後編
半年が経過する頃、俺にも彼女ができた。
彼女――レシーメージェンは地元の人間で、俺が証明写真の操作に慣れていない頃に、指南してくれたことがキッカケで友人になった女の子。
アパート付近の店しか知らなかった俺は、メジェに連れられて郊外に出掛けるようになり、講義が終わったあとや週末など、共に過ごす時間が増えていった。
とある四連休の日。
交通機関が混雑し、夕刻までの帰宅が困難となって、仕方なく泊まることを選択。
しかし、同じ目的の客が集中したため二部屋を確保することは難しく、同室に泊まることになり――
まあ、つまり、そういうことだよ。
学生アパートは男女別に棟が分かれているが、異性を部屋に招き入れること自体はご法度ではないらしい。
これは、同アパートに住んでいる先輩から教わったことだ。
女を連れ込んだ時、言及も干渉もしないというのが、暗黙のルール。
だから俺も彼女を招き入れていたし、なんだったら泊めたりもしていた。
一人暮らしって最高だな。
バイトも始めて、交遊関係も広がった。
俺は、楽園都市生活を満喫していた。
享楽の日々であったといえるだろう。
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無事に進級して二回生となり、メジェとは違う講義を受けることも増えたが、昼食を一緒に取るなどして、交際は順調だ。
証明写真が提示する案内には、女性用の商品も出てくるようになった。彼女の物を一緒に支払ったりすることもあるからだろう。
俺のライフスタイルに彼女が侵食するようになり、付き合って一年が経過する頃に変化は訪れた。
大学近くのマーケットでバックヤード要員として働いていた俺は、在庫確認のためにめずらしく店内に出て、そして男と連れだって歩く彼女の姿を発見したのである。
相手は見たことのある顔だった。
というか、同じアパートの先輩だった。
女を連れ込む時は、そ知らぬ振りをするもんだぜ――とニヒルにかました、あの先輩だったのだ。
外星人って、どんな感じの人なのか、興味があったのぉ。
あたし、生まれてからずっとゾール55に住んでるからさぁ。
レシーメージェンは悪気なくそう語り、俺たちは別れた。
ちなみに先輩は謝ってくれた。
浮気相手は俺の方だったからだ。
先輩がメジェと別れたのかどうかまでは知らない。
不干渉が暗黙のルールである。
失恋ぐらい、なんだというのだ。
男女が別れるなど、ありふれた日常のひとつであり、些細なことだ。
そう思っていたのだが、彼女がいた事実を、忘れようにも忘れさせてくれないのが『証明写真』というシステムであった。
“お買い得商品が入荷しました”
チリンと軽やかなお知らせ音とともに表示されたのは、レシーメージェンが愛用していた化粧品。今の俺にはまったくもって必要のない物である。
俺は苦い気持ちを抱きながら、その文字を見送った。
デートで行った国営公園に課題で訪れた際には、証明写真さまはご丁寧に教えてくれやがる。
“八回目のご来訪、ありがとうございます”
“前回から半年経過したため、ポイントは失効されております”
ああ、そうだよ。
ここが最後のデート場所だったよ。
だから来ないようにしてたんだよ。
うっとうしいことに、関連情報としてポップアップが立ち上がり、以前に園内で撮影した画像をサムネイルで表示するものだから、俺と彼女がふたり並んでポーズを取っている写真が、嫌でも目に入る。
証明写真の履歴は勝手に操作が出来ない。
それらは、国家が管轄しているものだからだ。個人が改竄を行えば犯罪となる。
犯罪を防止するために義務づけられているシステムなのだから、当然といえは当然なのだが、彼女に関連した場所を訪れるたび、思い出が主張してくるのは正直キツイ。
付き合っている時は重宝していたその機能が、今となっては憎々しくてたまらない。
子供の頃の記憶だとか、日常にまぎれて思い出せなくなったものが残っていくのは良いことだと思うが、世の中には忘れてしまいたい記憶だってあるはずだ。
嫌なこともそうだが、恥ずかしいことだってある。
訪れたとあるホテルで証明写真が告げた言葉に、俺は逃げ出したくなった。
“二回目のご利用、ありがとうございます。今回も二名様でよろしいですか?”
よろしくない。
“モリノユウヤさま、レシーメージェン・ヴォ・レギューヌさま でよろしいですか?”
だから、よろしくねーんだよ。
拷問だ。
避妊具を用意するな。
なんの辱しめなんだ、これは。
一度そう感じてしまえば、あとは転がり落ちるように、思考は負の方向へ流れていく。
いらっしゃいませ! 605回目の入店です。
この建物に入ったのは、10329回目です。
9989歩です。
本日の健康状態は87%。カルシウムが8%不足しています。オススメ商品はこちら。
前回の来訪から59日経過しています。
建物に入る。
交通機関を利用する。
あらゆる行為に対して証明写真の提示は必要で、認証させた時点で情報は蓄積されていく。
ゾロ目だとか、何か特別な数値なら表示するのもありかもしれんが、今日の呼吸数が何回だとか、尿がどれだけ出たとか、そんなことを知ってどうするのだろう。監視されているようで、息が詰まる。
窮屈さのあまり気分が悪くなり、道の端でうずくまったとしても、証明写真は親切にも告げてくる。
“心拍数が上昇しています。前回測定値の+23です。医療機関を受診してください”
“高ストレス状態です。成人男性の標準値をオーバーしています”
ストレス源に心配されても、何の解決にもならない。
頼むから、もう黙っててくれないか。
表示を切りたい。
だけど、その手段がない。
改竄行為は許されないのだ。
今日も空は青い。
人工ドームに投影されたそれらは、完璧にコントロールされている。
美しい景色、過ごしやすい気温。
犯罪が起こらない安全な街。
楽園都市・ゾール55。
晴れやかな朝、ノロノロと身体を起こす。
身支度を済ませてカバンを背負い、大学へ向かうため扉を開けた俺は、それに対峙する。
“おはようございます”
“証明写真をご提示ください”
証明写真をご提示ください 彩瀬あいり @ayase24
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