【メガネウラ飛行隊】
夏も終わりにさしかかると、突然トンボの群れを見ることが多くなる。
トンボってのは動きが速くてかっこいいけど、建物の中に入ってしまうとなかなか抜け出せないイメージがある。例えば、学校の体育館の中とかね。脱出できなくて死んじまったやつをみると、なんとなく心が痛む。捕まえて出してあげようとは考えるけれど、やつらの飛行技術はすごいから、そうそう簡単につかまらないのだった。
「えいっ、えいっ!」
昼に珍しく団体客が入って、俺は後片付けに忙しくしていたが、そんな時にふとバイトの芽衣子が掛け声を出しながら棒を振っていたので、俺はちょっとあわてたものだ。
「ちょっ、芽衣ちゃん何してんの?」
「あ、マスター」
もうちょっとで照明をやられるところだったので、俺はヒヤヒヤしつつ、
「危ないでしょ。そんなことしてたら」
「でも、ほら、大きなトンボがいるのよ」
芽衣子がいうとおり、視線の先に大きなトンボがいた。出られないのか、天井にぶつかったり、照明にぶつかったり。
「蛍光灯に当たっててかわいそうでしょ。追い出そうと思って」
「あー、そっか。こいつら、建物の中に迷い込むと出られなくなっちまうんだよな。ちょっと貸して?」
俺は芽衣子から棒切れをもらうと、そっとそこに立ててみる。じっとしていると、トンボは天井に当たりながら飛んでいるうちに棒の先にとまった。
「ま、見てて」
俺はそういうと、昔ながらの方法で指をトンボの前でぐるぐると回す。ある程度回したところでトンボが小首を傾げるようにしたので、俺は猫のように素早くトンボの羽を掴んだ。
「よし、取った!」
「わー! マスターすごーい!」
「ふふふ、まーね」
芽衣子の賞賛を浴びながら、俺は余裕の表情を浮かべるが、内心、失敗したらカッコ悪いのでプレッシャーを感じていたのでホッとしていた。
子供のころはそりゃ昆虫採集くらいしたけれど、それにしたって別にうまいほうじゃあないんでね。
改めて捕まえたトンボを見てみる。かなり大ぶりな体。大きな翠の目に、黒と黄色の縞模様。
「オニヤンマだな、こいつ」
「オニヤンマ?」
「ははー、赤トンボやシオカラトンボは外で見かけるけど、オニヤンマやギンヤンマは、最近はレアだもんな」
俺はトンボをしみじみと眺めて窓のほうに歩いて行った。
「さてと逃してやろうか」
俺は窓を片手で開けるとトンボを離した。
「迷い込むんじゃないぞー」
トンボは慌てて空に逃げ去っていく。その空には、赤トンボが舞っていた。
それをみると、もう秋だな、という気分になる。まだちょっと気温は高いけど。
「でも、ホントに大きいトンボだったわね」
「最近は大きいトンボはあんまり見かけないからね」
「ふふふ、まだまだだな。太古の昔にはもっと大きなトンボがいたのだぞ」
いきなり声が割り込んできて、扉の方を見ると、いつの間にやら橘伊作がキザに眼鏡を直しながら立っていた。バアァアンと書き文字でもつけて立っているような様に、俺はなんだか疲れてしまうのだ。
「なんだ、いたのか? 伊作」
「ア・イ・ザ・ツ・ク」
相変わらず、アイザックと呼んで欲しいらしい。妙に主張してくる伊作だが、俺はいつのもことなのでかるーく流すことにした。
「で、何? 今メシにきたのか?」
「さっきは団体客がいて忙しそうなので、遠慮したのだな。私は天才だがそれぐらいの気遣いはできるのだ。偉いだろう」
「はいはい、それはありがとうございます」
俺はまともに取り合わずに、伊作を席に座らせた。俺としても忙しい時に、こいつを相手にするのは面倒くさい。伊作には常識というやつが欠けているが、それくらいの気遣いができてよかったと心底思った。
「伊作さん、大きなトンボって何?」
芽衣子がよせばいいのに、そんな風に話を振る。
「アイザックだというに。しかし、さすが芽衣子女史だな。そこの男とは志が違う」
伊作は俺にちょっと皮肉を言いつつ、得意になった。
「太古の昔にはオニヤンマどころでない大きなトンボがいたものなのだ。その名もメガネウラ」
「え、えっと、め、めがね浦?」
「地名ではなく学名がメガネウラなのだ。石炭紀を生きた巨大なトンボの祖先だな。翅を広げて七十センチほどあったという」
例のように、とうとうと説明し始める伊作。
橘伊作は、最近昔の生き物にはまっている。その辺の知識は正直ニワカであるが、こいつは凝り性なので厄介だ。説明が長々と続いてしまう。
「ま、今回は私もいろいろ考えた。私のつたない説明では、魅力を伝えきれないであろうと」
「つたない自覚あったんだ……」
俺の突込みは聞かなかったふりをして、伊作は持っていた紙袋を机にあげてきた。なんだか嫌な予感がする。
「今回は、私が試作しているラジコンメガネウラの原型をだな……」
とガサガサ紙袋から巨大トンボの模型を出してくる。テーブルの上がでかいメカトンボで占拠されてしまった。
「うわ、でかっ。なんで原寸大で作るんだよ」
「原寸大で作らないと魅力が伝わらないだろう?」
「わー、すごく大きいわね。でも、これだけ大きいとなんかこわい」
「ん、確かに。昆虫間近でみたときの、ちょっと怖い感じがする」
「迫力があるといいたまえ」
伊作がやや不服そうに言う。まあ、確かに、迫力はある。
しかし、研究が進まなくていつも締め切りに追われているくせに、この男、隙間時間で何を作っているのだろう。やたらクオリティが高いのが余計にどうかと思う。
「しかしだな」
隅々まで眺めていて、俺はちょっとだけざわつくものを感じて目を瞬かせた。
「これ、ちょっとなんかに似てないか。なんか、こう、飲食店にいてはいけない感じのなにか……」
そう、何かを彷彿とさせる。黒くて、サカサカ動いて、嫌悪感倍増する、想像したくないアイツ。
「まあ和名はゴキブリトンボというらしいからな」
伊作がけろりとそんなことをいう。
「何かににているとしたらそれかもしれん。そういわれると似ているな」
やっぱりか。とおもったが、伊作は模型をガシャガシャいじりながら、満足げに言った。
「しかし、それだけ私の模型がリアルだということだな! よし決めた! 完成したらこの殺風景な店に、優雅なオブジェとして寄贈してやろう! ほかにも巨大シダ植物とかほしいな」
「いやいや、飲食店だから! 黒いやつは無理だから! っていうか、俺の店を勝手に太古の森にすんなよ」
釘をさしておかないと、本当に何を置かれるかわかったものではない。
伊作のやつは凝り性で、しかも技術だけはあるのだ。留守をして帰宅したら、店が太古の森になっていたらどうしよう。
俺はそんな不安を覚えるのだった。
*
うるさい常連客である立花伊作がランチを食べ終えて帰ったころ、ようやく俺にも平穏な時間がやってきた。
しばらく客も来ないだろうから、俺は芽衣子に足りなくなっていた食材の買い物を頼んで店番をしていた。
時間は午後二時。
客は誰もおらず店内はがらーんとしている。まあたまにはいいさ。今日は団体客がいたから、ちょっと疲れていたし。
商売人としてはどうかだが、俺はこういう一人の時間が結構好きなのだ。
しかし、そういうことを考えていると、大体次の客が来る。今日もそうだった。
ふと扉が開いて、ベルの音がして、客が入ってきたので、俺は慌てて居住まいを正した。
と、俺はふと客の様子を見て、おや、と思ったのだった。目を引く客だった。
入ってきたのは、三十がらみの男だ。キリリとした男前でほっそりしているが背は高い。何より印象深いのは、ちょっと時代遅れ感のあるデザインのフライトジャケット。首元にはスカーフを巻いているが、そのスカーフが、なんといえば良いのか、不思議な透け方をしたものだった。光の加減で七色に輝く。
なかなかの男前。服装もあって、俳優さんかなと思う感じの。
よく考えるとフライトジャケットなんて、ちょっと今頃、不自然だ。
「あ、いらっしゃいませ。どうぞ」
「珈琲を貰えるか」
無骨という感じがする。とっつきにくいけど、別に愛想が悪いってほどでもない。
なんだろうな、なんとなく軍人みたいな感じだが。いやでも、この町はそんな軍人のよるような場所でもない。
案内すると、男はジャケットを脱いで丁寧にたたんで椅子にかけていた。やっぱり暑いのは暑いのだ。ちょっとだけほっとする。
珈琲を準備していると、ふと彼の方から声をかけてきた。
「先ほど私の部下が、こちらで騒いだようで申し訳なかった」
そういわれて、俺は一瞬きょとんとした。
「え、部下? ああ」
もしかして賑やかな団体客のことだろうか。そういや、彼らの中にフライトジャケットを持っていた人物がいた気がする。
「ああ、いえいえ、お構いなく」
生真面目に言われて俺は苦笑した。
「たまには賑やかな方がいいぐらいですし、ありがたいぐらいですよ」
「そういっていただけるならありがたいが」
どうぞ、と俺が珈琲を差し出すと、彼は短く礼をいって受け取る。
それからミルクと角砂糖をいきなり五個ほど入れてぐるぐると混ぜていた。ちょっとびっくりしたが、顔似合わず甘党なのだろう。
「あのー、もしかして、パイロットの方ですか?」
役者でもおかしくない男だったが、部下と言っていたし、フライトジャケット。この近くには小さな飛行場があり、たまにセスナなんかが舞い降りることがある。あんな団体で見たのは初めてだが、何かイベントごとでもあったのかもしれない。
「ああ、飛行の練習をしていてここに立ち寄った。私が隊長をしている」
隊長というのがぴったりな雰囲気だったので、特に違和感はなかった。俺はその時は特に不自然にも思わずに話を聞いていたものだ。
「へえ、そうなんですか。俺も実は免許持ってるんですけどね、空を飛ぶのって気持ちいいですよね」
「ああ。しかし、今日は私の指示がよくなくて、一人、隊列を乱してしまった」
隊長がそう言った。
「実は、私は部下に比べて飛行技術が劣っていて、……それで彼らに合わせているうちに、指示が遅れてしまったのだ」
と、彼は珈琲を口にしながら、窓の外に目をやった。彼の視線をおいかけると、自然と窓の外に行く。窓の外では、赤トンボが飛び回っていた。
「彼らより図体は大きいのだが、それだけにうまく飛べなくてな」
と急に隊長は、落ち込んだ風だった。
「そんな私が隊長やってていいのか、と時々考えるのだ……。先ほど部下の無事を確認したものの、そう考えてしまって、それで一人で休みたくなって、ここに来たのだが……」
「そうなんですか」
俺は、隊長が話し相手を求めて俺の店に来たんだなと理解する。
「いやでも、大きな機体を飛ばすことができるのも、また技術ですし。得手不得手は誰にでもあると思います」
と俺は言った。
「それに技術が凄いだけでリーダーにはなれないものですよ。多分、隊長さんにはそういう素質があるんじゃないでしょうか」
なんとなく、俺は彼が他人に思えない気がした。俺にも、そういうことでちょっと身につまされる部分はある。
「それなら良いのだが……」
と彼は苦笑した。
「でも、これも何かの縁です。せっかく俺の店に来てくれたんですし、どうせなら元気になって帰ってくださいよ」
俺はそういって、
「もし、甘いものが大丈夫ならパンケーキとかどうです? ご馳走しますよ」
そんな風に声をかけると、彼は少しうつむきつつ、
「恥ずかしながら、甘いものは好きでな。お願いできるだろうか」
「もちろんですよ」
俺は彼にパンケーキを用意する。
焼きたてのパンケーキの上にホイップクリームをのせて、その上にたっぷりのベリーをのせる。
俺は特別甘党というわけではないけれど、甘い香りは幸せの香りだってきいたことがある。落ち込んでいるときに甘いものを食べると、ちょっとだけ元気になれる気がするものだ。あくまで、俺の場合は。
甘い香りの中で、隊長とは色々話をした。空の上の話、風を切る音の話。
彼の話は、彼と同じく無骨で古めかしいが、彼の外見と同じく、ちょっとばかり格好いい。
気が付くと、一時間ほど話し込んでいた。
ふいに扉のベルの音がなって、時間の経過に気付いたほどだ。
「あ、隊長。こんな所にいたんですか?」
彼は扉を開けるなり、そう声をかけてきた。
まだ若い青年で、やはりすらっとした細身。隊長と同じようなフライトジャケット。ただ、ズボンは黄色と黒のストライプ。
「なんだ、そんな入り方では失礼だろう。静かに入れ」
「あ、すみません」
隊長に怒られて、青年はぴょこんと頭を下げた。なんとなくどこかで見た気がするが思い出せない。
「いえいえ、お構いなく。そんな上品な店でもないですし」
俺が取りなすと、彼はため息をついた。
本当は落ち込んだり、恥ずかしがりながら甘いものが大好きだったり、結構かわいいところのある隊長だが、部下の前ではあくまできりりとりりしい。なるほど、この調子だと結構ストレスもたまるだろうな。
「で、なんだ」
「い、いえ、隊長がいなくなったんで、みんなで探してたんです」
「先に出発していろと言っていた筈だが」
隊長がそういって突っぱねる。
なるほど、落ち込んでいるところを見られたくなかったので、そんな風に言っていたのだろう。
「いや、でも、隊長がいないと、怖くって長距離は飛べないんですよ」
部下の青年が、不安げに言った。
「隊長がいれば、敵は近づいてこないですし」
敵? ちょっと物騒な言葉だ。聞き間違えかなと思いつつも、まあ、世の中にはいろんな敵がいるので聞き流すことにする。
「隊長がいてくれないと困るんですよ。早く戻ってきてください」
「まったく」
そんな風にお願いされて、隊長はちょっと髪をかきやる。実は照れているのかもなと俺は思いつつ言った。
「わかった。戻るから先に帰っていろ」
「本当ですね。よかった」
青年は安堵して人懐っこそうな笑顔を向けると、俺のほうをみた。
彼はそういうと、軽く会釈して店から出て行った。彼と目が合う。青年は、綺麗な翠の目をしていた。
「それじゃあ、マスターさん。二度もお騒がせしてすみませんでした」
「ああ、いえいえ」
二度も? ああ、ランチを食べに来てたってことか。しかし、彼みたいな目立つ服装の人はいなかった気がするのだが。
「ほら、やっぱりね」
と、俺は隊長に行った。
「やっぱり隊長さんは隊長さんじゃないか。皆、隊長さんが必要なんだよ。頼られているんだから、もっと自信もって」
「それなら良いことなのだが」
彼は照れたように笑うと立ち上がった。
「あ、お客様?」
ふと見ると、いつの間にか扉の外に芽衣子が買い物袋を手に佇んでいた。
「ああ、ずいぶん長居させてもらったな。それでは、そろそろ失礼する」
隊長はそれを契機に帰ることにしたようだ。
「ごちそうになった。ありがとう」
彼はそういって微笑み、俺に勘定を渡した。
何故か今まで気づかなかったが、隊長の瞳もまた不思議な澄んだ翠をしているようだった。どこかで見たような色だと思った。
なんだろう。子供のころに、見たことがあるような。
隊長は颯爽と店を帰っていった。
「さっきのお客さん、とってもカッコよかったなあ。もっと早く帰ってくればよかった」
芽衣子がそう言って胸に手を当てる。
「マスターも、あんな美形のお客さんが来ているなら連絡くれればよかったのに」
芽衣子がそんなことを言いながら、冷蔵庫に買ってきたものを詰め込む。
「ちぇっ、芽衣ちゃんもずいぶんとゲンキンなこと言うなあ」
俺はそういいながら、後片付けをする。
「だって、このお店、あんまりオシャレじゃないから、さっきみたいな役者さんみたいな人はたまにしか来ないもん」
「それはそうだけどね。……うん、もっとオシャレなお店を心掛けるよ」
俺は芽衣子にそう弁明しつつ、ふと窓の外に目をやった。窓の外の日差しは、少しだけゆるやかで秋の気配が漂いつつある。
「あれ?」
俺はふとあることに気づいた。窓の外で飛び交っていたトンボがいないのだ。
「あれ、さっきまであんなにたくさんいたのになあ」
鳥にでも追われていったのか?
そんなことを考えながら窓辺に立つと、空にトンボがたくさん飛んでいくのが見えた。
しかし、俺が見たのはそれだけじゃない。
そのトンボ達の中に、ひときわ大きな個体が混じっているのだ。周りのトンボ達の四倍以上の大きさの、見たこともない形のトンボだった。
「あれは……」
「マスター、これ、卵はどこにおいたらいいの?」
芽衣子に呼ばれて俺は一瞬我に返った。
「あ、そ、そこで。後で俺が片付けるから」
芽衣子に適当に答えて再び空に目をやるが、トンボの群れも大きなトンボもまるで雲に隠れるようにしてもう見えなくなっていた。
「そっか」
俺はため息をついた。
「意外と店においても、すごくかっこいいかもしれないな。あのでっかいトンボの模型」
俺は伊作のもってきたあの模型を思い出していた。けれど、伊作にそれを許可すると、大変なことになりそうで、俺はちょっと苦笑した。
「流石に石炭紀の森の中再現とかされたくはないんだけどね」
俺の独り言が聞こえたのか、芽衣子が怪訝な顔をした。
古生物かふぇ 錨亭 渡来亜輝彦 @fourdart
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