万緑

彬兄

万緑

「あと80分で目的地に到着いたします」

 無機質な船内AIの声が睡眠装置の外部割り込み入力端子を通じて、直接私の意識下に響いた。同時に深層睡眠モードが解除され、レム起動による心地よい充足感が体に満たされる。フェイスロックとボディベルトを外し、身を起こすと意識が急速に収束していくのがわかった。

「おはようございます、メグミ・タカハラ様。まもなく目的に到着いたしますが、ご気分はいかがですか?」

「おはよう。体調は問題ないわ」

「では入港準備に入りますので、降船の準備をお願いいたします」

 睡眠装置に入る前に荷物はあらかたまとめてあったので、船内着を着替えるだけで支度済んだ。少し時間が余ったので、船外モニタにリンクして外の様子を眺めることにした。軽い同期ノイズの後に上部パネルのメインモニタに星空が浮かび上がる。

 モニタにはフォーマルハウト星系第4惑星と第5惑星の間にある小惑星帯が映し出されていた。明後日より三週間にわたって開催される宇宙最大規模の民間宇宙市(Cosmic Market)、万緑祭の会場になるトキオスペースサイトだ。100個以上もの大きさのそろった小惑星を均等な間隔で配置した巨大な宙空展示場は、全体をひとつの画面に収めようとすると細かい点の集合体にしか見えない。

 アナウンスパネル映像にろくな情報がないと判断した私は、観光用のデータサービスにアクセスした。キーワードに「万緑祭」を指定し、学術レベル指定で検索を開始する。

 万緑祭の取材をカンパニーから命じられたのは三日前だった。取材班の映像担当が急病で行けなくなったため、地元フォーマルハウト星系出身の私に白羽の矢が立ったのだ。入社して半年の新人には異例の長期出張である。

 何しろ急な話で、必要な設備だけを抱えて直通星間船に飛び乗ったため、下調べをまったくしておらず予備知識がなかった。一応、上司には先に現地入りしている先輩の指示に従っていればいいとは言われているが、かといって言われたことだけしかやらないというのも半人前を認めてるようで嫌だし。

 学術レベルまでデータ深度を下げると検索にも時間がかかる。1分以上待っただろうか、検索終了を示すアラームがようやく鳴った。

「あっれぇ、学術レベル指定で検索してもヒットしないの? まいったなぁ……」

 っと、関連キーワードで一つだけヒットしてる


 【万緑】ばんりょく(中国/日本:古語)

 意味:あたり一面が植物(地球産の光合成体)に覆われている、または非常にたくさんの植物が生い茂っている様子。宇宙史以前は緑とは光合成体全般を指し、日本古典詩文の一種「俳句」では、もっとも植物が繁茂する春から夏にかけての季節をあらわすキーワードでもあった。(出典:太陽系言語大辞典)


 さすがに宇宙史以前の話は直接の関係はないか。やはり星間船のサービス端末程度では大した情報は手に入らないか。そう思い直し、一応メモリーストックだけしておいて端末を閉じた。

「本船はまもなくまもなくニューブリッジターミナルに到着いたします。ドッキングのためナビゲートランプを点灯いたしますので、カーゴの照明で船外を照らさないよう願いいたします」

 船内アナウンスが流れ、モニタにターミナルのドッキングゲートが映し出された。コミックダスト防護塗装の壁面にナビゲートランプのおぼろげな緑色が点滅する。

 やがて軽い揺れとともに照明が回復する。ドッキングが完了した旨のアナウンスが流れ、船外ゲートが開き、テラスの客が降船していく。どういう訳か皆一様に大荷物を抱えており、列の最後に並んだ私は少し待たされた。


 乗降ゲートを抜けてターミナルに降りたった私を出迎えたのは、大荷物を抱えて入国審査を待つ人の大行列だった。しかも、なぜかみんながみんな大型の圧縮式コンテナカーゴをごろごろ転がしている。

「うわ、なによこの人の数は……。困ったなぁ、先輩との待ち合わせに間に合わない」

 結局、なんだかんだで1時間以上待たされ、危うくホテルのチェックインにも遅れるところだった。

 ようやく一段落して、ホテルのカフェで先輩たちと合流した頃には、すでにくたくたになっていた。

「もう、ひどい目に遭いましたよ、なんなんですかいったい」

「タカハラさんって、確かフォーマルハウト出身なんだよね。万緑祭のこと知らなかったの? 地元なんでしょ」

「はあ、お恥ずかしい話ですが、初耳です」

「まあ、タカハラさんあまりそーゆー道には足踏み入れてなさそうだったし、無理もないか」

「え? どういう意味ですか?」

 私の問いかけに、先輩は目をそらせた。

「と、とにかく、明日から強行軍になると思うから、今日はゆっくり休んだ方がいいよ。じゃあ、ここの払いはしておくから」

 先輩はウィンナーコーヒーを飲み干すと、私の問いには答えずレシートをつかんで席を立った。

「とにかく、カメラは任せた。俺、明日の朝までカーゴにつめてるから7時に準備すませて呼びに来て」

「あ、先輩、ちょっと」

 先輩は背中越しにレシートをひらひらと振って、出て行ってしまった。

「もー、なんなのよ、いったい」

 いったい何なんだろう、万緑祭って。先輩のおごりになったアイスフロートを味わいながら、少し考えてみた。

 先輩と合流する前、少し観光用データベースから万緑祭のデータを探してみたのだが、わかったことは「万緑祭」というのは通称で、正式名称が「Cosmic Market」ということだけだった。

 Cosmic Marketというのは、一般的に企業ベースの販促展示会一般を指す言葉のはず。それが正式名称だなんて……。それに、なぜ万緑祭なんて古風な言葉で呼ばれるようになったのか。

 マーケットの内容についても謎だらけだった。これだけの規模のイベントだというのに、観光データベースに詳細が全くと言って良いほど記されていないのだ。

「あー、だめだわ。考えてもわかんないし、先輩の言うとおり今日はゆっくり休もうっと」

 氷だけになってすっかり味の無くなったアイスフロートを一気にかみ砕いて飲み干し、私はホテルの部屋に向かった。


 翌朝からのスケジュールは、先輩の言った通りとてつもなくハードだった。会場であるトキオスペースサイトは100以上の小惑星からなる展示場だ。通常の展示会であれば一つの小惑星は多くて5つのブースに区切られるのだが、万緑祭では60ものブースが所狭しと並んでいる。

 さらに、それぞれの展示場を訪れるカーゴの数がすさまじい。公式記録が無いので正確なところはわからないが、先輩によると三週間でののべ入場者数は100万を軽く超えるらしい。

 ただでさえ狭いスペースにそれだけの人が詰めかけるのだ。まともな移動すらままならない。さらにやってきているカーゴのほとんどに大型の圧縮コンテナアタッチメントが取り付けられており、小惑星間の通路をすれ違うのも困難な有様だ。

 もちろん、それは私と先輩の乗っているカーゴも例外ではなく、取材している時間より移動している時間の方が明らかに長かった。

 最終日は特にひどかった。入場者数がピークを迎えるのはもちろん、会場が惑星トキオの蝕に入っていたため暗いのだ。前日までは自由に移動できた各ブロック間の通路が一部一方通行になり、さらに移動が手間になっている。

「先輩、なんか変じゃないですか、この展示会。すっごいごちゃごちゃしてるんですけど」

「展示会? 違うよ。万緑祭は、そうだなー、強いて言えばバザーかな。企業品と違う、いわゆる自主制作の品物を持ち寄って販売してるんだ」

「へー、そうなんですか。道理で変な品が多いと思った」

「ここでしか手に入らない珍品は多いよ。中にはライセンスの関係で正規の星間流通には乗せられないような物もあるし」

 それって、いわゆる非合法品……。なるほど、公式の観光データベースに情報が載っていないわけね。これで謎が一つ解けた。

 ついでに、もう一つの謎についても聞いてみることにした。

「そうそう、それと疑問だったんですけど、なんで万緑祭なんて呼ばれ方してるんですか? 辞書で調べたんですけど、万緑って宇宙史以前の古語で、光合成体がたくさんある様子だって。会場のどこにも光合成体なんて見あたらないんですけど、なんか関係あるんですか?」

 私の問いに、先輩は笑った。

「はっはっは、そうか古語の方の万緑、か。メグミちゃんらしいまじめな発想だね。そうだなー、そろそろいい時間だし、見せてあげようか」

 先輩はそう言うと、パッシブセンサをフルスクリーンモードに切り替えて、船内モニタを全天モードで表示させた。そして室内照明を少しずつ絞っていく。

 周りが暗くなるにつれ、散らばる星々が浮かび上がっていく。いや、違う、これは星じゃない。宇宙空間で星が瞬くはずがない。

 やがて完全に照明が落ち、私は周囲に展開された画像に思わず息をのんだ。

 それは、緑の星空だった。緑色にきらめく無数の光の点が、右、左、上、下、見渡す限りすべての空間を埋め尽くしていた。

「うわぁ……すご……」

 蝕に入って暗くなった会場を飛び交うカーゴのナビゲートランプ、10万近い数のグリーンの光点が全天に散らばり瞬いていた。

「なるほど、これが万緑祭の由来……」

「どう、絶景でしょ?」

 先輩の得意げな声も上の空で聞き流しながら、私はただ眺めていた。万緑の星空を……。

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万緑 彬兄 @akiraani

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