エイレイテュイアの森の先

綾乃雪乃

エイレイテュイアの森の先

ふとまぶたを開くと、眼前には森が広がっていた。



空は晴天。木々の間から見える真っ青な一面に、白い雲がぽつぽつと彩りを加えている。

足元には雑草がスニーカーの隙間から生えていて、視界を左右に動かしてみれば太い幹を持つ木々が所狭しと立っていた。

無数の葉によって真上から降り注ぐ光を遮られたこの森は、昼間だというのに薄暗かった。


遠くを見る。

向こうに点々と光の塊が見える。

どうやら開けたところがあるようだ。



この光を辿っていけば、迷わず進めるだろう。


僕は数歩踏み出して、立ち止まった。




「どうして、進まないといけないと思ったんだろう…?」


「それは、あなたが進まないといけないからよ」




ただの独り言だったそれは、知らない声によって会話となった。


あたりを見回す。

とても近いところから声がしたようだけれど、どこからだろう。



「私の名前は、ユノ」



名前が聞こえる。だが何度首を振っても植物しか見当たらない。



「あなたの名前は?……といっても、そうね、あなたの名前はまだなかったわ」

「僕の名前はあるよ、えっと…………あれ?」



確かにあったはずの名前。

僕の名前が思い出せない。何だったっけ?


頭に手を当てて考えれば考えるほど、記憶が遠ざかっていくような感覚がした。




ガサリ


草木が揺れる音がする。

頭を抱えたまま身構えていると、1羽の鳥が現れた。



小さい頭にはダーツのような飾り羽が数本あり、太くなっていく長い首は青から緑へ鮮やかに移り変わっている。

ぽってりと膨らんだ胴体から生える細い足。

地面をゆっくりと踏みしめて歩いてきたのは、1mを超えた大きな鳥だった。


切れ長の瞳がじっとこちらを見つめてくる。

僕はその姿に目を離せないでいた。



「君が声の主?」

「ええ、そうよ」



大きな鳥は胴体に仕舞う羽をごそごそと動かして、もう一歩こちらへ歩み寄る。

自分の名前はわからないけれど、僕はその姿をはっきり覚えていた。

口を開いてその名前を呼ぶ。



「孔雀のメスだね」

「ええ、そうよ、よくわかったわね」



孔雀は立派な青い胴体と豪奢な羽根が特徴だが、それはオスのみ。

メスは種類によるが首の色以外はすべて茶色の地味な見た目だった。

よく覚えている。



「さあ、行きましょう」

「行くって、どこへ?」

「どこって、あの先よ」



孔雀は当たり前のようにくちばしで道を指し示す。

それは森の入り口ではなく、遠くに見える点々とした木漏れ日の方だった。



「一緒に行きましょう。怖いなら、森の出口まで一緒に行ってあげるわ」



そうして僕は、森を抜けるまで不思議な孔雀と共にすることになった。






最初の木漏れ日は、直径10メートルくらいの開けた場所だった。

綺麗な断面の切り株がたくさんあるところを見るに、誰かによって伐採されてできた空間のようだ。



「ねえ、見て」



孔雀は一点を見て僕に話しかけた。



そこには、リスが数匹いた。

小さいリスが3匹、大きいリスが2匹。



「小さいリスは子供かしら、楽しそうにはしゃいでいるわ」

「本当だ。リスの子供は小さくてかわいいな」



絡み合って転げ回ったり、他のリスにおぶさってみたり。

しばらくすると、小さいリスは突然同じ方向に走り出した。



「何だ?」

「あら、お食事の時間ね」



子リスたちの向かう先は、切り株の上にいる大きなリスたちのところだった。

小さな山となって盛られているのは、どんぐりを始めとしたきのみたち。

夢中で口いっぱいに詰め込む子リスたちを、大人のリスたちはゆっくりと食べながら見守っていた。



「さ、次の木漏れ日にいきましょう」

「そうだね、邪魔するわけにもいかないし」



刺激しないように、僕は孔雀とゆっくりとしたスピードでその場を後にした。








次の木漏れ日も同じくらいの広さだった。

だけれど、切り株や木が抜かれた形跡はなく、代わりに小さな家があった。


木の表面を加工せず、そのまま組み立てたようなログハウス。


ガタガタと音がしたと思ったら、扉を開けて何かが飛び出してきた。



「ゴールデンレトリバー?」



金色の長い毛並みと丸い瞳。

大きな身体で人懐っこく、優しい性格だと言われる種類の犬が、2頭飛び出してきた。

柔らかい雑草の上に降りるなり、楽しそうに走り回る。


ログハウスの扉のところには、少し歳のとった犬が座ったまま彼らを眺めていた。



「次はワンちゃんね、かわいらしくて、元気いっぱいね」

「そうだね、リスの次は犬か。なぜだろう」

「さあ、なぜかしらね」



孔雀はゆっくりした足取りで歩いていく。

僕はもう少し眺めていたかったけど、孔雀と離れ離れになるわけにはいかない。


いっしょにいかなくちゃ。


小走りでその後を追った。








次の日溜まりは森とは思えないけたたましい音が鳴り響いていた。

わんわん、にゃあにゃあ、ちゅんちゅん、に混じって獣の唸り声。


それもそのはず、

多種多様な動物が所狭しと走り回っていた。



「うわ、なんだこれ」



日溜まりは広大だった。

もはや都市開発か何かで大規模に切り開かれた大地に見える。


こんなところ、どうやってとおりぬければいいんだろう。


孔雀の方を見ても表情はわからない。

でもこちらを向いた顔は笑いかけているような気がした。



「みて、あそこ。あの真ん中に立っている子」

「どれ?」

「あれよ、あれ、服を着て立っているおサルさん」



孔雀の言葉に目を凝らして探してみると、サルがいた。

ツナギのような服を着て、ダンボールのような箱の上で2足で立っている。


両手をしきりにふっているようだけれど、なにをしているんだろう。



「よく見てごらんなさい。あのおサルさんの手にあわせて他の動物が歩いているように見えない?」

「…ほんとうだ」



サルが両手をつき出すとトラが止まった。

その手を上にあげると、飛んでいたワシが木の枝に止まり、トラがアヒルの親子と共に歩きだす。



「わあ、すごいね」

「そうね…わたしたちも行きましょうか」

「行くって、どこへ?」

「あの先にもひだまりがあるみたいよ」

「そっか、じゃあ、いこう」



動物たちの間を全速力で走って抜けて、ぼくらは歩みを進めた。










次の日溜まりは暗かった。

葉が太陽のひかりをさえぎって、1頭の動物に降りそそぐ。


そこには横たわるゾウがいた。

深いシワと年季の入った黄色いキバ、どうやらかなりおじいちゃんのゾウみたいだ。



グググ、と周りにいたゾウの一頭が、音をならしてから鼻で倒れたゾウをつつく。

ほかのゾウも続くけれど、横たわるゾウは足や鼻を動かすだけで立ちあがれない。



「どうして立ち上がれないの?」

「さあ、きっともう力が残っていないのね」

「ゾウはどうなっちゃうの?」



孔雀はぼくの服を、慰めるようにクチバシでつついた。



「誰しも終わりはあるもの。あのゾウはいま、そのときが来ただけよ」

「そっか」

「じゃあ、次のひだまりにいきましょうか」

「うん」



孔雀の背中に手をおいて、撫でる。

そのまま孔雀が歩き出したので、ぼくはその背に手をおいたまま、ゾウを置いて歩みを進めた。



再び暗い小道に入れば、遠くでゾウの鳴く声が聞こえた。








最後のひだまりの前で、ぼくらは立ち止まった。

あかるい。

まるでトンネルをぬけだす瞬間のまぶしさだ。


光の向こうがわからないくらいにあかるくて、ぼくは目を手で覆った。



「ここが森の出口よ」

「そっか、もうついたんだね」

「ここから先は、あなたひとりで行きなさい」


「ぼく、ひとり?」



顔をむけると、孔雀はぼくの目をみて言った。



「森の出口まで一緒に行ってあげるって言ったでしょう?

 ここがその出口、ここから先はあなただけの道よ」

「…くじゃくは、もう一緒に来てくれないの?」

「ええ、わたしはここまで」

「…………」



ぼくはもう一度くじゃくの背中をなでた。

つるつる、すべすべを忘れないように、なんども。



「この先は、きっとリスもサルもいるでしょう。ゾウに出会う日だっていつかくるわ。

 でも大丈夫、何も心配することはないの」



ゆうきをだして。

くじゃくはぼくの背中を強くつついた。


押されて一歩、前にふみだす。


振り返ると、くじゃくはただ、だまってこちらをみていた。



「いってらっしゃい」

「うん」



もういちどみためのまえのヒカリは、なぜだろう、もうまぶしくない。

すぐにでもとびこみたいくらいのあたたかいせかいになって、ぼくをまっているようなきがした。




いきおいよく、はしる。



ヒカリのむこうへ、ぼくはてをのばした。










無機質な部屋に、大きな大きな産声うぶごえがこだました。

同時に響くのは、大人たちの歓声、喜びの声。


シワだらけの顔を一生懸命歪ませて、その子は生を叫ぶ。


汗だくで涙をこぼす母親に、どこからともなく祝福の声が降り注いだ。




「元気な男の子ですよ。ご誕生、おめでとうございます!!」






孔雀を撫でながら、上がる口角。


どうかあなたの人生が、良きものとなるよう、お祈りましょうね。




-------------------------------------エイレイテュイアの森の先 Fin




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