第29話

(――やれやれ。冷静に考えれば、バースデーケーキぐらいおめでたい話じゃないか)

 未知のプレイヤーで思考をかくらんする盤外戦術といえば聞こえがいいけど、やってることはあからさまな裏工作にすぎない。

 いや、これじゃ裏ですらないな。あまりにも違和感を覚えさせるってことは、とりもなおさず作戦を前面に押し出してるってわけだし。

 いくらか誤算はあったものの、たちどころに嘘を見破らせないギミックとしてはひとまず機能している。ここは立案してくれた後輩女子の顔を立てるつもりで、作戦自体は功を奏したと考えておこう。

 そも語り手がトークオブトリップを制する決め手はじゅつこうせついかんにかかってるんだ。こうなったら仕込んだ嘘のひとつやふたつ、自力で隠しおおせてやる。

「それで、誰なの? この木暮ナコを演じたのは」

「《質問の権利》を使った質問は『はい』か『いいえ』で答えられるものでなければならない――お前が作ったルールブックルルブにはそう書いてたはずだけど」

「ゲームに直接かかわりがない質問なのだからいいじゃない」

「キーパーとして認めませーんっ! だめですー!」

「だそうだ。悪いな桜花」

 あたかも審判を味方につけたノーコンピッチャーみたいできょうかもしれない。

 だけどしょせんはいっときの気休め。桜花相手じゃこの程度、ハンデにしたってささやかなものだよ。トークオブトリップにおける黒星の代名詞たる僕が責任を持って保証しよう。

「意地悪いこと」桜花はほんのりむくれる。「またしてもアニスのように女の子をろうらくしてしまったのね」

えんざい的推理やめろ。僕は籠絡なんかしちゃいない」

「けれどもという点は否定しない。私と成海さんをおいて、ゲームクラブに花の女子部員なんてひとりもいないのに」

「……お前が無理に揚げ足を取ろうとしてるだけさ」

 僕は知子ちゃんの二の舞を演じまいとして平静を装う。

「ならば問いましょう。『木暮ナコを演じたプレイヤーは女の子?』」

 おいおい、こんなあっさりと《質問の権利》を使うのかよ。そりゃ手札を浪費してくれるならこっちとしては嬉しい限りだけど、なんだか腑に落ちないな。

 で、質問の中身だけど、はなはだ本筋を逸しており、嘘を暴く一助にさえならないと判断できる。だから僕は回答を偽ることなく事務的に「ああ」とだけ答えた。残り2回の《嘘の権利》を温存するにやぶさかでなかったのだ。

「……あの懐人が……? ……まさか、ね」

 回答を得るやいなや、桜花はきっと唇をとがらせる。おおかた《質問の権利》をいたずらに使ってしまったと悔いてるんだろうさ。

「さて、次はどんな質問をするんだ?」

「……ふたつ目。時系列を1番から3番に限定して問うわ」

 1番が以須野先生を待ってる場面で、3番は――確か生け贄をささげろーみたいなことを言われた場面だな。

「『未知の領域を探索する以前のあなたと木暮ナコに、部員を越えたつながりはあったの?』」

「つながりって、なんだその質問?」

「言葉どおりの意味よ」

(そんなことを聞かれたから不思議がってるんだが)

 またしても質問の矛先がナコちゃんに向けられた。違和感の根源には違いなく、つまびらかにしたいのもうなずける。

 しかしまあ、ずいぶん意識するもんだ。僕が潜ませた嘘との関係自体は希薄だというのに。

(ただの見当違い――なんて、さすがに楽観的かな)

 桜花には僕の想像を軽くりょうするだけの才覚がある。加えてあいつはどうも僕への手加減を好まない。ねじ伏せるかのように全力でもてあそぶプレイをもっぱらにするんだ。

 無意味に思える質問だって、僕をとことん追い詰めるための布石だとしたら――。

「質問に答えなさい。つながりはあったの? なかったの?」

「なんですって?」

「捕逸くんとナコちゃんには部員を越えたつながりがあったと、そう言ったんだ。なにも聞き直すほどのことじゃないだろ」

 僕はしれっと嘘をついた。めず臆せず、手札を切って。

 有無さえ不確かなトラップといえど、はまれば最後、桜花のペースに飲まれてしまう。

 すべては考え得る最悪の可能性を重く見たがゆえの即断である。

(ど、どうだ……?)

「ふうん。そう」

《嘘の権利》を行使した水面下での抵抗。

 だがしかし、桜花はひるむどころか眉ひとつ動かさなかった。

 ……困ったな。マジで困った。

 物語に仕込んだ嘘はふたつ。さっきの分を含めると《嘘の権利》はすでに3回も消費してしまっている。

 あと1回しかない権利で桜花の追及をしのげるのか?

(……いや、悩む必要なんてなかったな)

 クラブ活動をじゅうりんする桜花への抗議が当初の目的だったけど、今こうして僕たちがやっているのは論争でもなんでもない。あくまで遊び、紛れもなくゲームである。

 それにもし知子ちゃんの言ったとおりなら、桜花は退屈な心を慰めたいがためにあのような暴挙を続けていることになる。続けているのだから、未だ満ち足りてなどいないはずだ。

 ならば、進むべき道はただひとつ。

 相応の道レールより単純で、けれども表街道オフロードよりゆったり楽しめる遊歩道プロムナードこそがふさわしい。

「……あらまあ、懐人たらなにを笑っているの?」

「クク、人が笑うときってのはたいがい楽しいからさ」

「ケイトウのような強弁はやめなさい。そんなもの、勝負においては気慰みにさえならないわ」

「勝負だって? ハハハ、とんでもない」

 僕はステレオタイプの道化役者さながらに、努めてコミカルに顔をほころばせる。

「TRPGは歓談と演技を楽しむゲームさ。たとえそれが、真偽を巡って舌戦を演じるトークオブトリップであったとしても!」

 在りし日の惨劇に決別を。

 マンネリの悲劇に幕切れを。

 盤上の寸劇にときめきを。

 行く末の喜劇に――夢見心地ハピネスを。

 今こそ誓おう。これよりきざす劇的なひとときをもって、幼なじみの遊び心を燭台の火すら曇らす輝きで満たしてみせるよ。

「トークオブトリップの生みの親でありながら説法されるだなんて、イチイのような気分だわ。懐人は負け惜しみまでセンスがないのね」

「そういう桜花は相変わらずロマンチストだな」

「なにが言いたいのかしら」

「決着はまだついちゃいない。白星なんか夢見る前にゲームの相手を見たほうがいいぞ」

「そう。ならカンパニュラのように教えてあげるわ。懐人ごときでは私の相手になんかならないって」

 冷ややかだった桜花の目の色が変わる。性懲りもなく刃向かってきた雑魚を一蹴してやろうという雰囲気はたちまちかき消え、見る間に闘争心のような熱感を帯びていく。

 彼女が仏頂面をしている理由だけど、あいにく幼なじみの僕にもさっぱりだ。聞いたところで返ってくるのは花言葉のレトリックが関の山だろうし、なによりゲームへの興がめてしまっては僕の決意が水泡に帰する。

 ここはひとつ、言わぬが花ってことにしておこう。

「3つ目の質問よ。『露木捕逸は《かつての被害者の記録》を見たことで正気度を喪失した?』」

「ノー」

「『露木捕逸は本当に《カギを守る狼》を倒したの?』」

「じゃあグレンデルは? 『懐人はたったふたりの探索者であの怪物を倒したの?』」

(グレンデルって……あのセッションにそんなの出てきてないぞ?)

 僕の記憶が確かなら、イギリスで最も古い伝承文学『ベオウルフ』に出てくる食人鬼――だったはずだ。もしかして《ゲーム倶楽部》の以須野先生が召喚しようとしてたのはこの怪物だったのか?

 とにもかくにも、捕逸くんたちが戦ったのはあくまで以須野先生と1匹の狼。《嘘の権利》を使い尽くした以上、ほかに答えようもない。

 悩む段階はとうに過ぎている。下手に時間を使って怪しまれるぐらいなら、いっそすがすがしくうそぶいてやろうじゃないか。

「ノーだ」

「……そう」

 桜花は真剣な飲み込み顔を小刻みに上下させる。やがて彼女は気持ち前のめりに姿勢を崩すと、溶けかかった灯火を照り返すまなこでこちらをひたとうかがい始めた。

 これでもかと時間をかけて注がれる鋭い視線。

 延々引き延ばされていく時の重み。

 いずれ劣らぬプレッシャーであり、すでにしてどうを打っているノミの心臓にはとても耐えがたい。かといって疑惑を向けられてる語り手の立場にあっては、言い出す言葉も見つからず――。

 結局、僕は桜花が「もういいわ」と告げるまでの1分間、無理やり固唾を呑まされながらもそくえんえんたる心をくらまし続けたのだった。

「――TRPGは歓談と演技を楽しむゲーム。あなた、確かにそう言ったわよね」

 僕は黙って首肯する。

「なら、せいぜい信頼できない語り手に徹しなさい。推理ショーで慌てふためく容疑者よろしくヘチマのように映ったあかつきには、私の目を喜ばせられるかも知れなくてよ?」

「お前の推理次第だな」

「調子のいいこと」

 そのとき、桜花の口元がほんの少しだけゆるんで見えた。

 目つきに反して柔らかく、どこか懐かしくもある。

 僕の幼なじみってこんな表情もするんだな。

「露木捕逸の物語に潜んだ嘘はふたつ。とりわけて9番は質問ひとつで見破れるクマガイソウのようだったわ」

(いきなりドンピシャかよ)

 ちなみに9番は、捕逸くんたちの告発によって以須野先生と《ゲーム倶楽部》の運命が決まった場面だ。

「グレンデルを倒したのか――この問いにあなたは『ノー』と答えた。これを真とすると、探索者たちは9番の時点で人間としての以須野先生を殺めたことになる。にもかかわらず事件を公にしながらとがめを免れ、穏やかな結末を迎えられるだなんてありえると思う?」

(……、だって?)

 異な事を。まるで以須野先生が人間以外のなにかに変身できるみたいな物言いじゃないか。

 それともなんだ? あのとき先生は『ありえざるものを現出させる』とか言ってたけど、もしかして自分をしょくばいにするタイプの《魔術》で成し遂げようとしてたのか?

 ああくそ、セッションに出てこなかった情報で攻められるなんて聞いてないぞ。シナリオ制作者が聞き手側に回るとかやっぱりアンフェアだろ。

「ひるがえってあなたの回答を偽としても、今度はグレンデルと化した以須野先生を生かしたまま事件を告発したことになるから、やはり平穏は訪れない」

「その理屈だと結末が」

「結末がまったくの嘘だとしたら――なんて理屈をこねてもむだよ。ごく部分的でなければ物語に嘘をつけないとルールに定めてあるもの」

(さすがに忘れちゃいないか)

「もちろん嘘で固めればパイナップルのように結末をゆがめられるでしょうね。《嘘の権利》を使い果たした上で私の問いかけをしのぐつもりなら、ね?」

 つくづくいやらしいやつめ。僕がそんなリスクを冒せる玉じゃないってわかりきってるくせに。

「よってひとつ目の嘘は9番よ。間違いないわ」

「豪語するのは結構だが、間違ってたら恥ずかしいぞ」

「自分から答え合わせをしてくれるのね」

「なんだって?」

「あなたが軽口をたたくのは決まって裏があるときよ。自覚がなかったの?」

(う、嘘だろ……!?)

「……もう、懐人たら」桜花は笑いをかみ殺す。「こんなの嘘に決まっているじゃない。……ジャスミンのように目を丸くさせて、おばかさん」

「おまっ、お前なあ!」

「信頼できない語り手がいるのだから、信頼できない聞き手がいても不思議はないでしょう? いったいなにが気に入らないのかしら」

 桜花はいきり立つ僕を前にして、なお嘲笑を絶やさない。そりゃそうさ。うまいこと自分のペースに持ち込んで、見事に語り手の口から嘘を白状させたんだからな。

「さあ、戯れは終わりよ懐人。私に虚勢を張ったこと、後悔させてあげる」

 もはや形勢は決した。桜花の話術にしてやられた僕にはもう、盤面を覆すすべなど残されていない。せいぜい奇跡に等しいミスを祈るくらいが関の山だ。

 信頼できない聞き手による決着チェックメイトの一手が今、示される。

「物語に潜んだもうひとつの嘘は――」

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