中井紀夫 著『山の上の交響楽』~「コロナの時代の読書」において読むべき一冊として~

石束

それは「ただ一度だけ演奏されるべき『交響楽』」

 楽しみにしていたコンサートが中止になってしまいました。


 後に動画配信されると聞こえてきました。楽団員の方の苦労も練習も無駄にはならない。ほっとする一方で空気を読まずに発言するならば、僕の心の中は喪失感でいっぱいでした。


 コンサートは茶道の用語を借りるなら『一期一会』です。どれほど正確に同じ曲を演奏しても、同じ演奏会にはなりえない。

 息遣いや緊張感、人がひしめく大ホール。誰もが息を止めてしわぶき一つない緊張感。共有される静寂。振り下ろされるタクトと音の爆発。


 クラシックでもジャズでも、オーケストラでもビックバンドでもいい。ホールや野外ステージも関係ない。台風が来て延期になって、握りしめてボロボロになったチケットを次に年に持って行ったこともある。アイドルたちや声優たちが、ただ一度のステージにどれほどのエネルギーを注ぎ込むか、そんなの実際にそこにいなければわかるはずもない。すっかり時代の悪者にされてしまった、小さなライブハウスたちがアーティストとオーディエンスに、どれほど幸せをくれたかなんて、みんな忘れてしまっている。


 配信動画の映像の向こうで、ただ一人の応援者もなく孤独に戦い続けている彼ら、彼女らを見るたび、悔しくて泣きたくなる。

「映像だけでも流せてよかったね」

なんて到底言えない。素晴らしいことだなんて思えない。

 これが新しい時代の仕様だというなら、なんて残酷な話だろうか。


 僕は、彼らのそばに行けない自分自身の無力が悔しい。

 僕は、息遣いを感じるほどの距離に行けない『時代』が呪わしい。

 

 そして、こうも思った。

 彼らもまた、もしかして今、考えているのではないだろうか?


『たとえ演奏していたとしても、それを誰が聞いているのだろうか?』


と。


 これほど、深刻で痛烈で孤独な悩みに、かけられる言葉なんて僕の中には、ない。

 ただ、「言葉」を探す手がかりになりそうな『物語』なら、知っている。

 

 ◆◇◆


 ――私の作品は、この宇宙の中で、ただ一度だけ演奏されるべきものである。


 天才作曲家・東小路耕次郎は自分の作品をただ一度だけ演奏すべきものとし、二度目の演奏を不可能とするために「宇宙の寿命と同じ長さ」の曲を書こうと考え、そして、すべてを演奏するためには数千年、まかりまちがえば一万年を要するであろう曲をつくった。


 中井紀夫 著の短編『山の上の交響楽』はこの長大な楽曲を演奏する――演奏し続ける楽団員たちの日々を追う物語だ。


「素晴らしい曲」な、だけでは、こんな途方もない曲を演奏することなど不可能。

 途方もない才能が、とてつもない分量で、必要になる。


 だいたい音楽に関わる人間は仙人ではない。住むところも食べるものも必要だ。

(実際にカスミだけ食べて演奏だけしていられたらそれだけで幸せな人が多いのは事実ではあるけれど)それには団員の生活を保障し、適正に健全に組織を運営する必要がある。

 事務方の背負う役目は大きい。

 主人公・音村は、東小路の死の三百五十年後、楽団の事務局で働いている。

 彼の仕事は八つのオーケストラと各団員の間を折衝し、三時間づつ八交代で昼夜わかたず演奏を続けさせることだが、指揮者、楽譜の管理者、楽器職人に、弦と管の争いなど様々な問題が立ちはだかる。

 無理もない。

 なにしろ、八つのオーケストラ全部すべてがステージに上がる、難所『八百人楽章』が目の前に迫っているのだ。


 そんな楽団の中を走り回る日々の中、音村は、ある時こう問われた。


 自分はこの曲が始まった頃を知らない。きっと終わりもわからない。

 人類すべてが、そうなのだろう。――ならば。


「いったい、この演奏を誰が聞いているというのか」


 この曲に人生のすべてを賭した東小路耕次郎なら、また、あるいは楽団を立ち上げ、演奏会と音楽堂を受け継がれる「文化」となるべく組織した宇治原保なら、何かの答えをだしたかもしれない。


 だが、彼らはすでにこの世の人ではない。

 誰一人自らの演奏の意義を語りえなくなった音村たちは、誰もが心の中でこの演奏が「惰性」なのではないか、と悩みを抱えていく。

『八百人楽章』は楽曲の難所であると同時に、「心の難所」でもあった。


 一人だけでオーケストラは成立しない。

 しかし音楽に対しては、誰もがただ一人で向かい合わねばならない。

 集団でありながら孤独な彼らが、自分自身と音楽にどう向き合い答えを出すのか。


 これは、そんな物語です。

 


 ◆◇◆


 誰もが、悩み。誰もが、立ち止まり、うずくまりながら。

 その末に、登場人物たちがたどり着く『音楽との対峙』。


 山頂交響楽 八百人楽章のクライマックスで彼らが得た『答え』は、けして今の僕らと完全な相似とはなりえないけれど、それでも。


 立ち止まる自分に、もう一歩をくれる物語であると、信じています。



 以上


 追伸


『山の上の交響楽』は本作を表題作とする短編集ですが、他のお話も面白いのでぜひにもご一読ください。

 僕はコレが一番好きです。 もちろん異論はみとめます。


 

 

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中井紀夫 著『山の上の交響楽』~「コロナの時代の読書」において読むべき一冊として~ 石束 @ishizuka-yugo

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