日記男と読者女

名浦 真那志

第1話

 午後3時、女は退屈していた。

 職場のパソコンの前で、ただいたずらにカーソルを動かしていた。

 こう述べると、仕事をさぼっているのか給与泥棒と目くじらを立てる人がいるかもしれない。わずかばかり擁護をするのであれば、年度末と年度始めの繁忙期が終わり、ゴールデンウィーク前の金曜日の午後であった。立て続けの来客や電話対応、山のような契約書類の作成と決裁が一段落したため一息入れている、と形容すれば多少は批判を免れるだろうか。

 とにかく女は退屈し、本日何回目になるかわからないメールのリロードにも飽きて社内の電子掲示板にアクセスした。

「どうせ自分に関係のないことしか掲載されていないだろう」女は思っていた。独身で彼氏なし、角を曲がれば三十路が待ち構えている彼女にとって、育休・産休取得予定の届出や保養施設の割引情報、職員の家族の訃報などは「自分に関係のないこと」だった。掲示板を開いて、スクロールして閉じる。つもりだった。


「派遣日記について」


 シンプルだが今までに見たことのないタイトルを見つけ、カーソルが止まった。タイトル上でダブルクリックするとアップロードされた文書が開く。指先に少し力を入れたその瞬間、

「あ、その日記。私の同期が書いてるんだよ」

 びくっとして振り返ると、隣の席の女性が微笑んでいた。

「そうなんですか」

「そうそう、この4月から岩手に派遣されてるんだけど、結構独特な感じの人でね。日記も地味に面白いよ。恵麻子ちゃんが好きそうな感じ」

「百合さんイチオシならぜひ読んでみます」

 女−恵麻子の部署はお互いを下の名前で呼んでいる。それにフレンドリーさを感じるか馴れなれしさを感じるかはさておき、恵麻子はマウスを握り直し、「派遣日記」を開いた。

 すると、数葉の地図と文章が目に入った。最初は日記ではなく、日記自体の説明の様であった。


 派遣日記

 本社の災害派遣事業の一環で、開発部審査課の秦野 厚さんが4月から1年間岩手県のJ町役場に派遣されています。派遣先では主に農業に関する事業に従事しています。この日記は、派遣先で秦野さんが日々の仕事内容などを綴っています。


 地図は派遣先であるJ町の位置を示している様だったが、地理に疎い恵麻子は岩手県とされる図形と、その中にある丸印を見ても、それがどこで、ここからどのくらい遠いのかさっぱりわからなかった。

 さらにスクロールすると、「秦野さん」が書いた日記の1ページ目が表示された。


4月1日 派遣事業に参加したはいいが、派遣先のことについて日記を書いてくださいと言われた。生まれてこのかた、真面目に文章を書いたことがない私に何をいうのかと思ったが、仕事なので断るわけにもいかない。しかも書いた日記は社内の掲示板に掲載されるらしい。なんということだ…


「何これ」思わず口をついて出た。しょっぱなから派遣先のことが一切書いていない。普通なら初日は辞令を受けたり職場の紹介などがあるはずなのに、全くそれに関する描写がないばかりか、若干日記に対する愚痴まで書いてある。こんなもの社内掲示板に載せていいのか。しかし、

「何この人面白い」

 恵麻子は半ば夢中になってさらにスクロールした。

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日記男と読者女 名浦 真那志 @aria_hums

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