中編

 "証明写真をご提示ください"


 証明写真を手に入れたせいか、文字色は警告の黄色ではなくなっていた。

 専用ケースに入れたそれを胸の前でかざすと、ピッという音とともに文字は消え、次に緑色の文字があらわれる。


 "ようこそ、ゾール55へ! あなたの新生活が、より良いものでありますように"



「うお、すげー。歓迎された」

 証明写真に書き込まれている情報により、大学進学のために初めてこの地を訪れたことがわかっているからなのだろう。

 早速バス乗り場へ向かう。

 俺が住むことになっている学校指定のアパートへのルートは、さっきのお姉さんに教えてもらっている。

 5番バスに乗れば、大学前で降車できるらしい。一度大学の事務局へ行ったほうがいいともアドバイスされた。

 バスがやってくる。この星では、後方から乗りこむ形式らしい。

 タラップをあがると、例のメッセージが出る。


 "証明写真をご提示ください"


 そういえば、乗車する時にも提示しろと言っていたか。

 椅子はすべて一人掛け仕様。荷物を固定するためのフックもあり、俺以外に乗り込んだ客が、手慣れた様子で取り付けていく。

 見よう見真似で固定したあと、バスは動きはじめた。

 車窓を流れる景色は、ごくごく普通の街並みだ。全宇宙に展開している大手チェーン店の看板もあり、取り立てて変わった様子もない。

 まあ、そんなもんか。

 落胆とともに胸の内で呟く。

 転勤一家で育った関係で、新天地に対する驚きに欠けがちなことは自覚している。住みたい場所ランキングという華々しい言葉に、期待しすぎていただけなのだ。

 やがて、車内アナウンスが俺が降りる場所を告げたため、荷を持って立ち上がった。

 電光掲示板に表示された金額を払うため、精算機を探すが見当たらない。


 "証明写真をご提示ください"


 目の前に表示された文字を見て、「ああ、そうか」と合点する。扉の横にある端末の赤い枠に証明写真をかざすと、空気の抜ける音とともに扉が開いた。


 “ご利用、ありがとうございました”


 淡く光る文字が礼を告げ、俺は初めての決済を体験した。



     ж



 バス乗り場から五分もかからない場所に、大学はあった。街路樹が並ぶ歩道を通り、正門に辿りつく。

 学期開始前とはいえ、サークル活動などで学生の出入りはあるのだろう。門は開放されており、俺は証明写真をかざして足を踏み入れる。

 まず目を引いたのは、一面に広がる人工芝の青々とした色。

 学校の正面入口といえば、創立者の銅像か石碑が設置されていたりするものだが、そんなものは見当たらない。二色のレンガが彩る石畳の道が、来訪者を建物へ導く。

 幅広のレンガ道をそのまま進むと、一際大きな建屋に行き当たった。ガラス扉の脇には事務棟と表示されていることから、ここが大学事務局だろう。

 いかにも「旅行用」といった荷物をどうするべきか考え、そのまま持って入ることを決める。

 俺は今日、ゾール55へやってきた新入生なのだ。これ以上ないほどわかりやすい姿に映ることだろう。

 宇宙港でもそうだったが、まだ慣れていないアピールをしたほうが、より丁寧な説明が得られるはずだという打算も働く。

 扉をくぐると、カウンターの向こうに座っていた職員が顔をあげた。

 頭を下げながら近づき、用件を告げる。

「今年度の入学者のモリノです。指定アパートの場所を知りたいんですが」

「証明写真をお願いします」

 今度は肉声で提示を促され、ポケットからそれを取り出す。カウンターの一部が立ち上がり、四角形の赤い光が浮かび上がった。

 バスの中で見たものと同じだ。ここにかざして、本人確認をするのだろう。

 シャリーンと鈴のような音がしたあと、職員が別の端末を操作しながら、問いかけてくる。

「地球から来た、モリノユウヤさんですね。はるばるようこそ。宇宙港から直接いらしたんですね」

「そうですけど、どうして――」

「宇宙港から出た時刻と、バスを降りた時刻が記録されてますからね」

 なんと、そんなことまでわかってしまうらしい。

 俺の驚きは顔に出ていたのだろう。職員の男性は微笑みを浮かべる。

「大丈夫ですよ。バスを利用したことはわかりますが、決済額はプロテクトがかかってますから、当人以外が見ることはできません」

 あくまでも、どんな場所へ立ち入ったのかを管理するものなのだという。

 証明写真にはマニュアルも内蔵されていたが、膨大すぎて読んですらいない。

 すると職員さんは、外星から来た学生に対して配布している、日常生活における基本的なことをまとめた簡易マニュアルを紹介してくれた。ありがたく頂いておく。

 うん、こういうのが欲しかった。

「部屋の主は、モリノさんに設定しましたので、玄関で証明写真を提示すれば、ロックが解除されます」

「管理人のような方は、いるんでしょうか」

「アパート全体が、大学の管理下にありますので、なにか問題があれば事務局のほうまでご連絡ください」

「わかりました」

「部屋にはそれぞれ端末が設置してありますが、こちらは学校の所有物ですので、持ち出しは禁止です。付近のお店情報も含めて、データを送信しておきますから、役立ててください」

「ありがとうございます」

 笑顔で送り出され、俺は大学の裏手にあるという学生アパートへ向かった。



     ж



 大学生活が始まって、二ヶ月が経過した。

 ぎこちなかった証明写真の提示も、なかなかスムーズにできるようになったと思う。

 しかし、本当にこのシステムはすごい。

 買い物がとにかく楽だ。なにしろ、商品を持って店から出るだけでよい。

 何を買ったのかは店の出入口でスキャンされ、証明写真の提示で退店処理と決済が行われる。

 決済認証を無視したとしても、入店情報が残っているため、窃盗犯の特定は容易くおこなわれる。

 治安が良いというのはつまり、そういうことなのだ。

 犯罪らしい犯罪が起こりにくい。

 起こったとしても、すぐに特定される。

 逃亡しようにも、証明写真を所持している時点で行き先は露見するのだから、捕まるのも時間の問題だろう。



 朝、講義を受けるために部屋を出たところで、見慣れた文字が俺にアドバイスしてきた。


 “本日、ポスリン産の炭酸水の特売があります”


 購入記録が蓄積されているため、俺が複数回利用した商品について、案内してくれる。

 また、似た傾向の商品であったり、同じ商品を購入している人が併せて買った別商品、同世代の男性が購入している物など。俺に合わせた情報を定期的に教えてくれるという親切設計。

 大学構内にある端末は、アパートにあるものと同じシステムを搭載しているので、そこで注文しておけばアパートに直送できたりもする。

 店まで行かなくても問題ないため、論文にかかりきりの学生などは、アパートから出ずに数ヶ月過ごす人もいるぐらいだ。

 そこまでいくと大袈裟だが、気持ちはわからなくもない。慣れてしまえば、これほど便利なものはないだろう。

 ゾール55、万歳。

 住みたい星ランキング一位は伊達じゃなかった。


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