信仰者たち
誰かにとって大事な家族だったある一人の少女が飛び降りたビルの地下にて。
そんな少女の亡骸を取り囲み、顔も知らぬ人々がその死を嘆き悲しむ。その光景は、彼女の親族に激しい焦燥を与えている。
舞弥はいてもたってもいられずに叫んだ。
「待ってください、何でそんなことをするんですか!?あなた達は真紀那の何なんですか!?」
「マキナ様は私達を救済してくださったお方です。マキナ様は私達に真実へと進む意志を授けてくださいました。マキナ様の御意思は死しても尚不滅です。私達はその御遺志を受け継ぐものでございます」
「……」
舞弥は絶句した。ここにいる人達はおかしいと。頭は混乱している。混乱を整備する暇もなく、声を震わせて叫ぶしかできなかった。
「やめて……やめてください……!!真紀那は私の妹です!私達の家族です!!!あなた達が勝手に触って解釈していい存在なんかじゃない……! 返して!!どいてください!!!」
「僕からもお願いします。家族で真紀那ちゃんを見送りたいんです」
「いいえ。その求めには応じることができません。マキナ様は私達を導く導師でございますので」
「だからさっきから何なんですかそれ!?真紀那が何をしたんですか……!?」
耐え切れず舞弥が感極まった時だった。
「……あの小娘、マキナ様の偉業を御存じでないようね」
「ああ……マキナ様は妹だと言っているが……とんだ見当違いだ、こんな低能な姉をお持ちでいらしたとは」
「マキナ様も生前ご苦労なさったでしょうに……」
次第にひそひそと、非常識な人間の陰口でも共有するかのような声が空間に満ち始める。
明らかに異様な空間だ。少なくとも、舞弥と真司にとっては。この場では真紀那を信奉する連中が大多数で、そんな風潮が常識だった。――真紀那の存在が、二人の中で歪んでいく。かつての思い出を支柱に正気を保つが、それはもはや縋らんばかりの勢いだった。
「追い出すべきなんじゃないか。そもそも奴らはマキナ様を送る儀式を邪魔したんだ」
どこかからよく聞こえる提案が響く。それを皮切りに、そうだそうだと大合唱が始まった。
――追い出せ。邪魔だ。帰れ。
怒号が湧く中で目の前に立つ女が憐れむような仕草だけを取り、舞弥に告げた。
「マキナ様の御意思をご存じであれば、共に手を取って歩むこともできたでしょうに……残念ですが、此度はお引き取りいただければと思います。……勿論、貴方様方がマキナ様を真に知ってくださったならば、その時はいつでもお迎えいたしましょう」
「マキナ様の火葬をお望みであるならば、そう処置を取らせていただきます。他に何かお望みはございますか?」
「僕達の望みは一つだけです。真紀那ちゃんを返してください」
「黙れ!もういい、こいつらをつまみ出せ!!」
そのヤジが飛んだ途端、周囲の人々の手が舞弥に、真司に伸びてきた。正面に立つ夫婦は仕方ないとでも言わんばかりの顔で、二人を憐れんで見つめている。
わあわあと騒ぎ声はカフェ跡中を埋め尽くさんばかりだった。もうどれが誰の声が分からなくなり、その五月蝿さに頭が割れそうになったその時。
「やめて!!!」
幼い声が、一際大きく辺りに響く。
声の先では、女性が驚いたような顔をして自分の足元を見つめている。声を出したのは幼女だ。人の壁に遮られ真司と舞弥からその姿は見えなかったが、舞弥はその声を覚えていた。昼にマスコミに紛れて葬儀場の前に来ていた、あの幼女だと。
「帰してあげて!!マキナさま、帰りたいって言ってる!!」
「ま……ちょっと、芹架、何を言って……」
「おねえさんのとこに帰してあげて!!!おねがい!いっしょにいたいって!!!」
母親の静止も聞かず、一心不乱に幼女は叫ぶ。その場の誰もがその意図を分からずにいた。既に死んだ者の意図をそう云っていると言うなんて。
しかし、この場では違った。
「あいつ……まさか、マキナ様が視えるのか……?」
誰かが言った、素っ頓狂な発言。だがそれもこのおかしい宗教じみた空間では正論となる。声を皮切りに人々がざわざわとどよめきだし、互いを見やった。
「まさかそんなことが……?」
「あんな小さい子が今この場を把握できるとも考えられないしな……仮に本当にあの子にマキナ様が視えているなら、マキナ様がああ仰る以上、俺達はあの子どもに従うべきだ」
「やっぱり……そう考える方が自然なのかしら。にわかには信じがたいけれど……」
「もしかしたらあの子は預言者なのかもしれない。マキナ様に選ばれ、私達に声を届ける役割を担われたのだ」
「あの子はマキナ様のお言葉を託された子どもなんだな……!?」
どよめきは崇める声に変化し、人の海は声を上げた幼女の方へと身体を向ける。この光景を彼らの最も後ろから見ている真司と舞弥の視界は後頭部で埋めつくされた。
幼女の側で数多の視線を向けられている女性、幼女の若き母は困惑し、泣きそうな顔で紺色のスカートの裾を握りしめる娘を見る。その視線に気づいた幼女は必死に訴える目で母親を見上げた。使われなくなったカフェに崇拝の証明が響き続ける。その光景を再度見渡した母親は一度俯くと、顔を上げて「皆さん」と一声、カフェ内を静めた。
「……娘にマキナ様の声が聞こえるのか私には判断しかねますが、娘の意見には賛成します。マキナ様をご家族の元に帰しましょう。マキナ様は私達を導くお方である前に、一人の家族に愛されている女の子です」
カフェ内はしんと静かだ。皆がしっかりと、幼女の母を見つめている。同じように彼女を見つめる舞弥が一歩前に出て話そうとするが、真司はそれを止めた。
「……真司さん」
「今はまだダメ。彼らの選択を待とう」
人々は依然黙りこくっていた。相談か、隣に囁くような声がひそひそ聞こえてくるばかりだ。静寂を破るのを誰もが躊躇していた。
「……どうですか?」
その役目を、母親が担った。人々は顔を見上げた。続けてこの空間に音と言葉を出し続けようと、母親がもう一度口を開いた時だった。
「……そうしましょう。マキナ様も元は一人の人間です」
「私もそう思います」
「帰してあげましょう」
言葉がぽつりぽつり浮かぶ。周囲の人々も同調し、頷いた。
「……マキナ様を引き渡しますか?お手伝いしましょう」
僧侶役をしていた僧坊の丸頭をした男が言うと、真紀那の周りの人々ははい、ええ、と頷き、立ち上がる僧侶役の道を開けたり真紀那が収まる棺を動かす手伝いの姿勢に入ったりと各々に動き出す。
「い……
真司達に比較的近い場所から男の声が聞こえた。「マキナ様は私達の手で現世から送り出して差し上げるのだ!マキナ様のご意思を理解せぬ輩には引き渡せない!」
何度もヤジを飛ばしていた男の声だ、真司は怒号の声を覚えていた。
声は焦るように真紀那を留めようとする勢力を誘発した。その勢力の波は棺を動かそうとする人々を妨害せんと動くが、彼らの手は惑わされることなく外界に繋がる扉の前に立つ真司達に「道を開けてくださいませんか」とさえ投げかけ、眼中にも置かない。
叫ぶ男の一人がついに、棺を持つ女性へと手を伸ばした。真司の体はすぐに反応し、男を止めんとする。取っ組み合いが起こるのは誰の目にも明らかだった。
「警察だ!」
手と腕が触れそうになる刹那。遠く、扉越しの声とともにガタガタ、バタバタと響き始める足音により、カフェ内はたちまち悲鳴に包まれる。
見ると、対極にある扉から女子供――真紀那の誘拐には関与していなさそうな信者達が去っていく。真司は確かにそれを視認したが、彼らに罪は無いと感じて見逃した。
「動くな!」
「詳しい話は署で聞かせてもらう。ついてこい」
「真司!舞弥!!」
三人の勇ましい声が閉鎖空間を劈く。了が警察を連れてきたのだ。
「とりあえず外出るぞ!」
「待って真紀那は!!」
「行こう舞弥ちゃん、真紀那ちゃんなら大丈夫だと思う」
引っ張られて外へ近づく中、舞弥は後ろを振り返る。
姿や顔は伺えないが、白い棺は騒乱の中でただ凛とその場にあった。その領域はこの騒乱の中でさえ誰にも傷つけられることなく、ただ聖域の如くそこにある。出どころの知れぬ安堵を感じながら、信仰の舞台を後にした。
辺りは夜闇に包まれつつある夕方。外はいつの間にこんな暗くなっていたのかと真司は外気を吸い込む。パトカーがあちらこちらに止まっている、今までなら遠巻きにしか見てこなかったような風景の真ん中に立っている。
「あの……菅原真司さんで……?」
「あっ、はい、なんですか?」
「今回ご遺体が拐われた愛染真紀那さんのご家族の方ですね?喪中に申し訳ありませんが……少し署で話を聞かせていただいても?」
「ああ……全然構いませんよ」
そう苦笑すると、舞弥も同様に近場の警察署に行くと聞いた。他の業務のために離れていく警官の背中を見送りながら喧騒から少し離れたところで小さく息をつくと、そんな肩に軽く手が置かれる感覚がした。
「その様子じゃ無事だったようだな、とりあえずは」
「まあね……」
苦笑してはあ、と項垂れてため息が漏れる。「びっくりした。あんなの生で見ることなんてないでしょ」
「祭壇置いてたか?」
「普通に仏壇だけだよ。……何面白がってるの、本当に大変だったんだから」
「なはは」
笑いながら了は真司の手を添えた肩をばんばんと強めに叩いた。奮起させるような、はたまた単にからかっているだけなのか、いずれにせよ、了の態度は真司の気持ちを少しだけ明るくさせた。その証拠に真司の表情は明るくなり、困ったように微笑みを浮かべている。
「……真紀那ちゃんを攫った人は?」
「見つかってお縄にかかったってよ」
「そっか、カフェにいた人はどれくらい捕まるのかな」
「さあ、……暴行したとかなら話は別だけど、まあ捕まるようなことはないんじゃないか?どんな組織なのかは一応探りが入るかもしれねぇけど、とりあえず真紀那ちゃんの誘拐に関しては実行犯と、犯行計画に関わった奴が捕まって、あとはまあ、大丈夫なんでは」
一応信仰の自由はあるわけだし、と了は付け加えて言った。その他、了も警察から話を聞かれるらしかった。仕方ないだろう、とにかく警察の方も情報が欲しいだろうし。真司はそう納得していた。
――大々的に自ら死んでいった少女にまつわる事件だ、警察も大人しくしてはいられないはずだ。
「真紀那ちゃんは……また警察署行きになっちゃったね」
「当分葬式も火葬もできないだろうなぁ……、ほんとガチャガチャして、ロクに喪に服させてもくれねえな」
「本当にね」
改めて、真紀那が取った行動の大きさを感じ取る。真司の頭の中に、ふとあの老婆の言葉が降りかかってきた。
「……『あのお方の痕跡を辿り、真実について、お考えくださいませ』……真実について……か……」
「それ、さっきあそこで聞いたのか?」
「ううん、昼にマスコミに紛れてたおばあさんから。多分あの人もあの連中の系統だと思うんだけど……」
その老婆を連中なんて言葉でまとめてはいけないような感じがして、真司はくっと口を噤んだ。そして。
「……真実って、なんだと思う?」
自身でも素っ頓狂だと感じる問いを投げかけた。
「……真実ねえ……」
了はポリポリと頭を掻いて、ぼそりと呟いた単語に考えを巡らせる。少しビルや木々の隙間から望める黒く青く染まってゆく空を眺めて、了はふっと笑った。
「スケールが分かんねえからどうとも言えねえよ。何に関しての真実なんだろうな」
「そこから考えなきゃいけないんだ……」
「……まあ、あまり気は重くするなよ。……ほら、お迎えが来た」
了が指差した方向から女性警官がこちらに呼び掛けるように速足で歩いてきていた。
一緒のパトカー乗ってもいいのかな、なんて言う了に呆れ笑いで答え、警官の呼び掛けに応じた。
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