軌跡辿り(1)

 ふと、体の各所に変な痛みを感じて目が覚める。

「っ……、?」

 愛染の家のソファで寝ていたようだった。どうりで体が痛むわけだ、と真司は息をついて腕を軽く回した。


 昨日からの記憶が混雑している。

 真紀那を攫った連中を追ったその先にあったのは、真紀那を崇める人々の集会だった。そこに了が呼んでくれた警察が介入し、それから自分達は警察署で話をして……、そこから先の記憶が曖昧だ。それに今の借家にも実家にも帰らずに寝ていたなんて。

「あ、起きた?おはよう真司くん」

 肩がびくついて振り返ると、叔母でもある舞弥と真紀那の母が立っていた。振り返って同時に見えた時計は午前の六時を指していた。

「……おはようございます、あの」

「ああ、いいのよ、疲れたでしょう。舞弥から何があったのかは聞いたよ」

 曰く、自分は舞弥を送ってこの家に来たようだが、そのまま眠ってしまったらしい。気づけば喪服も着たままだった。シワや型がついていないかが少しだけ気になった。これからまだ少しだけお世話になりそうな服だし、と。

「……長い法事になりそうね」

「ああ……そう、ですね」

「真紀那は明日か明後日には帰ってくるって。葬儀以降はそれから。……真司くん、大学院の方大丈夫?」

「あ……ちょっと……分からないです、あとで話はつけます」

「そう、いいお返事が来るといいけど」

 そう言って叔母は俯いた。視線は最近まで真紀那が居た場所に向けられている。

「……叔母さんの方は、あれから何かありましたか」

「私達は……あれから親戚を帰してから、自分達も帰ったわ。皆混乱していたし、私の方も正直落ち着くことが上手くできなかったから、時間はかかったけど。警察の皆さんを信じて、どうにか」

「……やっぱり、びっくりしますよね」

「でも真司くん達が手早く動いてくれたから、私達も頑張れた。ありがとうね、お疲れ様」

「叔母さんも、お疲れ様です」

「うん……あ、何か食べる?簡単なものでよければ出せるけど。ああ、ご両親には泊まってくって伝えてるから安心して」

「え、あ……何から何までありがとうございます」

 キッチンから調理器具や皿がカチャカチャと鳴る音が響く。真司も手伝おうとそこへ回り、話を続けた。

「そういえば、あれから舞弥ちゃんは?」

「舞弥も私と話してからは部屋でぐっすり寝ちゃった。さっき様子見てきたけど、まだ寝てたよ。……本当に大変だったんでしょう、昨日は。法事の続きはまだずっと先だし、ゆっくり休んで」

 ほんのりと憂鬱の影を帯びて、叔母は微笑んだ。そんな微笑みの下で話の最中に渡した卵が目玉焼きとなって皿の上に現れ、少し遠くからはトーストの焼けた音が聞こえた。




 午前八時前。帰宅して喪服をハンガーにかけた時、真司は今日が休日であることに気づいた。今日学校じゃなくてよかった、と私服に腕を通してからは、部屋の中で空虚にただ時間を浪費するようにぼうっとしていた。時折葬儀関係の仕事の手伝いを母に呼ばれては、仕事を片付けてリビングのソファで考え事をしながら過ごす、そんなルーチンを繰り返す。そうして一時間近くを過ごした頃、ふとスマホを見て舞弥からメッセージが届いていたことを知った。

 メッセージは二十分ほど前に届いていた。調子を伺う文面に疲れはない、大丈夫だと返す。『真司さん今からこれる?』

「……?何があったんだろう」

 出かけられる身支度をしつつ意識をスマホのメッセージアプリに向ける。

『真紀那のスマホに気になるデータが残ってたの』

 舞弥はそれについて話がしたいと言った。……舞弥も昨日の今日なのに、疲れないのだろうか。ふと思うが、そういう気遣いは現地でするとして、真司は今までの虚無を振り切るかのように早く家を出た。



 帰る前に一度部屋を覗いた時の舞弥はぐっすりだったが、今では言動もはっきりとして真紀那の机を借りてパソコンに向かっていた。パソコンの方は電源がついていないようだが、代わりに舞弥の手には真紀那が遺したスマホが握られている。

「ああ真司さん、おはよ」

「舞弥ちゃん何時に起きたの?」

「九時には起きたよ。それでもいつもより遅いけど。それより真司さんの方は?めちゃくちゃ疲れてたんでしょ、ぐっすりだったよ」

「僕の方は大丈夫だよ。ごめんね、昨日は迷惑かけちゃって」

「ううん、仕方ないよあんなに動いたんだし。それにこうなったのは真司さんのせいじゃないし」

 舞弥はそう言ってはあ、とため息をついた。右手に持つ真紀那のスマホを軽く弄び、さっき吐いたため息とは違う、憂うような息をふうと吐いた。

「で、このスマホだけどさ」

「うん」

「色々こねくり回してたら、また暗号が出てきて。それをさっき解いたの。したらね」

 舞弥は慣れた手つきでスマホを操作する。ホームを映していたその画面から得た情報までの道のりは遠いらしく、舞弥は何度もスマホをスワイプしていた。真司がどこか辿々しいその様子を不思議に思い、画面を覗き込もうとしたところでスワイプを続けていたその手は真司の眼前へスマホを突きつけた。

 そこに映っていたのは数字の羅列と、数々の地名を並べたような文章だった。とどのつまり、連絡帳と呼べる代物だ。

「……誰のもの?」

「さあ、分からない……でもね」

 舞弥はノートパソコンやスマホが仕舞われていた机の引き出しに勢いよく手を突っ込む。ずる、とそこから取り出されたのは、くしゃくしゃになったノートの一ページだった。普段の真紀那の文字からは想像もつかないほど乱雑に書き留めたようにペンが走らされていたそれは、メモと言っても差し支えはないだろう。

「字汚い上にぐしゃぐしゃだからちゃんとは読めないけど、ここに書かれてるのは、この連絡先の人達が話した情報で間違い無いと思う」

 そう言いながら、舞弥はメモと住所や電話番号の情報を照らし合わせた。連絡帳に個人の名前は書かれていないが、メモの方には書かれている。代わりにメモには、それ以外の個人情報として使えそうな書き留めは無い。しかしメモのまとまり方から推察して、メモに記された人々の情報の数と、連絡帳にある個人情報の数は一緒だ、と舞弥は証明した。

「……どうして真紀那ちゃんは、こんなたくさんの個人情報を?」

 どうして処分していないのだろう。暗号で保護しているとはいえ、誰かに見られる可能性があるだろうに。真司はぼやいた。


「……ねえ真司さん」

 舞弥の声が、あれきり考え込んだ真司の面を上げさせた。

「ん?」

「この人達を訪ねてみようと思うんだけど。きっと真紀那もそうして、このメモを作ったんだろうしさ」

「え……?」

 真司は勿論戸惑った。「ちょ、知らない人だよ?いくらこの人達が真紀那ちゃんと面識があったかもしれないからって、素性も分からないのに」

「でもね、真司さん」

 舞弥はメモのある部分を指差す。

「これ、お孫さんとか書かれてるの、多分ご老齢の方。この人……前に通夜の時に来ていたお婆さんだと思うの」

「何を根拠にそんなことを……?」

「これ、聞いて」

 直後、音質の悪い音声がスマホから聞こえてくる。そこで話す老人、その声は確かに、あの時の老婆の声と似ているような気がした。

「『滝口』……?これが、あのお婆さんの名前?」

「真紀那もそう呼んでるもんね。——どう?私は行こうと思う。これもきっと、“真実”を見つける鍵になるはず」

 こうなると、舞弥はいかなる制止も聞かないことを真司は知っていた。やれやれ、とでもいいそうな顔で肩をすくめると、分かったよ、と頷いた。舞弥の真剣だった表情に笑顔が灯る。

「よし、じゃあ私、滝口さん探す!こん中のどれかでしょ」

「分かんないの?」

「分かるわけないでしょ、こんな情報バラッバラの個人情報。真司さんは身支度でもしてて」

 舞弥は自分のスマホを手に取って電話をかけ始めた。

「……真実を求める前に不審者扱いされそうなんだけど」

 真司は苦笑を漏らすこともなく舞弥を眺めていた。

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「今日、飛び降ります。」 神埼えり子 @Elly_Elpis_novels

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