誘拐
「遺体が盗まれるって……そんなことあんのか普通!?」
厳粛な、もしくは振る舞いで賑わうはずの葬儀場。そこは誰もが困惑し、バタバタと駆け回る阿鼻叫喚と化していた。
真っ先に真司は事件を伝えに来た葬儀屋に話を聞く。
「どういうことがあったんですか!?あの、何か不審な行動をする人物とかを知ってたら話してほしいんですけど……」
「あっ、いや、いや、その」
葬儀屋は動転していた。彼を問い詰めにかかる人々を退け、彼の気を落ち着け、ゆっくり話ができる状況に整えた。未だ息は上がっているが、葬儀屋は話せるようになるとすぐに情報を語り出した。
「あの、ここの従業員二人が仏様の見回りに向かったんです。私が安置所に行ったのはその後のことでした。あ、その、それで……そう、確かその二人も戻ってきていないんです!」
「職員……ありがとうございます。あの、良ければ他の職員さんにも彼らを見たか聞いておいてくれませんか?」
「わ、わかりました……!」
「誰か警察を……!!」
「大丈夫、もう呼びました!」
舞弥がどこからか聞こえたその声に、自らのスマホを掲げて応えた。彼女を見て安堵を覚え、真司は会場の人々へ落ち着いて待っていてくださいと叫んで会場を飛び出した。
「……本当だ……」
小綺麗な遺体の安置所は、いつでも亡くなった人に挨拶ができるように様々な仏具が置かれている。その奥にあるはずの純白の棺は、どこにも見当たらなかった。普通ならあり得ない事態に困惑していると、事件を伝えた葬儀屋の彼が舞弥を伴って戻ってきた。
「従業員に聞き込みをしてきました。やはり誰も例の二人を見かけてないようです」
「警察にその人達についてを話しましょう、僕は真紀那ちゃんを探してきます!」
「でも警察はまだ……」
「さっき警察の人が来たよ。真紀那を早速探し始めてる」
後ろから芯のある声が通る。舞弥の声だった。「警察の人が聞き込みを始めています。ここの従業員の中に真紀那を攫った人がいることも話しました。裏の駐車場から一台霊柩車が無くなってるのが確認されて、車のナンバーも割れてるみたいなのでパトカーが追跡を始めました。私は警察の人達と一緒に真紀那を探します。ここに残ってる警察の方に知ってることを話してあげてください」
「ご協力ありがとうございます。……そしてご遺族をこんな目に遭わせてしまい、……本当に申し訳ありませんでした」
頼もしい言葉の数々に葬儀屋は目に涙を浮かべながら感心し、舞弥へ深く頭を下げた。
「大丈夫です、それより今は真紀那を探すことに専念しましょう!真司さんも行くよね!」
「車で逃げられてるんだよね?どうやって追いかけるの……!?」
「了さんが車を出してくれる!早く行こう!」
エントランスへ走っていく葬儀屋を見届け、舞弥も彼の後を追って走り出す。
「とりあえず霊柩車探すぞ!盗まれた霊柩車のナンバーも聞いてきたけどどうする?共有するか?」
「霊柩車って分かりやすいし大丈夫だと思う。了さん運転に専念してていいよ、私達で探すから」
「おっけい」
真司達の乗る車はパトカーが曲がる方向とは逆に進む。車窓から乗り出さんばかりの勢いの舞弥の喪服を引っ張って牽制しつつ、真司は真紀那が連れて行かれた場所の目星をつけようと考えを巡らせた。その頭には、通夜の前に見た老婆や子連れの女性が浮かぶ。そして、彼女らが真紀那をどう扱っていたかも思い出す。
彼女達にとって、真紀那はどんな存在だったのか?まるで恩師について語る……、いや、そんな規模ではない。彼女達にとって真紀那は最上級の敬語を用いて語る存在だ。……そんな相手など、身近にはいない。王か、もしくは、神。それほどの、崇高な存在。
「何物にも代え難い施しを受けた身……」
老婆の言葉から、真紀那を探る。しかしそうすると辿り着く彼女は、少なくとも自分達は知らない遠くの、神にも等しき存在で
「……ッ」
真司は考えるのをやめた。目の前の問題に集中しようと頭を切り替えた。
真紀那を崇める人間がいる。それは目を逸らそうと変わらない事実だ。となると彼女らは「信者」といったところか。その『信者』の動向をざっくりと予測する。彼女らが真紀那を盗んだ犯人とは限らない。しかし真司にとっては、彼女らの存在は犯人の動向を測るため参照するに最適なものだった。
「……信者のやることといえば?」
「は?何いきなり。……聖地巡礼?」
大きめの声で独り言を漏らすと、オタクな俺のダチがやってる、と運転席から返答が降る。
「真紀那ちゃんの聖地は……」
崇められる者が死んだ場所は、彼らの往生した地として同様に崇められる。
「……自殺現場?」
「えっ」
「了さん、今これどこに向かってる?」
「ん?うーん、特には」
真司達の乗る車は大人しい景観を呈する都内を走り回り、同じように巡回するパトカーとはなるべく別方面を走れるように立ち回る。葬儀場からはそこまで遠ざかっていないと見受けられた。
「……なら行って欲しいところがある。真紀那ちゃんが飛び降りたビルの所在地分かる?」
「国会議事堂のほうだろ?俺そんくらいしかわかんねぇけど」
「それでもいい。そこまで行けばだいたいわかるかも」
「永田町……ああ、ここからでもまあまあ近いな。とりあえず議事堂行くぞ」
「ありがとう」
そうしてハンドルは切られ、目的地へとスピードを上げる。そうして永田町にさしかかり、国会議事堂を望む道にて。没個性的な街並みの中に、一軒だけ事件の痕跡を残すものがある。
誰もがその建物をまだ記憶に残していることだろう。人気はなく、その場所だけこの国から避けられているような淋しさを漂わせている。東京都のど真ん中で、人の往来もあるだろうに。
「……!!了さん停めて!」
「どうした舞弥ちゃん!?なんかあったか!」
「あった!霊柩車!!」
その近くに、普段ならまず見かけない黒が停まっているのを舞弥は見た。タイヤが音を立て、キープアウトのテープが未だ張られるビルの近くへと車が停められると、真司と舞弥は弾かれるように飛び出していった。
「これどこから入ればいいんだ?」
「真司さん!こっちから入れそう!」
裏口の、それも地下に続く階段へ導く扉。真司は暗い階段の先を見て首を傾げた。
「……このビル何のビルなんだろう……なんで地下までついてるんだ?」
「どの企業も入ってないビルだったんでしょう、だから真紀那はここを使った」
「空きビルか……」
真司がそうぼやくと、舞弥は彼の隣をすり抜けて先に行く、と階段を降りていった。
「真司!ここに真紀那ちゃんが?」
「多分……!あ、警察!呼んでください!僕と舞弥ちゃん、先入って見てみます」
「あっ……了解!」
了の返事を待たず、真司も地下へと足を踏み入れる。
通夜を早く済ませたために、今この国はまだ午後の六時を過ぎたばかりだった。日は暮れどまだ沈まず、ずっと明るい夕時に見合わぬ深い闇の中で、ただ足を踏み外さないことだけを考えて、なるべく急いで老朽化の激しい急な階段を降りていった。
塗装のされていないコンクリート張りの細長い空間。蛍光灯がちらつくそこは、誰だって不気味であると感じるだろう。
外観を見るに誰に見向きもされぬ建物だったと見受けられる、真紀那がその名を知らしめることになった寂れたビルは築五十年はあるだろうか――だいぶ遠い昔に造られたものだと察することができる。かつてこのビルが繁栄していた頃には、ここは食事処の寄せ集めだったのだろうか。いかにもなカウンターで空間は隔てられている、その様子が扉の小窓から窺えた。機能している証拠に乏しいものの、上の階層がテナントを求めていることから、とりあえずはこの地下空間も立ち入れない有様にはならないよう整えられているらしい。まだ廃墟とは呼べない状態だった。
「暗い……、怖……」
ぽつりと舞弥はぼやいた。まだ誰かに使われることを想定する――尤もそれは地上階層に限った話かもしれないが――建物にしては照明が古く、寿命が尽きそうだった。歩き回るには十分な明るさとはいえ、精神的には恐怖を煽られ、不安になるのも無理はない。しかし目に見える確かな空間と部屋があるという、存在がもたらす安心感は少しずつその恐怖を取り払い、真司も舞弥もそこまで感情に気を取られることなく散策ができた。
階段の前に戻ってきた真司の視界に、この空間の案内板が入ってきた。どうして気づかなかったのだろうと疑問に思いつつもそれを見やる。
「突き当たりの扉からカフェに行けるらしいよ、そこそこ広いの」
「カフェ?……ここに?」
「……その跡地かも」
他のところも跡地だし、と真司はカフェの下、らあめんだの和食処だの書かれた四角い空間を視線でなぞった。
「……あの扉だけ小窓がないんだね」
小洒落た木目が見えるダークブラウンの扉。このコンクリート張りの空間には不釣り合いだった。舞弥はその扉をじっと見つめ、顔を少し顰めてこれも少しだけ首を傾げる。そんな怪訝に考える仕草をとった後、息をふっとついた舞弥は扉の前まで歩むと、そっとそれに耳をつけた。
「…………」
再び舞弥の顔が顰められる。その反応を見た真司が声をかけようとした時、舞弥はぼそりと声を潜めて呟いた。
「……お経が聞こえる」
「お経?何で?」
「分からない」
そう答えて、静かに視線を落とす。その手はドアノブに掛けられていた。握る手に力を込める前に、舞弥は真司の方を向き、小さく頷く。真司は応え、頷き返した。彼も扉に歩み寄る時、舞弥はその扉を開けた。
小洒落た旧いバーのような空間。……人、人、そこには沢山の人がすし詰めとなり、誰もが前方に向かって項垂れている。
すすり泣きも聞こえるその場で、彼らは皆黒い服を着て、先頭では坊主が粛々と経を唱え続けている。そんな彼の前にある白い容れ物。ささやかにレースがあしらわれたそれには真司も舞弥も見覚えがあったし、少し高くなっている入口からは、見知ったセーラー服の袖がちらりと見えた。
「……真紀那!!」
思わず舞弥は叫んだ。最後列のある男がその声に振り向く。つられるように他も振り向き、ほとんどの人が叫んだ舞弥を見た。
「誰だ!」
「お前達どこから来た!この神聖な空間に立ち入るな!」
「あなた達こそ誰ですか!?どうして真紀那がここに居るの!!?あなた達が持っていったの!?」
男達の叫びに舞弥は感情に任せて叫び返す。阿鼻叫喚の中、その内の一人が舞弥に掴みかかったところを真司は即座に庇った。
「皆さん一回落ち着いてください!!!僕達は向こうの棺にいる女の子の親族です!……教えてください、あなた達は何者ですか?」
真司の声に奥から誰か、男が「寄せ」と声を投げた。すると掴みかかる男達は手を離し、二人を睨んでそのまま奥へと引き下がる。代わりに出てきた男と、彼に添って来たその妻と思われる女。彼らは喪服に身を包んでいる。親族の纏う正装だ。
「マキナ様のご親族ですね。初めまして」
男は自分の名を名乗らず、女もそのまま言葉を並べる。
「此度はマキナ様の身に起きた御不幸、心よりお悔やみ申し上げます。私達一同も同様の心持ちでいる次第です」
女は礼儀正しく深々と頭を下げた。まるで親族のように。
「マキナ様をお迎えする際手荒な真似をしたこと、ここに謝罪いたします。申し訳ありません。ですがご安心ください。マキナ様の聖骸はこちらで厳重に保存いたしますので」
この団体と遭遇してたった数分に起きた事態だったが、それだけでも真司は確信した。
自分達は想像以上に大きく、歪な事件に巻き込まれてしまったのだと。
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