欲望レストラン

@SO3H

欲望レストラン

 ここは魔界のレストラン。

「こんなものはただの生理的欲求だ!欲望ではない!」

 それは、性欲を貪った男の魂。軽率から悪魔に魂を買い取られた。

「最近の若者は欲望と欲求の違いもわからないのかしら」

 それは、命を危機にさらされた娘の魂。死を前に、生き延び、苦しみを先延ばしにする為に悪魔に魂を与えた。

「これは良い。深く濃い芳醇な欲望だ」

 それは、とある国の首領の魂。誰よりも多くの人間に認められ、誰よりも多くの財を成したいと欲し、その為の能力を得るべく悪魔を呼び出した。


 彼女らが賞味しているのは、人間達の『欲望』だ。契約した魂から抜き出した『欲望』を加工した飲み物は、悪魔の嗜好品である。人間でいうところのワインのように、彼女達はその色や香り、味を愉しむ。

 この日は各地の悪魔が献上した『欲望』を飲み比べる、品評会が行われていた。貴婦人達は玉石混交の献上品を時に褒め時に貶し、その出自を聞くことを娯楽とした。


 ここで、今までとは異なる欲望が運ばれてきた。見た目は無色透明。だが甘く、同時にツンと鼻に抜ける辛さも持ち合わせている。

「これは……」

「これはただの欲望ではない……『夢』だ」

「こんなに汚れなき『夢』の為に悪魔に魂を捧げたというの?」

 驚く貴婦人達に、低音の良い声をした給仕長が頭を下げた。

「今回の仕入れでは、最高級の逸品でございます」

 彼は役目として語り出した。その『夢』の持ち主のことを。




「私が夢を叶えるまで、貴女は見てて」

 その少女は、自らの描いた魔法陣から禍々しく現れた悪魔に動じることなく言い放った。

 どす黒いオーラを纏い召喚された悪魔は、口上も忘れぽかんと口を開けた。夢、とこの少女は言ったか?


 悪魔は自分の置かれた状況を改めて見回した。

 目の前には10代半ばの少女。自室と思しき空間の、ふっかふかのベッドの上に仁王立ちで、魔法陣を勝気な瞳で見下ろしている。絹糸のような艶やかかなプラチナブロンドは、悪魔の出現に伴う空気の揺らぎでその豊かさを強調される。


 悪魔は凹凸のはっきりとした身体に沿ったドレスを身につけ、くっきりと唇の形を強調したメイクで粧している。それは人間の『欲』を刺激するためのものだったが、相対する少女の整った顔立ちはそれを上回る。悪魔の装いなど何の効果もないのではないかと思われた。


「貴様が魂を懸けて叶えたい願いとはなんだ」

 悪魔はようやく契約の口上を思い出した。窓の外で雷が鳴っている。

「望みを叶える代わりに、お前の魂を捧げよ」

「私が夢を叶えるまで、貴方に見ていてほしい。これが望みヨ」

「貴様が歩む道の露払いをすれば良いのか?」

「違う。私が叶えるまでそばで見ててほしいの」

 少女は相変わらずベッドに仁王立ちでそう言う。

「だがそれでは」

 何のために悪魔を召喚したのだ。

「手助けなんてしたら契約破棄だからネ!」

 反論しようとする悪魔を遮り、少女はそう続けた。訳がわからない。

「それで、その叶えたい『夢』とはなんだ」

「世界平和」

 ニッと白い歯を見せて笑うこの暴君じみた人間に、悪魔はまた口が塞がらなかった。

ともあれここに悪魔と少女の契約は完了してしまった。



 彼女の夢に終わりはなかった。そんな途方もない夢、そう簡単に叶うはずもない。そもそも、人類全ての利害が一致することなどあり得ない。どうすれば彼女が自分の力で夢を叶えられるのか、悪魔には皆目見当がつかなかった。

「私が人心を操り、お前に従わせようか?」

 悪魔は幾度も提案した。世界平和の夢が叶うまで見ていろ、だなんていつ魂を回収できるやらわからない。それどころか死んでも無理だろう。

「ダメって言ったでショ?」

 少女は悪魔に見向きもせず、分厚い書物と向き合う。この世界の歴史について書かれたものである。複数の言語で書かれた複数の歴史書と睨み合い、いくつかノートに書き込んでいく。

「何を書いているんだ?」

「世界平和計画」

 始まりは幼い頃の他愛ない夢。ただ自分の周りの喧嘩を止めたくて、自分が幸せを享受している時に遠くで苦しむ人が悲しくて。けれど思い続けたそれは、純度はそのままに鋭く研ぎ澄まされ、そんじょそこらの生理的欲求や承認欲求など足元にも及ばぬほど濃密な『欲望』になっていた。


 既に少女は少女と呼ばれるには歳を重ね、立派な女性になっていた。

 たっぷりと美しい髪はそのままに、強い意志をすらりと伸びた四肢が遂行していた。

「こっちの国に働きかけたらどうだ」

「んー。でもそれなら同時にこっちも懐柔しないとだよネ!」

 いつのまにか、悪魔は女の道筋を共に探るようになっていた。彼女の夢を成功に近づけるため、人間の暮らしを学び、歴史を学び、心を学んだ。悪魔としての力を使ったら契約を不履行にすると言うのだから仕方ない。

「そういえばお前の書いた本、今度はあの国で売られるらしいな」

「そだよ。まあ、発禁にならないといいけどネ」

 それは、異なる多くの人類が平和に暮らす物語。彼女にとっての理想郷を描いたストーリーは世界の各地に発信され、人々の心に浸透してきた。

 途方もないように思われた彼女の夢は、小さな一歩ずつではあるが、実現に近づいているのを悪魔は感じていた。



 そんな折、彼女達の前に少女が現れた。黒い髪に青白い肌の、ちょうど悪魔と契約した頃の女と同じくらいの少女。

「こんにちは」

「こんにちは……?」

 そこにいるのが当たり前のように現れ、愛らしいしぐさで頭を下げた。

「待て。この女なぜこんなところに入れた……!?警備はどうした」

 悪魔は気づき、そして己の迂闊を悔いた。

「悪魔の癖に獲物の警護を人間に任せているなんて面白いわね」

 品よく笑った少女に呼応するように、女と悪魔の背後で声がした。

「こいつの望みはな……世界征服なんだとよ」

 地の底から響くような声は黒い刃と変わり、女の心臓を貫いた。


 世界平和と世界征服。相容れないようで似ているようで、共存できない2つの望み。積み上げた女の夢は、存外あっけなく次の世代の少女に受け継がれた。

「嗚呼……これで終わりかあ……悔しいナァ……」

「おい、喋るな!起きろ!」

 治そうと思えば治せる。だがそれを契約主は押しとどめた。

「ヘヘ……じゃ、私の魂は貴女に託すからネ……」

 見ていてくれたから、見失わずに済んだ。自分の力でここまで来られた。魂の最後を渡すなら、彼女が良い。

「バカを言うな!まだお前は夢を叶えていないだろう!おい!」

 悪魔は自分でも不思議だった。魂が手に入るのに、こんなに必死にこの女に呼びかけていることが。

「貰えるものは貰っときなヨ……今日までのお礼だヨ」

 出会った時から勝手で訳が分からなくて、それなのに悪魔も人間も巻き込んでしまう力があって、彼女を見ていると、いつのまにかその手で争いで人の死ぬことのない世界を作るのが見たくなっていた。その日々が終わることを、悪魔は無念に思った。

 その身に世界を背負おうとした人間の女は、悪魔の襟を掴み最後の力で身体を起こすと、濃紫の唇を奪い、事切れた。


「使える力があるのに使わないなんて、愚かなエゴだわ」

 黒髪の少女は微笑んで、黒い刃と共に霧消した。

 残された悪魔に、彼女を追う義務はない。ただ目の前の契約主から魂を抜き、魔界へと帰っていった。




「……そうして皆さまのお手元に、この『夢』は届いたのです」

 給仕長はそう締めくくった。悪魔の貴婦人達はグラスを透かし見て溜息をつく。

「夢見る少女とは、強欲なものなのですね」

「『夢』もなかなか美味だったぞ」

「次はもっと美味い『夢』を、『欲望』を、期待している」

 愛想よく笑って、給仕係はその場を辞した。

 貴婦人達は人間の『夢』に味を占めたようだが、ここまでの芳醇な『夢』を次に得られるのは、いつになるだろうか。




「まあ、世界征服の『欲望』も、正反対の滋味でございますがね」

 給仕長は、次の仕入れが待ち遠しくて、たまらず舌なめずりをした。

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