大好きの言い方を教えて

佐伯 侑

病める時も、健やかなる時も。

 私は、鬼だ。いきなりそう言ってもきっと戸惑うだろう。母方の親戚の反応は酷く、叔母は私の姿を見るなり怯えて逃げだしたし、従兄達も怖がって近寄らなかった。祖父母には御札を貼られた上家族一同絶縁されたし、学校の同級生には逆にいじめられた。

 人はみんな「普通」からはみ出したものが怖いのだ──たとえそれが家族であっても。

 私の眉間からは童話の鬼のような1本の長い角が生え、犬歯は獣のように長く鋭く伸びている。

 それは紛れもない事実だ。

 そのことが発覚したのは中学二年生の夏休み。



 どこかに行きたい、日常から離れたいと強く願っていて、けれどどうしようもなく無力で。

 兄貴曰く、中学生はみんな感じていることらしい。

 にわかには信じられない。

 この胸を締め付けられるような思いを、無邪気に校庭ではしゃいで居るような同級生達も抱いているのだろうか。とてもそうは思えなかった。

 私は風呂上がりの濡れた頭をドライヤーで乾かしながら、この形容しがたい感情について兄貴に相談していた。

 兄貴は、そのうち大人になるさ、といいながらコロコロと笑う。

「そういや沙良さら、お前結構犬歯でてるのな。今まで気づかなかったよ。俺としたことが情けない。」

 しゅんとした声で、兄貴は残念そうに言う。

 言われて触れてみるとたしかに私の犬歯は今までのそれよりも発達しているようだ。

「いくら兄貴が私のことを好きだからって

 見逃すことくらいあるよ」

 慌てて取り繕う。これ以降は見逃さないようにする、などといって余計に付きまとわれては堪らない。

「そうか、それは残念だな〜。」

どうやら声に出ていたようだ。

ニヤニヤした兄貴が私の頭をわしゃわしゃと撫でる。どこかくすぐったい。

「じゃあそろそろ俺寝るわ。おやすみ、沙良。」

 階段を上り、自室へと向かっていく。

 私はおやすみ、と返し手を振った。

兄貴の姿が見えなくなってようやく、さっきの会話に違和感を覚えた。

 冷静に考えるとおかしいのだ。

 生まれてからずっと一緒に過ごしてきた家族が──ましてや私のことを足の先から髪の毛に至るまで溺愛している兄貴が──私の変化に気づかないなど。

 髪を切りに行ったら誰よりも、お母さんよりも早く兄貴は気づいてくれる。

 また可愛くなったな、と言いながら頭をわしゃわしゃと撫でてくれる。

 爪を切ってもマニキュアを塗っても新しいキーホルダーをつけてもイアリングを買っても服を替えても。

 落ち込んだ時は慰めてくれるし、失恋した時には慰めてくれる。私のことを一番よくわかってくれているのは間違いなく兄貴だ。

 その兄貴が気づかなかったはずはないのだ、私のこの大きな変化に。

 そのことに違和感を感じながらも、すぐに考えるのをやめた。どうせ答えなどでない。

 兄貴は兄貴だ。それは変わらない。

 しかし、犬歯が発達するなんて吸血鬼にでもなったのだろうか。最近読んでいる小説の影響でも受けたのかな、なんて思う。

 考え事は後回しにして今日はもう寝よう。

 昨日の徹夜が祟ってか、今日は異様に眠たい。授業中の私の瞼は常に固く閉じられ、そして私の意識は泥のように沈んでいた。

 ドライヤーを片付けるついでに歯を磨いてから寝ようと思い、洗面所に向かう。

 兄貴はまた歯ブラシを出しっぱなしにしているようだ。

 明日起きたらよく言い含めておこう、なんでどちらが年上かわからないことを考える。

 兄貴は、顔もいいし私に関わることにはすこぶる気遣いができる人なのだが、それ以外はからきしなのだ。天は二物を与えない、とはこのことだろうか。

 兄貴の歯ブラシをガラス張りの棚に入れ、私自身も歯を磨く。シトラスの味の歯磨き粉を、残り少ないチューブから無理やり絞り出して歯を磨く。

 そして目の前にある鏡を見た。

 そこには────大して広くもない額から小さな角を生やし、そして異様に伸びた犬歯を生やした「鬼」がいた。



 驚いた。それは当然だろう。

 何気ない毎日の中で急に自分が鬼になっていたのだ。

 非日常に憧れていた。でもこんな──。

 こんな形で──私自身が異形の存在となってまで──変わりたかったわけじゃない。

 変化なんて起こりやしない。ただいつも通りの日々が続いていくだけだ。そこでありもしない夢を夢想することで自分を慰めていた。

 いつか漫画の様な非日常に身を置くことが出来るなら。それは生きる上での私の支えだった。

だがこの姿は。

 人々の命を脅かし、畏れられ、そして最後には必ず討ち果たされる異形。

 異端だと糾弾され、村八分にされてきた悪鬼羅刹だ。

 私は必死に目を擦った。見間違えではないか、そう願ったから。けれどいくら擦っても映る姿は変わらない。

 「このまま元に戻れないのかな、どうしよう。」

 そう考えた時、ぽろりと涙が一筋頬を伝った。もう止まらない。

 流れる涙は、せき止められていた川が氾濫したかのように止まることを知らない。

「どうしよ、どうしたらいいの」

 嗚咽を零しながらそれだけをひたすら繰り返す。泣きはらしたせいで、目は赤く染まる。すると。


 ぎゅっと抱きしめられた。


 ふわりと香る石鹸の香り。女の私も嫉妬するほど綺麗な手。

 兄貴だ。階段を降りる音にすら気づかないほどに、私は我を忘れていたみたいで。

「済まない、本当に済まない」

 驚く程に悲痛な声で、兄貴はそう謝る。

「お前の事はなんでも知っているような顔をして、こんな大事なことに気づけなかった。お前の身に何か起こる時、必ず俺はそこに居なきゃ行けないのに。俺は兄貴失格だ。

 俺がもっと早く気づいてあげていれば。

 そしたらこんなことにならなかったかもしれない。辛いよな、悲しいよな。ほんとに可哀想なことをした。ごめんな。」

 当事者の私よりもよっぽど辛そうな顔をして、兄貴は言葉を一言一言絞り出した。


 なんで兄貴が謝るの、とは聞かなかった。

 妹のことをなんでも知っているはずの兄貴は、不甲斐なさで泣いていたのだ、と子供心ながらに察した。

 漠然とした不安が、兄貴の胸の温もりで少しずつ溶けていく。

 私は、声を出して泣いた。

 そのまま、泣き疲れて失神するように眠った。


 あれから、泣き疲れて眠る私を兄貴が自らの部屋のベッドへと運んでくれたそうだ。

 恐らく、少しでも長くお母さんにバレないようにしてあげよう、という配慮だったのだろう。そして一晩中兄貴は私についてくれていたらしい。

 自分のベッドに私を寝かせ、自分はベッドの横でずっと私を見守っていた。兄貴には、変わらぬ日常がやってくるはずなのに。

 翌朝私が目を覚ますと、兄貴はベッドにうつ伏せてすやすやと眠っていた。その寝顔は昨夜のような緊迫感はなく、いつも通りの兄貴だったので少し安心し、クスッと笑った。

 そうしている間に、お母さんの「起きなさい」、という声が私の部屋から聞こえてきた。

 どうやら私を起こそうとしているらしい。毎日のルーティーンである。

 私がいないのを怪しんで、この部屋に訪れるのも時間の問題だろう。

 どこかへ隠れようか、と思うのもつかの間、

 再び私の意識は深い深いまどろみの中へと落ちていった。


 そして今。

 あれから10年がたち、私も兄貴も立派な大人だ。と言いたいところなのだが、鬼となった私の外見年齢は、あの頃から成長していない。最近になって、角は引っ込めることができるようになった。長い犬歯はご愛敬、ということで。

 鬼になった翌朝、私の変化に気づいたお母さんから、兄貴と私は私達の父について聞かされた。

 私が生まれてこの方会ったことのないお父さんは、どうやら自称「平安時代から生き永らえる鬼」であったらしい。私の「悪鬼羅刹」という喩えもあながち間違いではなかったようだ。

 物凄い美形で且つ上品な容姿をした父は沢山の女性を惹き付けた。けれど、そんな彼が選んだのは後にも先にもお母さん唯一人だという。

 父は、お母さんが私を産んですぐ姿をくらました。お母さんに、「あの子たちが大きくなったら戻る」とだけ告げて。

「二人とも、もうこんなにおっきくなったのにねぇ。一体どこへ行っちゃったのかしら。」

 怒ったようなセリフではあるがその口振りは父への信頼で満ちていた。

 そこに一抹の寂しさが混ざっていたように思えたが、それは胸の中にしまっておくことにした。

 父の、鬼としての血が私に、血が凍るほど美しい見た目が兄貴に引き継がれたのだろう、とお母さんは話す。

「あの人はなんにも残してくれなかったけど、こんなに可愛い子供たちをくれたことには感謝してるわ。」

 その言葉は深く私たちの胸に刻み込まれた。

 そのおかげか、私は外見を嗤う同級生達にも、決して屈しなかったし、兄貴は私を今まで以上に溺愛した。

私を虐めた同級生達を相手に怒り狂って暴れた兄の姿を覚えている。

別に粗暴になった訳では無いのだが。

 そして今日、大学を卒業した私と兄貴と結婚する。

 いつまでもお母さんの元には居られないし、お互いが家庭を持つことも考えられなかったからだ。

 兄貴は私を別の男にやりたくなかったようだし、私にしたって兄貴が別の女とイチャつく所など絶対に見たくはない。

 そして今日は挙式の日。私はバージンロードを歩む最中、今までの日々を、そして兄貴と私の日々の決定的な転換点を思い出していた。私が鬼になった日。

繋いだ兄貴の手はどこか温かくて、あの日のように私の心を温めてくれた。

 いよいよ祭壇に辿り着き、

神父が誓いの言葉を告げる。

『病める時も、健やかなる時も、喜びの時も、悲しみの時も、富める時も、貧しい時も、死がふたりを分かつまで、共に愛することを誓いますか?』

「「誓います!!」」

 二人同時に叫ぶ。

 異形の鬼ですら愛したのだ。今更病など壁になるものか。

 私はこの世で一番幸せだ。

 幼い頃からずっと好きだった兄貴と結婚して。幸せな家庭を築いて。子供は三人くらい欲しいかな。子供の成長を二人で眺めて。

 家族みんなでお出かけして。そして。そして。そして。

 家族みんなに看取られて、幸せに死ぬのだ。

 そのために生きてきた。

 だから。大好きの言い方を、教えて。

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