する。この新しい生き物は若いので、元の生き物よりも楽に生きることができる。コメの場合は、成長するとコメになるものをその成長に必要な栄養と一緒に産出し、この被産出物が全体として米と呼ばれる。米には多くの栄養が含まれるから、私たちには米を食べることで栄養をとる風習がある。私たちに食べられ同化されてしまうと米はコメになる機会を失う。
米は固くて体内にとりこみづらいのだが、水とともに加熱して柔らかくすることができる。私の家にはこの調理のための自動器具がある。自動器具を使って調理した米を朝食の一部としてとったあとで、わたしは残った米を手を使ってまとめはじめる。手というのは体の一部だ。かなり自由に動かして外部に作用することができる。私は二つもっている。
調理され柔らかくなった米は粘り気をもち、軽く押しつけると互いにくっつく。この粘り気を利用して米のかたまりをつくると、米をまとめて持ち運んだり、食事を体内にとりこむ経路である口まで米を運ぶ器具なしでも手だけで口に持っていき食べたりすることができるので、便利だ。このまとまった状態の米は握り飯と呼ばれる。手に持つのにまあちょうどよい大きさの握り飯を三つ作り、海藻でつつんでから持ち運び用の横長の容器のなかに並べる。海藻は海にすむコメに似た生き物で、ただしここで用いたのは海藻の死体だ。コメや海藻は同じ生き物といっても私たちとはかなり違っていて、たとえば基本的に自分からは動かない。ともあれ私たちは海藻も栄養としてとりこむことができる。海というのは地表をおおう広い水で、この海から顔を出している地表が陸ということになる。私たち人は陸にすんでいる。
握り飯を容器に詰めているところで、猫が話しかけてきた。
「全体どうしたの今日は。朝からずいぶん勤勉だね」
私たちが集団生活をするうえで互いとのやりとりが必要であり、その手段のひとつが言語とされる。ここでは言語は音声のかたちをとっており、地上にみちている空気をゆらしそのゆれ方によって猫と私は複雑な意味内容をやりとりする。猫も生き物で、コメよりはだいぶ私たちに近い。コメと海藻が似ている程度には人と猫は似ているのではないかと思う。ただし、猫は人よりだいぶ小さい。
猫は言いおえると同時に木の死体をもとにした器具からとびおり、私に近よってきた。それに目をやりながら猫に返答する。目は明るさを感受する体の一部で、私は猫のいる方向の明暗その他を感受することで猫の現状をより詳しく把握しようとした、ということである。
「今日明日は試験があるから出かけるよ。それで弁当をつくってた。」弁当は容器にいれて持ち運ばれる食事のことだ。
「ああ、これはしゃけじゃないか。ひどいねえ。自分はしゃけを食べるのに、こっちの昼食は用意もせず勝手にしろってかい。」私が握り飯に混ぜ込んでいたしゃけの死体の痕跡を嗅ぎつけて、猫は慨嘆してみせる。しゃけは生き物で、これも私たちは食べる。
「食べたことないでしょう。ないよね? このしゃけ、味が濃いから猫は食べない方がいいと聞くよ」
「しかし、試験ね。ふむ。そういえばたしかに、君から聞いていた気もするな。言語がどうにもわからないとぼやいていたか。英語とか。漢文。数学」
「自分が試験を受けるわけでもないのによく覚えているね」
「Actually, I can四't understand三 those二-languages either一, so greatly sympathizeレ with二 your embarrassment一! That三's why二 I can一レ remember.」
思わず眉間に皺がよる。
言語の具体的な現れかたはさまざま存在する。人同士でさえ用いる言語が異なり互いに通用しないことも多い。幸い言語は習得できるとされるから、多くの言語を身につけることが望ましい。
センター試験でもいくつかの言語の運用能力が問われ、その例が英語や漢文ということになる。漢文は話されることのない言語である。言語のありかたは音声が基本だが、この特定の空気のゆれ方に特定のしるしを対応させることで、空気のゆれが消えたのちもどんな音声だったかを保存することができる。そのしるしを記された物ごと、空気のゆれの届かないような遠くに運ぶことだってできる。このしるしは文字と呼ばれる。こうして文字ができると、初めから音声を発さないで文字を記して音声の代わりにするという用法も現れる。
漢文は漢語という言語を漢字という文字で記したものであるが、漢字は特定の音声だけでなく、その音声が有する特定の意味にも対応している、という特徴をもっていた。音声を細かく分析して少数の構成要素に還元することをせず、意味を有する程度に大きな音声の組をそのままひとつの文字に対応させたのである。この漢文が遠くまで、漢語を用いていない地域まで運ばれたとき、その地域の人々は漢文を奇妙な形で受けとるようになる。すなわち、漢語の音声を介さないで文字と意味を対応させるように、そして文字に音声を対応させる必要があるときもできるだけ漢語ではなく、当該地域でつかいなれた言語においてその意味内容に対応する音声を対応させるようになったのだ。私のいるところがこの地域に当たり、漢文は漢語と切り離されてこの地の言語音声に対応させられた、すなわちよまれた。
漢文をこの地の言語でよむには漢文本来の文字の並びとは異なる順序でよむ必要がある。その順序を示す符号を返り点という。猫の
「ご冗談を」
なにしろ話しているのだ。順序を大幅に組みかえるようでは話すことはできない。返り点とは純粋に表記上の問題で、発話などできない。
「まあねえ。」猫は笑う。「でも駄目らしいのは本当さ。英語だって並びこそ漢語よりかは身についたつもりだけれど、意味は実際よく分からない。どうも結局、分解して、使いなれた言語に対応させないと呑みこめない。それでいて、その使いなれた言語とやらが元とは変わっているのも明らかだ。入りこんだ漢語や英語とからみあって、それとも単に時とともに変化したせいで。つまりそういうことだよね。言語がどうにもわからない。いつも使えているか、他人様に通じているか不安で、それでも少しでも通じるように話そうという努力が、変に行き過ぎていて変に中途半端で、すべてをいっそうわかりにくくしているらしい。……違うかな」
猫自身の話だったはずが、いつのまにか私に投げかける。見透かしたような物言いだと思うが、猫は別段得意気に目を光らせているわけでもない。
私は調理器具のたぐいの後始末を終え、弁当容器をひっつかむ。植物栄養の浸みだした水を入れた別の容器も手でもって、家の出口近くにそなえたさらに大きな容器にいれようと移動をはじめる。猫が私をからかうために、つまり反応を誘発することだけを目的にいたずらに、先程の台詞を投げかけたわけではないのなら、なおさら、今この場で浅い応答を返す必要もないだろう。私はものごとを理解するのに時間がかかる。私にとって大事な台詞だというなら、きっとしばらく意識のうちにおいて、ふと取り出しては咀嚼してみるのがよい。数日、あるいは何年かたって、猫の思惑からもそれたかたちで、私の思考の手綱となるかもしれない。
それで私は、言葉を受けとったまま返答はせず、出口にたつと猫に別の言葉を投げかける。
「それじゃあ行ってくるから。昼食、適当に食べなね。寒さに気をつけて。」私たち人や猫のような生き物が生きていくためには一定の温かさが望ましく、寒すぎると体が生きるための機能を保つのに困難が生じてくる。
「ん。」猫はふたたび笑ってみせた。猫はやさしいのだ。「君のほうこそ、毛がないんだから気をつけないといけないよ。……それじゃあ、
口から吐く息が白く見える。人が生きるためには体内の空気を出して体外の空気と交換する呼吸という行いが必要で、その一環として私はしょっちゅう口から体内の空気である息を吐く。息は体外の空気にくらべて水を多分に含んでおり、寒い日には体外に出たことでその水の状態が若干変化する。結果、私の目に息は白く見えるようになる。
センター試験の行われるところへ、私は電車をつかって移動するつもりだった。電車というのは人を決まった場所へ運ぶための容器で、一旦電車に私が入れば、あとは私が努力しなくとも容器のほうが動いて、私ごと目的地へ運んでくれる。電車に入るための場所は決まっているから、家を出た私は駅と呼ばれるその場所へ向かっていたのだが、途上で声をかけられた。
「あれ、緒方?」
声のほうへふりむくと、手をひとつ目の高さまであげて、人が近づいてくる。同じ高校の、同じクラスに属する人だ。高校所属者は学年、学年はさらにクラスという小集団に分かれ、同じクラスの者同士は高校にいる時間のそれなりを一緒に過ごす。当然、互いに面識も一応あることになる。同じ学年の人の大半は今日センター試験を受けることになっていて、試験を受けるところも同じ人が多いはずだから、この人も私と同じところに向かうのだろう。
「俺だよ俺、橋元。緒方と家近かったのか、知らなかった」
「私も知らなかった。橋元さんはたしか野球部だっけ、それで登校時間が合わなかったのかな」
あーそれなー、と軽快に応じてから、「てかさ、今日近くのやつと集まってみんなで行こうってことになってんだけど、緒方も来る?」
わざわざ来るかとたずねるのは、単に親しい者同士が自然発生的に集うことになったわけではなく、本当に〈家が近くの人がみんな集まっていっしょに試験会場へ行く〉イベントとして意識されているから、だろうか。この人と親しい人が二、三集まっているだけなら、私の参加意思を形式的にせよ問う必要はない。ちょうど今、声をかけてから特段の承諾も得ず私と連れだって話しているように、有無をいわさず私を合流させればよい。流れで同じ高校の人といっしょにされることに、逆らう人はあまりいない。イベントだから、参加意思を確認している。
「へえ。何人くらいいるの」
「えーっと、十二人とかかな。須藤にリョーヤに立川、ひなた、」同じ高校の所属者に、この近くに家のある人がそんなにいるとは知らなかった。そして、それだけ集められているのにイベントの存在に気づきもしなかった私に、多少の不安をおぼえる。私はどうも、ものを知る経路が限られている気がする。「……あと
「そういやもしかして知らないかな? 立川と加賀さ、つきあいだしたのよ」
「ほお」
人は、猫もそうだが、コメはどうだったろう、ともかくある種の生き物は、自分だけでは自分と同類の生き物をあらたに産出することができない。同類の別個体との協力が必要で、この協力を行う二個体をつがいと呼ぶ。人の場合、意識や集団生活の発達のなかでつがいのもつ役割が複雑になっており、国が二個体をつがいとして認める制度があったり、必ずしも新個体産出と関係なかったりする。ここで〈つきあう〉というのは、国の承認は求めていないがつがいとなっている状態のことだ。
「いやーこの受験の忙しいときにさ、笑うわ。まああいつら志望校いっしょだしよくくっついて勉強してたのよ、んでクリスマスに立川から電話で『彼女できた』っつって」
「いいねえ、しあわせそうな話だ。」
「ツイッターでもじゃれあってもうすっかりバカップルよ。緒方はツイッターやってんだっけ」
「あー、やってないな。
「なんだあおまえ。緒方頭いいんじゃねえの?」
「あはは、あんまり喋らない人はみんな頭いいと思ってない?」
「んなことねーよ」
人と私が移動していく周囲を、また別の人々がさまざまに移動し、そのなかの幾人かがちらほらと言葉を発するのも断片的に聞きとれる。私ではないだれかに向けられた言葉。「しわけございません朝早く、橘です」「さーみいなあ」「わいー! かわいーよそのキーホルダ」「の串カツ・ポスト、ほんとおもしろかっ」「じゃ第4問、ピューリタン革命で処刑された英国王は」「さからテンション高いねーあんた」「さいジュースないと駄目だからさ」「じゃがんばってねー」「めふんのかなあこれ」「キャサリンじゃないの」
人々の流れの向きがかわる端で、地表からコメに似たコメよりずっと大きな生き物である木が伸びている。その手前には別の木の死体をもとにした器具がそなえつけられている。生きている木の体のむこうに見える空には一面水が浮かんで、息が白くなるのと同じ原理で白と灰色にわずかな青をおりまぜながら、空気の流れに漂っている。
「……と、そういえば、みんなと会うのは遠慮しようかな」
「ん? お、そーか?」
「今日ちょっと調子悪いみたいだから、自分のペースで行くよ。このベンチで少し休んでく。」私は木の死体を示す。
もっとも実のところ、特段体の調子が悪いわけでもない。体の調子がよかったところで、試験が行われる場所に着くまでの時間、そこまでよく知らない十二もの人とやりとりするのはそれなりに骨が折れる。まして今日は試験を受けるのだから、やりとりは遠慮して、少し休みたかった。
「そ。大丈夫か?」
「うん、残念だけど。でも橋元さんと話せてよかったよ、少し気が楽になった。立川さんと加賀さんにもよろしくお伝えしといて。他のみんなにも」
「おう」
うなずいた人の体をおおう黒いものを背景に、そのとき何か白いものがちらついた気がして、私は目をこらすけれど、私がその正体を見分けるよりはやく、人が「あ、雪」という。その声とともに吐かれた息に触れたことで、つづいて落ちてきていた白いものがあっさりと溶けて見えなくなってしまうような、小さく淡い、でも確かにこれは、雪だ。白く、淡く、輝いている。
水は状態によって、人の目には見えなくなり上のほうへのぼったり、白くなって反対に下へおちたりする。吐いた息が白くなるのは後者の状態だ。地表にあった水が前者の状態になると空へのぼり、しばらくのぼると後者の状態に移行する。それでも空には空気の下からの強力な流れが存在するので、その抵抗によってしばらくは浮いているのだが、点在して浮いていた水同士が集まりバランスが崩れると、ふたたび地上におちてくる。このとき地上が寒いと、水はとくに雪と呼ばれる状態になっておちてくる。雪は水のなかでもちょっとつくりが特殊になっていて、外からやってきた光を取りこみふたたび送りかえし、結果白く輝く。それはおそらく数日、それとも数年の昔、地表から空へその水がのぼりだした頃の、誰の思惑からもそれたかたちで。
「じゃ、俺は行くけど、気をつけてな。」人がふたたび手をひとつ、目の高さまであげる。
「はい。お互いがんばりましょう。」私は人に笑ってみせる。
人が去って、他のたくさんの人と区別がつかなくなる。
私はそっと、木の死体に体を預けた。雪がちらほらと落ちてくるのを眺める。今ここに雪が降っている。ほかにも雪の降る場所がいくつもある。ずっと多くの雪が降り地上に残るところでは、地上の移動に難渋する人も出る。私と同じ試験を受けるなかには、今そうなって雪を恨んでいる人もいるのだろうか。明日は我が身、という気もする。それでも私はどこか楽しい気分で、今しばらく雪を見つめつづける。
ご存知のとおり人として私は 大鳥居平凡 @Alto_Lazy
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