さまよう歌人はゆらりゆらり
red-panda
第1話 旅の途中
私は和歌が好きだ。
五七五七七からなる音集合体。
その中にも、韻を踏んだり、同じ言葉を反復させる技が込められる。
そんな和歌の中には、作者の目を通して見える風景、感じている風、鼻をくすぶる匂い、胸にひめている思いが浮き出てくる。
そうしてできた和歌は、普段使っている言葉よりも高度で繊細で、美しいものだ。
ただ、読み手にもこの高度な言葉を理解するための力が必要不可欠。
和歌とは崇高なる人のみに許された娯楽というものなのだ。
三十一文字。
これが歌人に許された文字の数。
その中に
想いを込める。
願いを込める。
世界を込める。
私は旅をしている。
様々な場所に赴いては、和歌を詠う。
南の海にでも、北の山にでも、どこへだって。
風に吹かれるがまま歩いて行くのもいい。
そこには新しいものが待っている。
同じ所なんてどこにもない。
地形が違えば、気候も変わる。
気候が違えば、生活も変わる。
生活も変われば、村も変わる。
常に新たな刺激に晒されながら旅を続けている。
ただ、故郷を恋しく思うこともある。
父、母、妹、友。
そんな、寂しい思いも歌にする。
そうすることで私の胸の苦しみは少しだけマシになる。
昼下がり。
夏も終わり、秋へと移り変わろうとしている。
森の中は涼しい。だが、こうして歩いていると暑い。木々の隙間から抜けてくる光は、頭に被っている笠によって遮断される。
汗で着物が肌に張り付いて気持ち悪い。だが、そんなことは旅を始めてからはよくあることだ。
この前までミンミンとうるさい蝉が鳴いていたが、今ではとんと見かけなくなった。
森の中には、さまざまな生き物がいる。
特に、人を襲うものは厄介だ。だが、私は運がいいのか今まで一度も遭遇したことがない。
いつもと同じように行くあてもなく道を歩いている。
坂を上っていくと、前方に光が見える。
そのまま、進んでいくと開けた場所に出た。
草原だ。
草が風になびく。それが波のように揺れ動く。
森の密集した木々の閉塞感から解放される。すがすがしい新鮮な風が私を覆いつくす。森とは違う自然のにおいを運んでくる。
空気が柔らかい。変な表現かもしれないがそう思った。
太陽が優しく私を照らす。
おおらかな自然の息吹に感激する。
すぐさまに筆記帳を取り出し、歌を考える。
二、三個考えついて、声に出して読んでみる。
だが、しっくりくるものがない。
この風景に対して、作った歌はあまりにも陳腐で矮小なものだった。
いい歌ができない。
自分にイライラしてくる。
気分転換に場所を移動する。
上から見ていると実感がなかったが、草は私の身長よりも高い。
その中に入っていく。
草原の中は、森よりも閉塞感がある。かき分けてもかき分けても、前に出てくるのは草ばかり。
進んでいるのかどうかすらわからなくなる。
後先考えず、足を進める。
単純な好奇心に惑わされたのだ。
引き返そうと思ったが遅かった。
どっちが後ろでどっちが前かわからなくなっていた。
完全に迷子。
一気に不安が押し寄せてくる。心臓を冷たい手で握られているような感覚だ。
気軽な気持ちで入ったのが間違いだった。
そこまで進むつもりはなかった。
ちゃんと方向確認をするべきだった。
これまでの旅も慎重とは言えないが、それなりには安全は確保してきたつもりだ。
だが今回のは完全に失敗だった。
まさか、こんなことになるなんて。
とりあえず立ち止まっていても仕方がない。歩き出そう。
そう決めて、途方もない草の海を歩いていく。
日は暮れ、月が昇ってくる。夜になるとだんだん冷え込む。
広い。
上から見ても、途方もない広さだったが、こうして歩いてみると絶望しそうになる。
どこかに出れたらいいなという甘い考えは間違いだった。
それに、草ばかりで進んでいる感覚がないというのは、不安を煽る。焦りだけ増していく。
休憩している間もそわそわして落ち着かない。
時間と体力だけが 奪われていく。
とりあえず、月明かりに向かって歩いていく。
もう、どれくらい歩いたかわからない。このまま出れないのではないか。そう思っていた矢先、突如開けた場所に出る。
そこには一軒の家があった。
草は円形に切られていて、十分走り回れるくらいの大きさだ。
十歳くらいの少女が月明かりに照らされ、立っている。
私を見ている。まるで私がここから来るとわかっていたようだった。
少女は、花柄の刺繍が入った真っ赤な着物を着ている。随分と高そうだ。袖と裾は短く、動きやすい恰好だった。
肩にかかるくらいの真っ黒い髪。整った顔立ちは私が旅してきた中でも一番の美人だった。
少女はこちらに近づいてきて、話しかけてきた。
「お兄さん、迷子でしょう」
「よくわかったな。ここにはよく迷子の人が来るのか?」
「たまに」
そうか、私と同じように迷子になる人間もいるのだな。そう思うと少し愉快な気持ちになった。
「お兄さんは何してる人?」
「私は歌人だ。最高の歌を作るために旅をしている」
「へえ、すごい人なんだね」
「そうでもないさ。さっきだって、絶景を見て歌を作ろうとしたが技量が足りなくてつまらん歌しかできなかった」
「明日にでもいい歌は作れるよ」
「そうかな」
少女の励ましを軽く流す。
「ここから出たいんだ。案内してくれるか?」
「明日でいい?」
「かまわない」
「じゃあ、家に泊って」
少女と並んで歩き出す。
「泊まるなら親御さんにあいさつしておいた方がいいな」
少女は、首をかしげながら返事をする。
「ここには私一人しか住んでないよ」
こんなところに幼い子供が一人で住んでいるなんてあり得ない。なにかの冗談なのか?
「お兄さんをからかわないでくれ」
「本当に一人」
「嘘はいけないよ」
「嘘じゃない」
少女はかたくなに否定する。
私としては泊めてもらえるなら、ここに何人住んでいようが関係ないことだ。
少女に連れられて、家の中に入る。
暖炉の周りに座る。
少女は、とたとたと台所へと歩いていく。
お茶を持っできてくれた。
「いただきます」
お茶を飲む。冷えたからだが温まる。
私は少女と少し話をしてから、床に就いた。
日の光によって、目が覚める。
少女はもう起きているようだ。
「起きたの?ちょっと待っていて、もうちょっとでご飯できるから」
台所で、せかせかと動いている少女を眺める。
私たちは朝食を食べた。
「そろそろ、この草原から出たいのだが、案内してくれないだろうか」
「うん」
少女は快く引き受けてくれた。
「でも、夜にならないと無理なの」
どういうことだろうか?月を目印にでもしているのだろうか?
「それまで、一緒にあそぼ」
まあ、案内を引き受けてくれたんだ。遊びに付き合うくらいはしてやらないと罰が当たるというものだ。
「ああいいよ」
「やった。じゃあ、ご飯食べ終わったらあそぼ」
「蹴鞠ってしたことある?」
「ああ、多少は」
と言っても私はかなり下手だった。
どうしても浮いている球との距離感がつかめない。昔から運動はあまり得意ではなった。歩くという単純なことはできるのだが、弓で射たりすることは苦手だ。
「じゃあ、いくよ。それ!!」
少女は、球を空高く蹴り上げる。高度を増すにつれて速度が落ちていき、ゆらゆらした軌道を描く。そして落ちてくる。
球を見失わないようにしっかりととらえる。落下地点の少し後ろに立つ。
タイミングを合わせて蹴り上げる。
浅い。そう思った時には遅かった。球は少女のほうをめがけて一直線に飛んでいく。芯に当たったのでかなりの速度だ。
「危ない!!」
俺は叫んだ。
だが、少女は避けない。
球に対して背を向ける。
そして、宙返りをした。空中で器用にくるっと回る。その拍子に球を蹴り上げた。
着地。
すごい動きだった。スムーズな動きに見とれる。開いた口が閉まらなかった。
「もー、危ないじゃない」
「あ、うん、すまない」
その後も日が暮れるまで少女と遊んだ。
最初は下手くそだったが、徐々に上達していった。
楽しく遊べたのは、どんな球でも少女は蹴り返してくれたからだ。
これでは私が遊ばれる方ではないか。
無邪気に遊んだのは久しぶりかもしれない。
草原の中。
閉塞的な空間。
子供のようだった。
世界の広さもわからなくて、自分の周りしか見えない。
草に囲まれたこの場所は不思議と私の心を子供時代に戻す。
純粋だったころ。真っ白な心に。
日が暮れ、月が出る。星たちが一斉に顔を見せ始める。
「そろそろ、出ようと思うんだ」
「そう、お別れだね」
少女は寂しそうな表情を見せる。
「じゃあ、そこに立っていて」
敷地の端を指定される。目の前にはちょうど月がある。
意味が分からなかった。これから案内をしてくれるのではないのか?
不思議に思いながらも、指示に従う。
少女は敷地の真ん中に立つ。
こちらを向く。
月を背にしている姿が目に余る美しさだった。
そんな姿を見とれていると突然、少女から白い光が発せられた。まぶしくて目を開けていられない。目を背ける。
そのままどれくらい時間がたったのかわからなかった。
光がやみ、目を開ける。
そこには光の翼が生えた少女が立っていた。
翼は神々しく輝いている。
少女は人ならざる者だ。邪なるものには見えない。むしろ、神に近いものだと思った。
私は、泣いていた。少女の姿に心が動かされていた。
少女は私に向けてにっこりと笑いかけると、月に向かって飛び立っていった。
するとすぐに眠気が襲ってきた。
その眠気に支配される前に筆記帳を取り出す。
今の感動を、歌にする。
書き終わると同時に私は意識を失った。
目を開けると朝になっていた。
どうやらここは、草原の入り口のようだ。
私は夢を見ていたのか?
筆記帳を開ける。
そこには、あの夜書いた歌が書かれていた。
その歌は、ひどく幼稚なものだった。技法も取り入れられていないもの。
でも、心に響く何かがその歌の中にはあった。
これは、間違いなく私の最高傑作だ。
帰ろうかな。
私は、草原に背を向けて歩き出した。
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