終章

第30話

 柔らかな午後の日差しが邸の前庭をきらめかす。植え込みの青葉からは温かな息吹が感じられ、見る人が見ればさぞかし心を癒やされるに違いない。

 贅沢にも自室に設けられたガラス張りのベランダからそれをかんする僕の幼なじみにしてみれば、すっかり見慣れてしまって感慨のかの字すらないだろうけど。

「――探索者としてならどこへだって行ける」

「うん?」

「そう考えていた人間が座して迎え撃つだけのTRPGを生み出すだなんて、本末転倒よね」

 おうてんぜんとした様子で両手を太ももの隙間に据える。腰を落ち着けているのはただの椅子でなく、もう何年と付き合いのあるだ。

 小学校入学を翌年に控えていたかつての夏。彼女は交通事故に見舞われ、ズボンばかりか、靴の片方さえ満足に履けない体になってしまった。義足では補助しきれないほどに両足の機能を奪われたのである。

 以来、桜花の毎日にこの両輪は欠かせなくなった。さりとて親しんでもいないようで、学校ではことあるごとに教室の椅子を使っている。己が家柄をうとむのと同様に、自分だけ特別扱いされるのがどうにも我慢ならないのだとか。

 けして相応の道レールに甘んじず、進みたい道を切り開こうとする。

 本当に、お前は強いやつだよな。

 ――それはさておき、僕の幼なじみが着ている半袖のブラウス。

 ろうそくの明かりだけでは気づかなかったけど、いざこうして見ると風邪が心配になるくらい薄地だな。

「僕のパーカーでよければ羽織るか?」

「どうして懐人はキンギョソウのような気遣いしかできないのかしら。そういうお世話は目に見えて必要なときにするものよ」

「いらないならいらないってはっきり言えよ」

「言っているじゃない。ただ、高尚すぎて子どもには理解できないだけ」

「はいはい僕はその程度の子どもですよ」

 皮肉でもなんでも花言葉に訳したがるのが大人だとは思えないけどな。

 まあ『よくわかんないけど頭良さそう』って感じの子ども騙しになってるせいか、学校ではあれでいい具合に歯に衣着せぬ性格を中和できてたりする。長い目で見れば一長一短な口癖なのかもしれない。

「……そんな子どもに負けてしまったのね、私」

「物語の嘘はふたつで、うちひとつを当てて、ひとつを外した。ルール的には引き分けだろ」

 ――そう、引き分け。

 僕と桜花のトークオブトリップは、ほかに類がない意外な形で終幕したのである。

「私にとっては負けたも同然なの」

 桜花はいくらか語気を荒らげる。

かいの嘘を見抜けなかった。それはつまり、懐人の心にきちんと触れられなかったということ。もしこのまま懐人がアジサイのような人になってしまったらと思うと、私、不安でたまらないわ」

「アジサイの花言葉なんか知るかよ」

 そんな僕のすげない台詞を、桜花は「図鑑でも見て学びなさい」とがいしゅういっしょくした。

 花言葉って俗にそう呼ばれてるだけで特に定義されてるわけじゃないし、ましてや国によっても差異がある。図鑑1冊では片付かないテーマだ。よっぽどのことがなきゃ調べたくはないね。

「そんなにいやそうな顔しないの。望むのなら寝物語に読み聞かせてもよくてよ?」

(ページ数が多すぎる……)

 さてはお前、寝かす気ないだろ?

「そういうのは知子ちゃんにしてやりなよ」

「どうして彼女なんかに」

「いわく夜更かししてたそうだ。寝かしつけるにはあつらえ向きの相手だろ?」

「そう。どうりで居眠りをしていたのね」

「のび太くんみたいにね」

 そんなたわいない一言が僕と桜花を揃って吹き出させた。

 正直なところ、聞き手との攻防に集中していたとはいえ、トークオブトリップの途中からやけに静かだとは思っていたんだ。よもやセッションの進行と監督を担うキーパーが肘掛け椅子に座ったまま眠りこけていただなんて、予想だにしなかったけどね。

 今ならトークオブトリップの勝敗を偽るぐらいわけもない。いわゆる審判も観衆もいないゲームなんだから当然だ。

 それくらいは桜花もきっと気づいてる。気づいててなお言及せず、こうしてあたかも淑女らしくゲームの余韻に浸っているのだろう。

 ではなぜ引き分けをああも悔しがっていながら、その結末を非としないのか。

 嘘偽りを許すほうがもっと嫌いだから?

 そも、嘘つきだとわかりきってる相手をなぜトークオブトリップに誘った?

(……考え出すとますます妙に思えるな)

 なにより、あの一騎打ちには最大の謎が残っている。

 ずばり僕専門の嘘発見器ポリグラフだった桜花が、あろうことか嘘のすべてを見破れなかったということだ。

「ひとつ聞いておきたいんだけど、いいか?」

「なあに?」

「セッションのことでふと気になってさ」

 僕は体を反転させてベランダの手すりに背中を預ける。

「ふたつ目の嘘、どうしてお前は10番だって思ったんだ?」

「当てられなかったことへのいやみ? それとも当てつけかしら?」

「気になっただけだよ。あんなの初めてだったからさ」

「そう」

 桜花はいかにも気乗り薄な返事をした。

「お前が当て推量なんかしないだろうし、推理にしたって筋は通すだろ? ああ、もちろん答えたくなければそう言ってくれて構わないよ」

「別に、たいしたことではないわよ?」

「じゃあなんだよ」

「……ありえないって」桜花は目を伏せる。「あの懐人が、ヒエンソウのように女の子を遊びに誘うとか万にひとつもありえないって、そう思ったの」

「はあ?」

 幼なじみのあらぬ誤解にたまらず僕は頓狂な声を漏らしてしまった。

「な、なんだよそれ。まるで僕が根暗だって言ってるみたいじゃないか」

「違うというのなら胸を張って答えなさい。市長の息子でも、ゲームクラブ副部長としてでもなく、ひとりの人間として付き合える友だちはできた?」

「ふぐっ!? …………できてません」

 僕は僕にあてがわれた相応の道レールをさも当然のように歩んでいる。市長の息子なんて大それた肩書き付きとして、仕方なく、納得ずくで。

 おかげで今なお学校の人間が相手だとあけすけに心を許せずにいる。

 面白いやつ、軽いやつ、楽しいやつ。

 いろいろと試行錯誤した末に作り上げた仮面を外せなくなってしまったのだ。

 ――ただひとり。

 安心しているような、バカにしているような、えもいわれぬにこにこ顔で見つめてくる僕の幼なじみを除いて。

「そう。……よかった」

「なにがいいもんか。どうせ僕なんかに友だちは作れないってか」

「アマドコロ」

「唐突なクイズやめろ」

「ふふ」

「ごまかすな!」

 僕は地団駄を踏みながら桜花にまっとうな文句をぶちまけた。

 だっておかしいじゃないか。『元気を出しなさい』なんてことさら劇的でもない一言、幼なじみなら臆面なく言えばいいのに。

「……面倒なやつめ」

「あら、なにか言った?」

「別に」

 僕は桜花の機嫌を損なわせないよう、こともなげに腕組みしてみせる。

 今回のセッションに勝者はいない。クラブ活動に平穏をもたらしたい僕のみならず、僕に――なにを企んでいたのかはさておき――言うことを聞かせたい桜花の目的も果たされずじまいだ。

 つまるところ、僕たちのトークオブトリップは続いている。ゲームクラブの副部長である僕が途中で降りるなど許されそうもない。

 ああ、まったくもって面倒さ。こんな状況へともつれ込ませたやつにはうってつけな形容詞だろうよ。

 さもなければ、そうだね――。

 嘘つきロキに対する好敵手ヘイムダルのように、およそ僕には欠かせない「楽しいやつ」とでも言っておこうかな。

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トークオブトリップ -信頼できない語り手のTRPG- 水白 建人 @misirowo

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